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作家としての石原慎太郎のことなど

 最近亡くなった石原慎太郎というと、東京都知事の印象が強いので、政治家というイメージがある。

 だが、文学者としての石原慎太郎の方が私とっては印象深い。

 政治家としても、文学者でも一流であったと思う。

 ただ、最初は石原慎太郎のイメージは良くなかった。

 むしろ同期だった大江健三郎の方が作家としては、魅力的で、よく読んでいたことを覚えている。

 それも初期作品の抒情的でありながら、どこか豊かなイマジネーションがあふれていて、私の同世代の友人は、大江作品を参考にして小説を書いていた。

 特に、大江の出世作となった「奇妙な仕事」は、死体洗いのアルバイトという、設定のユニークさがあって、一時そんな高額なアルバイトがあればやってみたいと真剣になって探していたことを思い出す。


 一種の都市伝説のようなものだったが、それほど当時の文学青年にとっては、大江の影響力は強かったといっていいだろう。

 それに対して、石原慎太郎のイメージがあまり良くなかったのは、芥川賞受賞作「太陽の季節」がことさら話題性を狙ったようなセンセーショナルな作品だったこともある。


 私は青少年期にはベストセラーになったのは、かえって興味がもてなくなってほとんど読まなかった。

 一種の文学青年の気取り、矜持のようなものがあったのだろう。

 その私が後に「太陽の季節」を読んだ印象としては、通俗的な風俗小説という印象を受けた。

 発表当時は、センセーショナルな若者世代の野放図で無秩序のような行動のように思われて、ベストセラーになったのだろう。

 私が読んだ時点では、既にそんな風俗は当たり前のようになっていたので、衝撃を受けるというよりは、やや時代遅れの古びた印象を否定できなかった。

 ちなみに、私が芥川賞で衝撃を受けた作品は、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」だった。


 石原慎太郎に抱いていたイメージが変わったのがいつだったのか、実はあまり記憶していない。

 ある時期から、文学者としての石原慎太郎の存在が大きくなって、改めてその印象が変わったのである。

 ただ、私が感じた文学者としての石原慎太郎のイメージといっても、それは小説などの作品から受けた印象というよりも、文学に対する姿勢からだったように思う。

 特に、それを感じたのは、芥川賞選考における選評が、文学と人間の本質の関係について真摯に向き合いながら、論じていたことに印象が深かった。

 私的な感想になるけれども、最近の芥川賞を選ぶ基準というのが、文章の技巧や発想の奇抜さや新しさ、という点が評価されるという面があって、文学が人間の本質を追求するというものがなおざりにされているのではないか。

 もちろん、文学の新人賞は、それまでにない新しい形式や世界を構築するという側面があることも確かである。

 しかし、それにばかりこだわると、人間性が抜けちて、どこか無機質で奇妙な世界を描くことが文学であると思い込んでしまう気がする。

 そのあたりは、古臭いとか、新しいものを理解できないボケ老人とかの非難を浴びせたりする評論家もいるが、それは違う気がする。

 流行を追うばかりがいいわけではない。

 新しいものが必ずしもいいわけではない。

 流行はすたれ、そして新しいものは時間の経過とともに古びていく。

 もちろん、変わらなくてはならない部分もある。

 そのことを考えれば、江戸時代の俳聖と呼ばれた松尾芭蕉の説く「不易流行」という見方はまさに文学の本質を衝いているといっていだろう。

 そのようなことを考えると、文学の本質にこだわり続けた石原慎太郎は、やはり別格な存在であるというしかない。

 文学のもつ力、感動させる力が作品にあるかどうか。

 そのような泥臭い価値にこだわり、孤立無援的な状況の中で、文学とはどうあるべきか、という問いを発し続けた。

 石原慎太郎には、そうした王道を歩んだ文学者の風格がある。

 その点は間違いなく石原慎太郎は本物だった。

 その石原慎太郎が政治家になったときには、驚かされたことを覚えている。

 むしろ違和感しかなかった。

 ところが、国会議員として活動している時にはあまり見えなかった政治家としての姿が、東京都知事という立場になるにしたがって、その政治家としての力量があからさまに見えて来た気がする。

 政治家は、現在の裏金の問題に対する右往左往する姿や言行不一致というイメージがつきまとっているが、その点、石原慎太郎は一貫した姿勢を貫いていた。

 また、都知事になってからの発想、政策、実践、そして、スピーチなどには、今の政治家にはあまり見られない信念というものが感じられた。

 もちろん、一流の政治家のような時代を画するような業績があったわけではない。

 だが、言葉をあやつる文学者が政治家に転じると、実務的な政策が取れず、言葉だけのスローガンを発するだけのケースが多い。

 そのあたりは、学者と経営者などの実務者の違いがあって、なかなか難しい面があるのも確か。

 だが、そうした距離や溝を乗り越えて、文学者としても政治家としても、一定の成果を上げた石原慎太郎はもっと評価されていいと思う。

 残念ながら、まだそうし評価がそれほどないのは残念である。

 政治家としての信念という点では、今の政治家にはその点が欠けているといって言いようである。

 残念なことながら、日本の将来を無条件に託したいと思う政治家がほとんどいないのは、まさしく痛恨の事態である。

 第二の石原慎太郎のような政治家の出現を望みたい。

 そんなことを考えながら、石原慎太郎と編集者の坂本忠雄の対談集『昔は面白かったな』(新潮新書)を読んでいるところである。


 (フリーライター・福嶋由紀夫)      

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