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二宮尊徳の精神に学ぶ

 

二宮尊徳の精神に学ぶ

 台風19号の襲来によって、日本列島に甚大な自然災害をもたらした。

 大雨によって、河川の堤防が決壊し、水があふれて家屋が浸水し、流され、また橋が壊され、停電などのライフラインが寸断された。

 その被害状況を見ると、まさに他人事ではないという思いを新たにする。こうした被害が起こるたびに、「想定外」「まさか、こんな事態になるとは」という声を聞くが、おおよそ歴史的にこうした自然災害に見舞われてきた日本では、基本的にはそれを防ぐための処置や方法が蓄積されてきた。

 危ない場所には住まないようにしてきた。あるいはそうした伝承によって、自然環境の中で、どう対処すべきかを学んできた。

 自然を開発し、堤防が築かれてきて、近現代以前には本来は住むのを避けて来た山の斜面の近くまで、あるいは河川の付近ぎりぎりに住居を造ってきたといっていい。

 ところが、いくら科学の発展によって、堤防を築き、堤防を強固にしてライフラインが維持されても、それを上回る「想定外」の災害が襲う。

 東日本大震災もそうだし、今回の台風19号の甚大な被害もそうである。いくら人類が自然の被害を想定しても、それを超えた災害が襲うことがあるのだ。

 ただし、それは人の一生という期間を考えれば、いつでも起こるわけではなく、100年以上、それこそ1000年という長期的な時間が基準で起こっている。

 要するに、人の一生からみれば、「想定外」の天災であるというのは、ほぼ間違いない。その「想定外」の災害に遭うことは、まさに人知では計り知れない事態であり、状況であるといっていい。

 もちろん、こうした事態に遭って、それに対する対策は新たに取られていくことで、同じような災害は防ぐことができるだろうが、それでも、「想定外」の災害が絶対起こらないとは言えないのである。

 また、そうした防災対策によって、被害の拡大を阻止し、被害を減少させることはできるかもしれないが、問題は、ライフライン、環境状況だけではなく、被害に遭った人々の心のケア、精神的な復興をどのようにするか、ということである。

 数十年をかけて築いてきたもの、財産、家屋、自動車などが一遍に無くなってしまう、あとに残ったのはローンや借金の膨大な負の遺産だけということになれば、精神的な打撃、ストレスは考えられないものがある。

 そのストレスや精神的な打撃の大きさによっては、生きる気力や希望を失い、そのまま立ち直れなくなってしまう可能性もある。

 これこそが大きな問題ではないだろうか。人は、食料が少なくなっても、生きていく気力があれば、何とかその危機を乗り越えることができる。

 しかし、精神的気力が無くなってしまえば、生きていく力が失われて、未来に対する希望や意志も失われてしまうことになる。

 それは極端に言えば、肉体的には生きていても、精神的には死んでいる状態と言っていいかもしれない。

 そのことは、第二次世界大戦で、日本が敗戦という焦土の中から奇跡的に復興した例を思い起こせばいいだろう。

 人間は生きる希望と力があれば、何もないところからでも、人生を再建し、未来に希望をつなぐことができるからである。

 だからこそ、防災対策やライフラインの構築とともに、精神的復興も重要であるということを認識しなければならない。

 そのことを考える上で、思い出すのは、江戸時代後期の思想家であるとともに農業指導者であった二宮尊徳の精神である。

 二宮尊徳は、幼少のころ、両親を失い、妹とともに家に取り残された。親族も助けてくれない。むしろ親の借金と土地を奪われ、明日にでも飢え死にしてもおかしくない状況に置かれた。

 そのような危機に置かれたとき、普通ならば、パニックに陥り、自暴自棄になるか、自殺するか、未来に希望を失い、絶望するしかない。

 だが、尊徳はそのどれも取らない。まず、生きていくための未来の計画を立て、近未来と将来を分けて考え、現在の生活を維持しながら、同時に将来のビジョンを立てることを決意した。

 そのために、尊徳はまずあらゆるこをして生活を維持した。近隣の農家の農作業の手伝い、現在の便利屋のような仕事、なんでもこなした。

 それだけ人の倍以上働いたので生活はできるようになったが、それだけでは将来の準備はできないので、仕事をしながら精神的な復興と将来の布石のために二つのことを実践した。

 一つは自己教育である。さまざまな知識がなければ、自己の向上を計ることはできないので、そのために勉強した。普通ならば、仕事をやっているだけで疲れ切ってしまうが、尊徳は仕事をしながら勉強したのである。

 昔よく小学校の校庭に設置されていた柴を背負って本を読んでいる二宮金次郎(尊徳)の銅像はその姿を再現したものである。

 だが、勉強をし生活ができても、それだけでは将来の借金の返済や将来の自立のための資金はできない。

 尊徳が目を付けたのは、川の河原の誰も見放した荒れ地である。その土地を許可をもらって開拓し、稲を植えて育てた。時間もないが、眠る時間を削り、必死に未来のために働いた。

 その努力の結果、数年後には数石のコメを収穫することができた。尊徳は、そのコメを売り払って借金を返済し、将来の基盤を築いたのである。

 その後、尊徳は現在の会社の再建請負人のように階級社会という制約の中で、武家の経済を立て直すカウンセラーのように、小田原藩や相馬藩、幕府の直轄地の再建を任され、多くの藩の財政を立て直した。

 その尊徳には、忘れられない多くの名言があるが、仲でも、私が印象深く覚えているのは、飢饉という天災をどのように克服していくかという言葉である。

 江戸時代は、ご存じのように、農業機械も肥料も治水も現代とは比べ物にならない時代だったので、飢饉が多発し、多くの人々が飢え死にした。

 尊徳は、そうした状況を見つめて、人は食料の危機によっては死なない、食料がないという絶望感によって死んでしまうと言っている。

 なぜなら、生きようという気力、精神力があれば、山の木の根っこをかじり、野の雑草を食っても生きていくことができるからだという。

 だから、人を殺すのは、自然ではなく、人の心に生まれる絶望感、未来に希望を失って、生きることを断念してしまうことだと述べている。

 尊徳の言葉は、現在にも通じる真理が含まれていると思う。われわれは、現在の厳しい環境に決して絶望してはならないのである。

 どんなときにも、希望をもって未来を見つめていくという意志こそ重要であると、改めて思うのである。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)

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