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『二十一世紀の朝鮮通信使 海路をゆく 対馬から大坂』 (7)鞆の浦

 

(7) 鞆の浦一対潮楼の眺め「日東第一」と絶賛

 日本には古い街並みが各地に残っている。鞆の浦も、その一つである。ここを舞台にした『崖の上のポニョ』をつくった宮崎駿監督は、その準備のため2カ月間、仮住まいした場所である。鞆の浦が気に入った宮崎駿監督は、地元が再開発問題で揺れた数年前、反対運動の声を上げている。
 日の出を眺めるのにいい、やや高層のホテルがある。期待して、早朝、屋上の展望風呂にあがった。弁天島、仙酔島の向こうに広がる水平線から、日があがる。その日は、雲が帯状に水平線にかかっていた。朝日が顔を出すまで、時間がかかった。湯船につかり、日の出を拝む気分は、すがすがしく気持ちがいい。
 朝鮮通信使高官が宿泊した福禅寺は、石垣で築かれた崖の上にたつ。周囲に湾岸道路がカーブを描いて走っているが、その道路は後世の埋立地。昔は崖下まで、波が打ち寄せていたそうである。
 かつて観音堂と呼ばれた福禅寺に上がる。本尊は千手観音と珍しい。眺めのいい対潮楼に真っ直ぐむかう。思わず、歓声をあげたくなる。通信使の高官を魅了した絶景。「日東第一形勝」という扁額がかかる。この言葉も、「対潮楼」という楼閣名も、ここに宿泊した通信使の高官が命名した。朝の静かな時間。10メートルは超える横長の窓枠の中に、穏やかな瀬戸内の名勝が収まっている。中国の岳陽楼にも勝るとも、劣らぬ光景と高官は称えた。
「遥かに広々と見える最上の見晴らし台に 八つの窓のすだれを天に偽せて開く 煙は浦の尽きる彼方にたなびき夕暮れの輝きにきらめく」
 趙泰億(1711年来日、通信使正使)漢詩を読み下した文であるが、情景が浮かぶだろう
か。

 

 1655(明暦元)年の通信使・従事官の南龍翼は「見聞別録」に、次のように記す。
「山号海吟山という福禅寺がある。その崖の上から下を臨めば大海の爽やかな概(おもむき)は比べるものがない。伊予の国の島々が環状に筋状に並び、西南には視界は千里雲や畑が立ったり消えたり、ただならぬ絵のような景色である。東には猿山があり、老松奇岩をもつ絶景である」
 対潮楼から見ると、対岸に浮かぶ弁天島、仙酔島の眺めが見事である。

 鞆の浦は、通信使を魅了した風光明媚な地とあって、多くの文書が伝わる。古文書解読に貢献された池田一彦さん亡き後、鞆の浦の通信使研究については戸田和吉さんが牽引している。福山市職員時代、埋蔵文化財調査などを担当した現場第一の人。一緒に歩いたコースは、福禅寺、鞆城跡と鞆の浦歴史民俗資料館、母屋や保命酒醸造蔵など9軒から成る太田家住宅、常夜灯と雁木など。ときに狭い路地を歩きながら聞いた説明には、鞆の浦への深い愛情が感じられる。
 万葉歌人によく歌われた鞆の浦。その文学的風土を愛でる「鞆の浦万葉の会」もある。福禅寺を訪れる坂本龍馬ファンもいる。「いろは丸」(大洲藩から龍馬が借りた蒸気船)が紀州藩の船と衝突して、沈没。その賠償交渉の場だったからだ。鞆の浦の見どころは多い。

【ユネスコ世界の記憶】
・福禅寺対潮楼朝鮮通信使関係資料(6点)=所蔵:福禅寺 福山市鞆の浦歴史民俗資料 館寄託

 

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【転載】『二十一世紀の朝鮮通信使 海路をゆく 対馬から大坂』(朝鮮通信使と共に 福岡の会 編)

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