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紅白歌合戦のことを考える

 もう正月が身近に近づいている。

 「あといくつ寝ると」ではないが、もう気持ちは一年の終わりのカウントダウンを取るだけである。

 年末になると、どのテレビ番組も「旅」「クイズ」「漫才」「グルメ」などの特番をやっているが、特に目立つのは、「歌番組」だろう。

 特に、最後の掉尾を飾るのは、NHKの「紅白歌合戦」になる。

 歌は、その時代時代の精神や流行を体現しているので、世代間では、歌のジャンルが違って来る。

 高齢者にとっては、やはり美空ひばりに代表されるような演歌、懐メロになるだろうか。

 ジャズやブルースの時代もあり、シャンソンの流行の時もある。

 戦後まもなくは、「歌声喫茶」が人気だった時代もある。

 歌は、戦後だけではなく、戦時のときにも、軍歌などもよく歌われた。

 戦時だと、兵士の戦意を高揚するために、勇ましい歌が好まれたと思ってしまうが、現場の兵士たちは、むしろ哀歓に満ちた流行歌などを喜んだ。

 実際、軍歌などを聞いていると、故郷を懐かしむ歌や母を思う歌、妻を偲ぶ思いなどが込められた歌が慰問では歓迎された。

 戦争時代こそ、むしろ無味乾燥な戦意鼓舞の勇ましいリズムだと、今まさに体験していることであるために、心を慰めることにはならない。

 かえって緊張するために、リラックスできないので、慰問にはならないのだろう。

 そんなことを思い出すのも、軍歌で有名な「同期の桜」が決まるまでにエピソードがある。

 教官や上官が戦意高揚の調べの歌を推奨したのに、現場の若鷲たち、学徒兵などはどこか学生同士の友情を思わせるような寮歌といった感じの現在の「同期の桜」を選んだ。

 それが現在でも歌い継がれている「同期の桜」で、歌にはそうしたその世代の人々の心に響くものが選ばれる。

 そして、それがむしろ戦意を高揚させる絆や力を与えてくれるものとなるのである。

 その意味では、指導者などは、上から目線で歌を推薦するが、現場の兵隊にとっては、共感できないのである。

 軍歌の「麦と兵隊」なども軟弱な精神の表れのように思われる調べであるが、むしろそれが兵士たちの心を慰め、そして活力を与える。

 それを知らないと、押しつけがましいものになって、かえってやる気を阻害するものとなってしまうことを知らなければならない。

 いずれにしても、歌はその時代の人々の心をつかんだので、ヒットし、口ずさむものとなって後世にまで残るのである。

 戦後歌謡に返ると、時代が下るにつれて、演歌は古い世代のものとなって、若者はアメリカなどの文化にあこがれ、フォークソングやグループサウンズ、そして、ロックに走っていく。

 私の高校時代にも、ロックやグループサウンドの時代があり、校外活動でグループをつくっていた同級生が、東京の芸能プロダクションからスカウトされ、上京することを勧められた。

 当時は、地方の青少年が音楽活動で夢を抱き、そして、実際に準備もなく東京へ出発した。

 私の同級生は、結局、悩みに悩んだ末に上京をあきらめた。

 やはりあこがれだけでは、人生の進路を決断できなかったのだろうと思う。

 さて、話は「紅白歌合戦」に戻るが、最近は演歌歌手は選ばれず、若手の歌手、高齢者にはなじみのない名前の歌手ばかりが選ばれている。

 どうやら若者のテレビ離れやNHKの受信料をあまり払わない層にターゲットを絞り、その歓心を買うといった戦略が背後にあるようだ。

 これは私の分析ではなく、ネットで評論家などの人々の指摘である。

 かつては、家族全員が大みそかにはテレビで「紅白歌合戦」を見ていた時代があったが、その時は視聴率が高くお化け番組だった。

 だが、家族全員で見るというのは、もはや時代遅れとなり、若者は歌番組よりも別な番組を選び視聴するという事情になっている。

 核家族化の動きも、その背景にあるだろう。

 歌の好みも、多様化し、親の世代と子供の世代では、贔屓の歌手も違う。

 若者には、間延びしたような歌いぶりの演歌には興味を持たなくなり、激しいリズムのロックなどを好んでいる面がある。

 そのうえ、かつての「紅白歌合戦」は、演歌の大御所や実力派の歌手の顔見世的なものがあって、それが飽きられて来たという面もある。

 視聴者の世代交代といっていいかもしれない。

 ただ、それでも、テレビ離れし、スマホやパソコンで、ユーチューブを視聴する若者と違って、高齢者はテレビ番組をよく見ている。

 視聴率確保のためには、高齢者層を重視していかなければならないが、NHKが見てほしいのは若い世代であるから、演歌などは切り捨てられる傾向になっていくのである。

 こうした高齢者の視聴者を切り捨てて、若者を取り込むために、出演者を選んでいるために、高齢者にとってはまるっきり知らない歌手、カタカナや英語、その他造語のような名前の歌手が登場する。

 これは私の実感でもある。

 2022年の「紅白歌合戦」を少し見てみたことを思い出すが(この原稿を書いているときはまだ2023年の「紅白歌合戦」が行われる前である)、知らない名前ばかりで、聞いたことのない歌ばかりですぐにチャンネルを変えた。

 自分の世代にしっくりこない曲を聞いても面白くないからである。

 こうした思いを抱く高齢者は多いだろう。

 歌はやはりグローバルであると同時に、聞く人の世代を選ぶところがあると思う。

 その意味で、「紅白歌合戦」の視聴率が年々下がっていくのは、不思議ではないといっていいだろう。

 だが、その戦略が当たったか当たっていないのか、まだはっきりとはわからないところがある。

 特に、2023年は、歌謡界・芸能界を牛耳っていた一大勢力の旧「ジャニーズ事務所」(今は変わってしまったが)の歌手がスキャンダルによって一人も選ばれないという異常事態を招いていることが大きい。

 いろいろ問題はあるが、旧「ジャニーズ事務所」は視聴率を持っていた。

 そのことから考えると、このままいくと、視聴率はダダ下がりの可能性がある。

 その結果は、現時点ではまだわからないが、ただ挽回するとしても、かなり苦戦するだろことは予想できる。

 歌はやはり若い世代だけのものでも、高齢者だけのものでもない。

 全世代が楽しめるような歌が現われてほしいものである。

 平和な時代の歌は、やはり個人が楽しむものではなく、家族みんなが楽しみ、喜ぶことができるものでなければならない。

 それは難しいことだろうか。

 過去であっても、古いものであっても、若者の音楽でも、いいものはいい、そう言えるだけの歌番組の出現を望みたい。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)

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