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毀誉褒貶の多い与謝野晶子の真実

 女性の時代と言われるほど、現在、社会で活躍する女性は少なくない。

 特に、日本以外の世界各国の女性指導者の台頭は、このような女性の持つ平和的な母性の力が求められていることを示すといっていい。

 そのような状況は、第二次世界大戦後の新しい流れ、パラダイムと言えるかもしれない。それだけ女性の権利の向上が進展しているということだが、日本の場合は、女性の活躍は政治や社会の面よりも小説や詩歌の文学的な分野での方が大きい。

 最近でも、日本を代表する文学賞の芥川賞と直木賞も、その候補や受賞者に女性の作家が多いことでも理解できるほど、女性の活躍は目立っている。

 やはり世界的な文学である平安時代の紫式部の「源氏物語」以来の伝統が背景にあるのだろう。

 女性の地位向上や存在感を示す文学で、その地平を切り開いてきたのは、詩歌の分野であり、特に女流歌人の与謝野晶子(1878~1942)の活躍は目覚ましい。

 といっても、与謝野晶子は、どちらかといえば、そのデビュー作「みだれ髪」から、恋愛至上主義のロマンチシズムから、自立した新しい奔放な女性というイメージがある。

 「その子二十(はたち)櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」

 「やは肌のあつき血汐(ちしほ)にふれも見でさびしからずや道を説く君」

(『みだれ髪』)

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 その結婚に至るまでの与謝野鉄幹との恋愛、あるいは夫を追って単身、シベリア鉄道で夫のいるフランスまで追いかけていった行動力などから女性解放運動の先駆けと見られたりもした。

 その上、日露戦争に出征した弟を詠んだ「君死にたまふことなかれ」という反戦歌とも取れる歌を発表していることから、反戦平和を歌う文学者というイメージをもって迎えられた。

 だが、こうした奔放なイメージは、与謝野晶子の本質を示しているとは言えない。

 恋多き女という面も、夫の与謝野鉄幹を愛し続けた一生、そして、十一人人の子供を生み育てたという面から見れば、恋多き女性というよりも母性の強い女性という印象が強い。

 「君死にたまふことなかれ」についても、その後、戦争賛美の歌を詠んでいることから、イデオロギー的なものではなく、むしろ家族愛や肉親への過度の愛情があふれた心情の発露、結晶といった方が当たっている。

 すなわち、文学では奔放な歌を歌った与謝野晶子も、その人生は歌のような奔放な男性遍歴も全くないよき妻とよき母親としてその生涯を歩んだのである。

 実際に、与謝野晶子は十一人の子供を産み(死産と生後二日で死んだ子供を入れると十三人)、それを立派に育てた偉大な母親でもあった。

 晶子は、家庭を守るために働き、その上で雑誌の明星や生活を支える執筆や講演などの活動をこなした。

 当時の与謝野家に寄宿した歌人の石川啄木は、明治四十一年の日記に、与謝野家の家計のみならず、明星の赤字を補填(ほてん)する晶子の苦闘の様子を伝えている。

 それによると、各新聞・雑誌の歌の選を引き受け、原稿を売る晶子がその過重な仕事のために脳溢血で倒れたこともあると記している。

 文字通り夫の鉄幹に代わって一家の大黒柱となった晶子だが、女性の自立と母の役割をきちんと理解していた。

 その上、それを認めた上で、子育てについても、家族は母親だけでは成立せず、父親の役割も重要であることを強調している。

 晶子は女権論者というよりも、女性の自立を認めるとともに、母親の役割、父親の役割の重要性を指摘したのである。

 その点では、晶子は家庭論者、その重要なことを強調し、男性と闘うのではなく、女性の権利を高めることで家庭での母の位置の大切さを訴えた。

 その意味で、平塚らいてうなどの当時の女性解放運動とは一線を画している。

 父親の重要性については、次のように述べている。

 「私はたくさんに子供を生み、かつ育てている。そうして多年の経験から、子供は両親がそろってこそ完全に育つものであることや、子供を乳母、女中、保母、里親などに任せるのは、たいていの場合両親の罪悪であり、子供の一大不幸であることを切実に感じている。トルストイ翁もケイ女史も、なぜか特に母性ばかりを子供のために尊重せられるけれど、子供を育てかつ教えるには、父性の愛もまた母性の愛と同じ程度に必要である」

(与謝野晶子著『晶子随想集』春秋社)

 まさに、十一人もの子供をみずから生み育てたという実際の体験と知恵、思索から、イデオロギーに満ちた観念的な机上の女性解放運動ではなく、夫婦関係における父性と母性の両者の重要性を踏まえた論であるということである。

 男性でも女性でもなく、両者が家族として築き上げていく真の家庭運動こそ重要であることを先駆的に示したといってもいい。

 しかも、次のように母の存在価値を家庭から国家、世界へとその地位を引き上げてこそ、愛国者であることを記している。

 「平塚さんは『母』の意義をいろいろ教えて下さいましたが、私はかつて述べたように、母たる自尊を『世界人類の母』となるところまで拡充して生きたいと考えています。(略)私は最上の愛国者です。それゆえに、特に国家とか社会とかいう中間の人生観や倫理観に停滞していたくありません。最上の立場から、国家をも社会をも愛したいのです」

(与謝野晶子著『晶子随想集』春秋社)

 これを読むと、現在の政治的イデオロギーにまみれた反戦平和運動がいかに薄っぺらであるかが理解できるのである。

 それにしても、「世界人類の母」という表現は瞠目させられるものがある。

 十一人の子供を育てた母として、家族が平和に暮らせる世界をつくり生み出すのは、地球人類のすべてを抱擁する母の愛こそが重要であることを感じていたのかもしれない。

 その上、平和はただ単に唱えるだけではだめで、それを実行するためには、現実的な政策も必要だとして次のような戦争についても言及している。

 「私は非戦論の合理的であることを承認し、戦争を野蛮時代の遺物と見、軍備の撤廃をもって遠からぬ未来の理想とする一人です。そうして、国際平和会議の議決によって、列強が同時に軍備を撤廃する時機の来るまで、もっぱら自衛のために適度の軍備を――それは武装した警察官の集団ぐらいの意味で――保存することを承認する者です」

(与謝野晶子著『晶子随想集』春秋社)

 改めて、与謝野晶子の生き方と考え方を知ると、女性というよりも母親としての生き方が根底にあることを感じてしまう。

 まさに、世界平和を生む原動力は、女性の母性の力が大きいのであることを認識させられる。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)

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