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和楽器バンドの『千本桜』について

 初夏の風が吹くようになって、外気が快い。

 俳句の季語に、「風光る」や「風薫る」という言葉がある。

 「風光る」は、文字通り、感覚的に春になって視覚的にも風が光って見えるようになることを意味している。

 それに対して、「風薫る」は、同じような感覚的な表現に見えるけれども、視覚ではなく、嗅覚、すなわち風に木々の若葉などの匂いが付きまとっていることを指している。

 最近、私がはまっている音楽に、和楽器バンドが演奏するユーチューブの「千本桜」がある。

 毎日のように視聴し、時には同じものを二度も三度も繰り返して最初から最後まで視聴していることもある。

 なぜこんなに繰り返し視聴しているのか。

 実は、自分でもよくわからない。

 ただ、このボカロと言われるジャンルで活動している和楽器バンドの代表曲「千本桜」を聞いていると、心の中のマグマが動き出し、全身をめぐり、生きる喜びみたいなポジティブな気分になる。

 構成は、ボーカルの鈴華ゆう子を中心に、簫、尺八、津軽三味線、和太鼓の和楽器に、ギター、ベース、ドラムの洋楽器が加わって独特な音楽的な空間を生み出している。

 和楽器も洋楽器も、それぞれの個性豊かなものなので、これらがどのように奏でられ、雑然とした混乱ではなく、ひとつの調和を生み出しているか、それは実際に聞いてみるしかないだろう。

 和と洋の調和がそこにはある。

 それは、ちょうど韓国料理のビビンバプのような様々な食材を混ぜることによって、味に複雑な重層性を作り出していることに似ているかもしれない。

 といっても、尖った楽器である尺八や津軽三味線、和太鼓とギターやドラムなどがハーモニーを生み出しているといった感じではない。

 音質が尖ったまま、同じ空間を共有しているといったイメージなのである。

 ちょうど形としては、韓国の民俗楽器を中心に活動しているサムルノリのような印象がある。

 といっても、サムルノリは個々の音の重なりがクライマックスになって重層し、不思議な調和を生み出している点があるので、和楽器バンドとは本質的には違っている。

 和楽器バンドについては、このことを書こうか書くまいか、実は迷っている。

 どうも困った性質だが、ここで書くと、それで気持ちがそこから離れてしまう傾向が私にはある。

 何のことかというと、以前、よく聞いた歌謡曲や祭のユーチューブを紹介したことがあるが、それを書いてしまうと、次からは熱が覚めてしまって、あまり見たり聞いたりしたくなくなってしまう過去があるのである。

 困った性格だが、事実だから仕方がない。

 だから、今熱中していることは、出来れば、ここにはあまり書きたくないのがホンネなのである。

 だが、書くことがないので、ということもあるのだけれど、それだけではなく、自分だけが楽しむのではなく、ほかの人にも知ってほしいという気持ちもある。

 ファンの心理などはそうしたものである。

 矛盾した気持ちを抱えていると、ちょっとばかり憂鬱になってしまう。

 ええい、仕方がない、清水の舞台から飛び降りる気持ち?で書いてみようか。

 和楽器バンドは、その名前のように、和楽器と洋楽器がコラボして作られたグループで、結成は今から10年まえぐらい。

 バンドリーダーがボーカルの鈴華ゆう子だが、実は詩吟の師範という資格をもっていて、歌い方もその詩吟の音程や節回しを応用しながら、独特のものをもって表現している。

 「千本桜」はいくつかの他のカバー曲があるので、少しばかり聞き比べたりもしているが、インパクトの大きさと芸術性では、この和楽器バンドが個人的には、一頭地ずぬけていると思っている。

 それは尖った楽器の自己主張性がそのまま他の楽器に溶け合うというよりも、そのまま並行して存在しているといった感じかもしれない。

 和洋の一体化、というと、どこか予定調和的な平凡な表現になってしまうが、それを超えた個として存在しながら、他の個とも衝突せず、粒が立った音楽になっているということだろうか。

 どうもうまく表現できないが、「千本桜」には詞もそうだが、ちょっと言い難い魅力がある。

 特に詞には、意味があるような歌詞ではなく、むしろ和製の言葉と洋語のような名詞の言葉入り乱れ、秩序なき、バラけている印象しかない。

 何を歌っているのか、歌詞からは意味を理解することが無意味とさえ思えるほどである。

 しかし、このある意味では、現代詩のような言葉の表現と曲が不思議な空間を生み出していることは間違いない。

 ユーチューブの「千本桜」のコメントを見ていると、日本人の感想よりも、英語やその他の外国人のコメントであふれている。

 そんなケースはあまりないので、その点でも驚かされる。

 しかも、再生回数は、9年前にアップされて、現時点で1億5000万回を超えているのである。

 日本人より世界の人々が視聴し、和楽器バンドに感動しているといっていい。

 その意味では、まさに音楽を通して世界共通の相互理解を深めているといっていいかもしれない。

 音楽に国境線はない、という言葉よく聞く。

 だが、それはその国の音楽を知って、たとえば、日本のアニメを通して、そのファンがアニメ音楽をも愛するといった性質がある。

 その点では、国境線がないというよりも、国境線を越えて音楽を通して、日本を愛するといった感じではないか。

 国を超えた平和な世界というものは、やはり政治や経済などのようなものを思い浮かべがちである。

 だが、本質はそうではなく、人の心を動かす芸術的なもの、それこそ詩や絵画、音楽などの分野を通して実現するのではないか。

 そんな気がしていて、和楽器バンドの「千本桜」を聞いている。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)

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