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歴史を考えるということ

 歴史というのは何だろうか。

 われわれは歴史というものを過去の事実として、その価値を疑わない、という錯覚に陥っているかもしれない。

 そんな素朴な疑問にとらわれるのも、歴史が絶対的に間違いのない事実というものを記録しているとは限らないからである。

 歴史というのは、漠然と考えれば、個人のものもあれば、氏族、郷土、国家、世界のものというふうに、それぞれ立場や角度、姿勢などによって書き残された史料の違いがある。

 個人のものであれば、自伝、郷土であれば郷土史、国家であれば国史、そして世界であれば世界史ということになるのだろうが、立場も違えば事実そのものが変わってくる。

 歴史を各側が国境線を越えればまったく変わってくるということは、そこに利害損得の関係、加害者と被害者という立場の違いがあるからである。

その意味で、絶対的な客観的な立場で書き残されたものが歴史であるということはできない。

 それぞれの価値観が反映し、自分を基軸として断罪したり、興味のないものは省いたり、まずいものは書かない、そして意図的に敵や憎悪の相手であれば意図的に誤った情報を書き記したりする、それが意識的であろうがなかろうが、そうした一種の取捨選択が働いているのである。

 だからこそ、過去に書き残された史料だからといって、無条件にそれを信じて過去を再構築したり研究したりすることは誤った観念を生み出してしまう。

 やはりそれを書き残す主体の立場や思想、そして時代背景といったものを考慮しながら、その書き記されたものの判定をしなければならないのだ。

 歴史を過去の事実の記録ということでみれば、まさにそれを書き残した人物の個人的な主観、すなわち個人の好悪や思想、そして、個人が属している氏族や民族、国家の思想や宗教、イデオロギーなどの影響を受けているのである。

 そうした側面を含めつつ、過去の出来事や文書に書き記された歴史を見つめなおすことが、今後求められるといっていい。

 それは何も近い過去だけではなく、古代史においても変わらない。

 古代となると、識字率や知的レベルの問題もあって、文書として書き残すだけの知識や権力や地位といったものが前提条件として考えなければならないだろう。

 文字を書き読むことができたのは一握りのエリートであり、庶民たちではなかったということである。

 だからこそ、古代において書き残された庶民の生活や感情というものは、それを支配する立場、官僚などの事務職や政治家などになってくる。

 庶民のことを書いていても、実はそれは庶民に仮託して自分自身の思想や感想を表明していることが少なくない。

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 たとえば、万葉集を代表する歌人である山上憶良は、庶民の生活感情をリアルに表現した「貧窮問答歌」が有名だが、これは憶良自身の境遇を歌っているわけではないことはよく知られている。

 官僚として取り締まり、あるいは庶民に接する機会があった憶良が、自分の見た体験や聞いた話をもとに貧民の苦しさと悲しさを代わって詠んだものである。

 これを明治の歌人の正岡子規はリアルな写生の歌として評価している面があるが、憶良にそうした意識があったかどうかはわからない。

 和歌には、そうしたその人に成り代わってその気持ちを詠むという性質がもともとあって、その代表的な歌人が歌聖とも呼ばれた柿本人麻呂であり、その歌は天皇に成り代わってその気持ちを歌い、神々に捧げた歌を詠んでいる。

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 すなわち和歌は、人物だけではなく、森羅万象、自然万物などを擬人化し、それを当たり前の感覚として詠む精神風土が背景にある。

 歌という言霊が媒介することによって、心霊や神々と交流することができると古代人は考えていたといっていい。

 山上憶良の「貧窮問答歌」も、ある説によれば、事実をもとに歌ったというよりも、憶良が朝鮮半島からの渡来人であったため、中国の儒教的な士大夫の思想が背景にあり、貧しい人々を救済しなければならないという思想を表明したものという解釈もある。

 貴族の責任、ノブレスオブリージュという意識が憶良にはあって、当時の万葉歌人たちが見過ごしてきた貧民を取り上げて、これを何とかしなければならないという意識が「貧窮問答歌」となった面があったのかもしれない。

 それで、知識人としての責任を自覚し、統治者の立場で庶民というものを理念として取り上げた。

 実際に、「貧窮問答歌」には、憶良のオリジナルではなく、その元になった中国の漢詩がタネとなっているという研究書もあるぐらいである。

 もともと歴史史料は、その面でいえば、考古学のような物としての発掘品のような事実が形になって残っているわけではない。

 本人が書き残したものもあれば、それを写した写本などもあって、その校訂をしなければならないほど類書が多数ある場合も多い。

 印刷技術のなかった時代は、人の手によって書き写された写本が書物となって流布したことを考えれば、そこに書き間違いなどのケアレスミスということもあっただろう。

 世界的なベストセラーである聖書も、こうしたケアレスミスが多いという説もあるぐらい(中には教派の立場によって意図的に自派に有利になるように書き換えられたという話もある)、書かれたものが絶対的ではないことを知るべきだろう。

 歴史に学ぶということがよく言われるが、その歴史そのものが絶対的なものではないことを考えれば、もっと丁寧に、そして違った歴史観を持つ者同士のすり合わせ、過去をもとにしながら新しい未来を築くための共同作業が重要になってくるのは言うまでもない。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)

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