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詩を書いていた時代を思う

 高校時代、文芸部に所属し、詩や小説を書いていた時代がある。

 文芸部の部室は、どういうわけか、キャンパス内の校舎から離れてぽつんと野球やサッカーなどの運動部が集まったプレハブの小屋のようなところの一室でだった。

 夏などには、運動部の選手たちの汗臭い匂いがただよっていたことを覚えている。

 おそらく校舎内の部屋に限りがあり、あまり実績のない文芸部はそこから締め出されたのだろうと思う。

 夏は暑く、冬は寒い部室は3畳ぐらいで、折り畳みイスが数脚と机があり、棚には書類を入れるケースがあった。

 当時は、授業が終わると、そこに集まって、雑談や文学論をしていたことを思い出す。

 なぜか必ず、部室に行くと誰かがいた。

 ただ、いるのは同学年や一年下の下級生で、先輩たちはあまりいなかった。

 高校が進学校だったために、受験勉強などに追われていたからだろう。

 部室によく集まっていたのは、ほぼ3人で、それぞれの文学論を闘わせていたのは懐かしい思い出である。

 文芸部では、一年に一回、部誌を発行していた。

 数十ページのぺらぺらな部誌には、それぞれの作品が載せられていたが、むろん無審査で載ったわけではなく、一応先輩の目と顧問の先生の検閲があった。

 作品が読めるレベルに達していないものは没になったから、ある一定の水準には達していたと自負していた。

 毎年発行される部誌をみると、先輩方の力作が発表されていて、それを読むのも楽しみの一つだった。

 文芸部のOBからは、著名な詩人や翻訳家やエッセイストなどを輩出しているほど水準は高かった。

 顧問の先生は、最初は国学の万葉集などの研究をしている老教師で、その後、文学青年のような作家志望の教師に変わった。

 作家志望の教師は、県の主催する文学賞を受賞していたが、それ以上には活躍できず、いつも鬱屈したような表情で、ややシニカルだったことを覚えている。

 私は高校入学の前から本を読むのが好きだったので、将来は文学者か出版社に勤めたいと思っていた。

 それで、文芸部に入部したのだが、まだ詩も小説も書いたことがなかったので、一年生の時には、何か短いものを書こうと思っていた。

 だが、なかなか書けずに悶々としていると、同学年の友人たちは、詩を書くというので、その作品を見せてもらった。

 詩というと、高校生ぐらいだと、感傷的になりやすいものだが、なかなかどうして個性あふれた詩を書いていた。

 ならば、私も詩を書いてみようと思い、それまでよく読んでいた中原中也や菅原道造や三好達治などの作品を参考にして詩のようなものをノートに書いた。

 だが、書いても途中で、その言葉のありきたりな表現に途中であきらめた。

 しかし、一応部員であるために、作品は提出しなければならない。

 頭を振り絞って短い詩を書いて提出した。

 今では、その詩の細部はまったく忘れてしまったが、センチメンタルなもので今思うと、恥ずかしいほど幼稚な作品だった。

 おそらく没になるだろうと思っていたが、意外にも掲載になったので、書いた私が驚いたほどである。

 掲載された自分の詩を読むと、気恥ずかしい気持ちになったが、あれっ?と思ったのは、詩には私が書いていない部分が最後に付け加えられていた。

 編集は先輩たちがするので、そのうちの一人が書き加えたのだろうが、私にはかえってバランスが悪いように感じられたのである。

 私の書いた詩は、花畑を飛ぶ蝶々が花に止まり、密を吸う姿を詠んだものだった。

 こう書くと少女趣味のようなセンチメンタルな印象になってしまうが、むしろそんなものではなく、無機質な昆虫たちのイメージを描いていた。

 私はそれで完成していると思ったので、書き足された部分は蛇足でかえって全体のイメージを壊している感じがした。

 不思議に思っていると、先輩格で部長のNさんが、そんな私の表情を見て、「詩は悪くなかったよ。感傷的ではなく、硬質なイメージがあって僕は評価した」と言ってくれたのだった。

 「だけれども、不完全だと思った。チョウチョが花の蜜を吸うという部分で終わっているのは落ち着きが悪い。だから、花から空へ飛ぶという描写を付け加えさせてもらったんだ」

 このNさんは、小説書いていたが、大人顔負けのややアダルトな世界を書いていたので、顧問の先生から何度か駄目だしを食らっていた。

 ようやく認められた作品は、冒頭だけを覚えているが、幻想的な街の風景の中で、人々が幽霊のようになって自動車に引かれていく描写が印象に残っている。

 文学青年といったイメージがよく似合う人で、いつも眠たげに半眼で人を上から見下げるような表情をした。

 高校卒業後は早稲田大学に入り、帰省した時には、大学近くの公園で行われている日雇い労働者たちのやっているバクチの話をしてくれた。

 たしか「チンチロリン」と言っていた気がするが、それに勝つためのノウハウを無表情に語っていて、本当にこの人はボヘミアンのような生活をしているのだな、と感じたほどだった。

 そうしたイメージから、作家になるか、出版社の編集者になるか、と思っていたら、まったく別な世界に身を投じたことに驚かされた。

 Nさんは、警察官となり、アメリカにも留学してエリート街道を歩んでいるということを後に聞いた。

 その関係でいえば、もう一人の先輩は本当に少女趣味的なセンチメンタルな詩を書いていたのだが、大学では学生運動に熱中し、ある爆弾事件に関係して投獄されたことを、これもまた知った。

 その頃に会ったときには、ヘルメットをかぶり、こわれかけたメガネをかけ、こけたような頬で、人を射貫くような鋭い視線でこちらを見たので、高校生時代の純情な少年の面影がまったくなくなっていた。

 また他の先輩は、詩を辞めて絵描きを目指し、ベレー帽をかぶり、ヤギのような髭を蓄えていて、これまた、少年時代の面影を失っていた。

 私の同学年の文芸部仲間も、それぞれの道をたどった。

 ある者はペンを捨て、県庁の役人となり、ある者は私立学校の教師となって、その後は行方不明となった。

 海援隊の歌に、「思えば遠くに来たもんだ」があるが、そのタイトルのことを思い出すほど、同じ仲間たちの旅立ちは違っている。

 そのことを思うと、本当に遠くはるかな地点に、自分も来ていることを感じている。

 作家志望だった私は、とうていその才能がないことに見切りをつけ、浮草稼業のフリーライターをやっている。

 書くということでは当初の志望の片隅に足を引っかけているのかもしれないが、最近、なぜまた再び詩を書きたいという衝動が起こっている。

 なぜなのか、自分にはわからない。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)

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