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続・隠れキリシタンのこと

キリシタン

 

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日本の隠れキリシタンは、江戸時代の弾圧を逃れて地下に潜伏したケースだが、韓国でも、同じように弾圧を逃れて人里離れた地域に潜伏している。

ただし、時代は下がり、18世紀の朝鮮王朝の時代である。キリスト教の種が撒かれたのは、『続・アリラン峠の旅人たち』(安宇植編訳、平凡社)によれば、日本の朝鮮出兵の西洋の従軍司祭からだったが、それは影響力をもたなかった、と指摘している。

朝鮮半島にキリスト教が本格的に伝わったのは、中国の清の時代に北京へ行った使節がもたらした西洋の学問関係の中の文献からだった。たちまち、儒教思想の根幹である祖先崇拝の問題や父母に対する孝行の精神をないがしろにするものとして弾圧された。

日本とは違って、政治的な武力侵攻を懸念してという政治的な動機よりも、儒教精神の根幹を脅かす理念として、思想的な面での対立がその根底には横たわっていた。故に、絶対許されざる教えだったのだ。

もう一つ、朝鮮出兵の時の布教活動が実らなかったのは布教が武力侵略とともになされたということと、主に戦乱孤児など、大人が対象ではなかったため、それが社会的な広がりを持たなかったこと、そして、信仰が根付く前に戦争が終わったことなどがある。

キリスト教の布教が軍隊とともに行われた時期があったことは、スペインの南米侵略による植民地化の例でも分かるように、布教と剣がセットになっていた面がある。

日本におけるキリシタン弾圧も、このようなキリスト教(主にカトリック)が純粋な宗教活動というよりも武力行使も辞さない政治的な側面を持っていたことに気づいたからでもある。特に、豊臣秀吉は貿易の利益よりもこの領土侵略の危険性に弾圧を断行したという指摘がある。

江戸時代の鎖国や弾圧も、このような秀吉以来の政策を継承したという側面がある。その上、徳川家康は一向一揆で部下に背かれ領国経営の危機を経験していて、宗教の危険性に敏感だったこともある。

このために、キリスト教弾圧は厳しいものだったが(「踏み絵」など)、それでも、先回記したように、地下に潜伏した隠れキリシタンを根絶やしにするまでにはいかなかった。日本では宗教と政治がある程度、分離していたこともある。

これに対して、朝鮮王朝の弾圧は基本理念にキリスト教と相容れなかったので、徹底的だった。日本とは違って、儒教も政治だけではなく生活の中まで浸透していたので、日本のように隠れキリシタンは全国的に存在することができず、徹底的に人里離れた地域に潜伏し、孤立的な信仰村を形成した。

その意味では、弾圧時代が終わっても、朝鮮半島におけるキリスト教の拡大する要素は少なかった。しかし、朝鮮王朝が崩壊し、日本植民地下からの解放運動の主体的な担い手として、キリスト教が儒教に代わって国民運動をリードするに従い、戦後復興の中心として表舞台に躍り出てきたと言えるかもしれない。

それが可能だったのも、前時代の政治思想としての儒教が力を失い、先祖崇拝や生活理念や習俗としてのみとなって、キリスト教と併存するようになったこともあるだろう。

いずれにしても、忠孝思想がキリスト教と結びついて独特な文化を生み出し、今や韓国は世界的なキリスト教国家の一つとなったといっていい。(フリーライター・福嶋由紀夫)


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