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馬が国際社会を作ったという話

 秋の定番として言われているのは、「食欲の秋」「読書の秋」などであるが、その「食欲の秋」で、よく使われる慣用句は、「天高く馬肥ゆる秋」だろう。 

 秋の実りが豊かで、草をたくさん食べた馬も肥え太るほどの季節、という意味で解釈されているが、割合よく知られているように、この言葉のルーツは、そんなのんきな話ではないのである。 

 この言葉の元になっているのは、中国の古代唐の時代の詩人、杜審言の詩の一部「雲清くして夭星落ち、秋高くして塞馬肥ゆ」(「蘇味道に贈る)からである。 

 要するに、秋になると肥え太った馬に乗って北方の騎馬民族の匈奴が大挙して略奪にやってくるという警告を込めたものだ。 

 その意味では、秋の実りで、食欲が高まるといったことではないが、やがて、時代が下るつれて匈奴も滅びていったため、「食欲の秋」といったイメージが定着していった。 

 いずれにしても、馬に乗って略奪に走る騎馬民族の生態は、長年の中国帝国にとっては悩みの種であり、万里の長城も、その脅威から造られた城壁だったのである。 

 馬は、人間の行動範囲を広げただけではなく、世界史を彩る文明の興亡にも大きな影響を与えた。 

 国と国が戦争するにあたっても、重要なものは距離であり、行動範囲が徒歩圏内であれば、戦争の行使もその波及する範囲も限られてしまうが、しかし、馬や車のような移動手段があればその範囲は拡大する。 

 古代日本では、「魏志倭人伝」を信じれば、馬はいなかった。行動範囲は舟による海の沿岸航海や川を航行するといったものに限られていた。 

 そのような交通手段がもっと限られていた日本列島の1万年続いたとされる縄文時代は、船による交易はわずかにあったが、陸地を駆けまわる馬がいなかったことや狩猟採集生活だったために、行動範囲が限られていた。 

 そのために集落同士の関係は平和であり、ソーシャルディスタンスが自然に保たれていた。 

 もちろん、三内丸山遺跡のような都市国家的な縄文都市も存在したが、それは国民国家のような存在ではなく、宗教的な施設であったという説がある。 

 稲作などのような備蓄し財産となる栽培農作物がほとんどなかったので、他の集落を攻撃し備蓄された食料を奪うというような「戦争」がほとんど起こらなかったという見方がある。 

 その根拠とされるが、戦争による遺骨の損傷がほとんど発見されていないからだが、日本の風土が骨を溶かしやすい点もあり、一概に言えないのだが、ただ弥生時代の遺跡や墓から発掘される骨は武器によって損傷されたものが多くなる。 

 そんな戦争による略奪しても、奪うことのできるものはわずかで(当時の食料事情もみれば魚や貝類、そして獣肉、クルミなどの木の実などで腐りやすいものが多い)、それを奪っても犠牲が多く、戦争が起こる原因が希薄であるということもあるだろう。 

 むしろ自分たちだけで、狩猟ができる豊かな山林や海辺に行って、自然の豊かな実りを取った方が無難であり合理的である。 

 その点では、人々が都市国家に住んで文明の器具を発明したり発展させたりしなかったので、文明的には縄文土器のような生活用具はあったが、鉄製の農耕用具や刀のような武器はなかったので、生活環境、インフラはかなり長い時期まで停滞していたとみることができる。 

 それこそ西洋人がアメリカ大陸に渡る以前のネイティブ・インディアンのような自然の 

恵みを必要なだけ取った生活形態だったかもしれない。 

 取りすぎて環境破壊しないように、自然に保護をしていた。 

 平和が続いた時代だった。 

 もし、馬のような交通手段の発展がなければ、ある意味、世界史的な文明・文化交流はあり得なかったのである。 

 むろん、世界的な大航海時代という海の道を通じての東西文明の交流ということがあったが、馬以前の交流は、陸地におけるシルクロードのような、ゆるやかなものだった。 

 それが急激な東西交流の切っ掛けになったのは、馬による急激な交流、すなわち騎馬民族によるヨーロッパ侵略だったのである。 

 それまで、シルクロードの道を通って、人々が交流していたといっても、それはわずかな交易を中心としたもので、お互いの文化・文明に決定的な相互影響を与えるものではなかった。 

 商品や少数の人々を運んだシルクロードは、異国情緒、舶来品を交換する程度の距離を保った関係だったのである。 

 その距離を縮めたのが馬だった。 

 『馬の世界史』(講談社)を書いた木村凌二氏によれば、馬がいなかったならば歴史はもっとゆるやかに流れただろうと指摘し、次のように述べている。 

 「騎乗技術が普及すると、情報は遠くにも速く伝えられ、軍事遠征も遠く広くおよぶようになった。アレクサンドロス大王の東方遠征も騎乗者がいなければありえただろうか。そればかりか、イスラム教の拡大も十字軍の遠征も、さらにはチンギス・ハンの大帝国も馬と結びつけずに想像できるだろうか」 

 チンギス・ハーン(ジンギスカン)は、モンゴルの生んだ英雄であるが、東西にまたがる大帝国をうち立てることによって、別々に存在していたヨーロッパとアジアを結びつけた。   

 現在の国際化時代の先駆けといっていいのは、このチンギス・ハーンによる征服戦争だったということも出来よう。 

 国際化時代というのは、文明史的には、国家同士のエゴがぶつかる生存競争が激しく対立した時代であったとも言い換えることができる。 

 その意味で、馬は重要な交通手段であるとともに、戦争などの拡大にも関わった文明的武器でもあった。 

 その馬も、鉄道や自動車の発展によって、今やその主役の座を降りたが、それでも、馬が人間の生活に寄り添っている。 

 特に、競馬などはその代表的なものである。 

 今年の競馬では、歴史始まって以来の奇跡が起こったことは記憶に新しい。 

 それは、皐月賞、ダービー、そして菊花賞の3冠を無敗で制したコントレイルの誕生。史上3頭目の快挙である。 

 同時に、牝馬でも、史上初「無敗の牝馬3冠馬」をデアリングタクトが見事に達成した。 

 牡馬と牝馬が同じ年に無敗の3冠馬となったのは、史上初であり、これをただの偶然とみることはできない。 

 何かしら時代の大きな転換点、新パラダイムの到来を意味しているような気がするのは、私だけの感慨だろうか。 

 (フリーライター・福嶋由紀夫) 

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