記事一覧

大分県の石仏の里を訪ねて

 かつて大分県の石仏の里で知られている場所を訪ねたことがある。

Usuki Stone Buddhas / 臼杵磨崖仏(うすきまがいぶつ)

 石仏は国東半島と臼杵の石仏などが有名だが、国東半島の崖に彫られた摩崖仏は摩滅し、当時の面影は薄れている。

 悪霊退散を込めて仏師たちが彫った不動明王も、風雨にさらされ目鼻立ちの凹凸の境が分からなくなり、全体的に見ると、恐ろしいという印象はなく、むしろユーモラスな感じがする。

 今や信仰の対象の石仏というよりも、観光の名所となって、石仏の背後から人々の祈りの声が聞こえてくることもない。

 自然の岩や山林の中で、仏師たちがこうした崖に危険を顧みずに、石仏を彫っていたということがなぜか不思議に思えるほどである。

 なぜ崖のような場所に仏を彫ろうとしたのであろうか。

 一つは、岩に彫れば時を超えて、永遠の時間、仏の姿があたりを救いと信仰の対象として、真理の光を照らし続けるという願いがあったのに違いない。

 木彫の仏像は火によって燃え尽きることもあるが、岩はそうした火災にも強いし、ずっとその威容を残し続ける。

 仏師はそう考えたのだろう。

 まさか、千年の時を隔てて、摩滅し、容貌さえ分からないほどになってしまうとは考えなかっただろう。

 時の洗礼と忘却は残酷でもある。

 だが、解釈を変えれば、この恐ろしいまでに憤怒の相を浮かべていた不動明王などが、時とともに摩滅していくのは、この摩崖仏を見て祈りを捧げた人々の罪障が消えていくということでもあったかもしれない。

 もう一つ、なぜ危険な崖に仏を彫ったのか。

 という点では、そこが危険な場所であるためにかえって、信仰を深めるための修行の場ともなったということである。

 仏教は、よく知られているように、出家して修行を深めて、悟りを開くという考え方がある。

 もちろん、在家仏教もあるけれど、基本的には、人々の住む場所を離れて、自然の厳しい状況の中で、瞑想し、修行し、悟りを開き、輪廻の輪から脱するという考え方が背景にはある。

 仏教の祖である釈迦も、悟りを開くために修行をしたことはよく知られている。

 人間の多く集まる場所は、様々な因縁が渦巻き、欲望の巷(ちまた)なので、悟りを開くにはかなり邪魔になる。

 そうした世間と距離を置いて、一人静かに瞑想し、おのれの本質に問いかけ、追求していく。

 原始仏教はそのような個人救済を旨としていたが、仏教が国家的な規模になるにしたがい、大乗仏教のような民衆救済のための道が開かれていくのは自然なプロセスであったことも確かである。

 しかし、基本的には出家し、みずからの人生を捧げること。

 そう考えれば、人里離れた山奥に仏を彫ることは、それ自体が仏道であり、修行であっただろうと思う。

 仏師たちは、集団で小屋を建て、あるいは野宿したりして、経典を読んだり、粗食しつつ悟りのために求道の生活しながら崖に鑿をふるったのだろう。

 仏教には、隠者の生活がつきまとうのも、こうした現世否定と浄土への祈願が根底にあったからであり、仏を彫ることはその求道生活そのものだった。

 そして、こうした人々が彫った仏を探して拝むのもまた、仏道への帰依の表明であり、救いへの一里塚でもあった。

 人々はなぜ修行者の跡を慕って山奥へ参拝に行くのか。

 それもまた仏道修行だからである。

 現世を生きながら来世の救済を求める生活。

 それが巡礼であり、峻険な山奥へ訪ねていくことが現世から離れて来世の世界へと飛躍するための手段だったということもできる。

 旅の起源の一つである古寺巡礼などもそうした意味があり、俗世から一時離れて修行することでもあった。

 旅という観光も、観光自体に「光を観る」という意味があり、「光」とはたた風景を指すのではなく、神仏の光に触れるということでもあったろう。

 なぜ人々はコロナ禍にあって、旅を待ち望むのか。

 今では、観光や旅はレジャーという面でばかり捉えられがちだが、本来は俗世から離れて自然万物、神仏の加護を受けるための聖地巡礼であり、その旅を通して、みずからの生き方の原点を学ぶということでもある。

 そのために、旅へ心が誘われる。

 現世の苦界からの一時の解放、それが深層心理にはある。

 石仏の里は、その意味で、昔の人々の祈りの里でもあるのだ。

 石仏も時とともに、摩滅していくが、屋根など風雨を防ぐための工夫がされているところは、創建当時の風姿を残しているものがまだある。

 それを見ていると、正直に言えば、尊さとともに、全身から圧力を感じるような圧迫感を覚えることがある。

 やはり仏像が巨大になることは、そこに権威的なものがどうしても含まれているという気がする。

 慈悲をあまねく及ぼすために、巨大仏が創建されたということとともに、仏教の威力によって、悪を屈服させるという側面があったのではないか。

 それで、個人の煩悩の火を消すという面と悪の勢力を滅ぼすといった武器を持った不動明王などが盛んに造られた。

 仏教には、仏の教えが消え去る時代、末法という思想があったが、当時の人々はそれを恐れて救いを求めて神仏を創造し、寺院を創建した。

 そのような時代は、或る意味では、形あるものが造られることで、その滅びからの救いを求めたとも言える。

 石仏を見ていると、そうした時代の祈りの声が聞こえてくる気がする。

 そのアルカイックな微笑を見つめながら、末法を超えた現代の終末時代、何が人々の救いの灯になるのであろうか。

 仏教で言えば、弥勒仏、キリスト教でいえばメシア、再臨のキリストということになるかもしれない。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)

関連記事

コメントは利用できません。