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湯あたり・人あたりについて

 冬には温泉が似合うーー。

 湯けむりの中、山里の風になぶられたようなひなびた温泉。

 といっても、温泉の町はどこか白けたような雰囲気がただよっていることも確かである。

 人々のいとなみが醸し出す空気。

 山が近く、渓流の音もする。

 そこには、人生の旅に疲れた旅人、流れ流れて来た訳ありの人々、にぎやかでいて寂しい空気が町の至る所によどんでいる。

 時には、けばけばしい装いが温泉町全体につつむこともある。

 ふと日々の生活に疲れたとき、温泉につかりたい、そこで何も考えずにしばらく過ごしたいと思うことがある。

 といっても、こうした温泉にまつわる記憶は、幼少時代のもので、当時は両親につれられて温泉に宿泊したことを思い出す。

 不思議なことだが、当時は山里の温泉に行った記憶があるが、電車やバスに乗った途中のことは忘れている。

 そこだけ切り取られたように存在するような印象がある。

 それだけ温泉町がどこか知らない場所、不思議な空間のように感じられたからかもしれない。

 今でも記憶に残っているのは、温泉町のホテルの上の階にあった風呂から、町の風景を見下ろしたことである。

 町は、霧につつまれたかのようにぼんやりとした中で、祭りの終わりに後片付けするような静けさ。

 そのほか思い出すのは、浴場にまで続く長い回廊の不思議な空間。

 タオルを手に迷路のような回廊を歩いていると、はたして浴場に行くことができるのだろうか。

 テレビドラマで見たタイムトンネルのようなわくわくした気持ちと迷子になったようで窓の外から射し込む光の中で歩いていた。

 そんな不安を覚えたことを記憶している。

 そんな断片的なイメージしかないのだが、どうしても忘れられないのは、日常とは違った場所と空間にいるという気持ちからだったろうか。

 それはわからない。

 ただ温泉というと、そんな家族旅行の中で、強烈に記憶している体験がある。

 それは高地の山のふもとにある温泉のことである。

 あたりには、硫黄の匂いがただよい、それだけで酔うような気持ちだった。

 確か宿の近くに温泉があり、そこに向かう道の途中には、清流があり、橋が架かっていた。

 川には硫黄が混じっているのか、石は茶色に光っている。

 高地にふさわしい風の冷たさ、空の透明な青さ、その中に山々の峯が屹立していた。

 その山の峯にも、湯けむりがところどころに立ち上っている。

 硫黄の匂いにやや辟易しながら、温泉に入ったことを思い出す。

 硫黄の匂いはしばらくすると、気にならなくなった。

 肌にまつわるような温泉のねばりつくような水質と温度が心地よかった。

 あまりにも快かったので、ずっと浸かっていると、急に気持ちが悪くなってきた。

 湯から上がると、めまいがして立っていられず、床に横になったことを覚えている。

 要するに、湯あたりをしたのだが、そのときは、何もわからず恐怖にとらわれていた。

 全身の血流が回転し、頭脳の奥で様々なイメージが浮かんでは消えた。

 そのような湯あたりも、身体が冷えていくにしたがい、泥が底に沈んで水が透明になっていくように消えていく。

 不思議な体験だったが、以来、湯あたりを警戒するようになったことを覚えている。

 このような体験を記したのは、温泉に湯あたりをすることと似た体験を日々の生活の中で感じることがあるからである。

 それは「人あたり」といった、人に会った後に、何か精神的な疲れのようなものを感じてしまうことである。

 それがあまり知らない人や未知の人ならばわかるが、知人友人、家族であっても、会話を交わしたりするということだけで、ぐったりとしてしまうことである。

 仕事柄、人にインタビューすることが少なくなかったので、この私の体質には悩まされた。

 人と接することが商売なのに、なぜ人と会うことがつらいのだろうか。

 それは宿痾のように、私の人生につきまとっている。

 外見から見れば、そのような苦悩を抱いているというイメージはそれほどないかもしれない。

 受け答えに、どもるようなこともなく、ふつうに見えるようだ。

 だが、内心は人に会い、話をしている時間は緊張があってなんとか自分を維持しているが、それが終わると、風船がしぼむように心身が弛緩する。

 それだけならばいいが、家に帰って、少し疲れを癒やそうとすると、とたんに全身が金縛りにあったように動けなくなる。

 といっても、それは大げさな表現だが、横になると、もういけない。

 起きたくなくなって、しばらく寝落ちしてしまう。

 目が覚めても、疲労感は抜けない。

 そんな状態なのだが、人あたりの問題はそればかりではない。

 実は、私は人にインタビューするのに、電話でアポイントをすることがなかなかできなかった。

 電話をかける決心をするのに、締め切り間際、ひどい時には1週間も電話機や携帯をにらんだまま、今日電話するか、明日電話するか、逡巡したことも一度や二度ではない。

 それこそこの体質は数十年以上継続していた。

 水を飲むように電話をかける人から見れば、ばからしいことかもしれない。

 だが、本人にとっては真剣な悩みで、受話器を手に取るときは、心臓の鼓動がいつもよりも2倍3倍も速く打っていたほど。

 相手が出て話をすれば、なんとか対応できるのだが、それまでの精神的な壁を超える時間はそれこそ胃が痛むような期間だった。

 これはそのような体質をもっていない人には理解できないかもしれない。

 人には理解できないという思いがあるので、この心理的な壁について話したことはない。

 書くのも、あからさまにしたのは今回が初めてかもしれない。

 そうできたのも、数十年以上にわたる壁が崩れていって、ようやく最近、人にも話せるような気持ちになったからである。

 そのきっかけが何だったのか、といえば、いくつかの要因が思い浮かんでくる。

 そのこともいつか書いてみたいと思っているが、今は少しずつ精神的なリハビリをしている状態なので、まだ客観的には書けない。

 いずれにしても、湯あたりのような人あたりの壁を超えることができたのは、私にとっては何よりもうれしいことだった。

 ずいぶん時間がかかったけれど、人間の抱えている悩みや苦悩は、時間が解決してくれるという確信を得たことが収穫だったと思う。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)

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