記事一覧

『二十一世紀の朝鮮通信使 海路をゆく 対馬から大坂』 (6)下浦刈島

 

(6) 下蒲刈島一「御馳走一番」と称えられる

 下蒲刈島(広島県呉市)は、朝鮮通信使のもてなしで、蒲刈一番と称えられた島である。儀礼用の引き換え膳の後に出された、山海の珍味を集めた豪華膳である三汁十五菜には、通信使も驚いた。下蒲刈島には、大きな橋を渡って入り、平地の町に入る。やや小高い斜面を通るころには、左手に通信使一行を迎えた客館が帯状に広がる集落が目に入ってくる。
 三之瀬から入港すると、海岸線には通信使が上陸した福島雁木、対馬守が専ら使う対馬雁木がある。そこから上がると、当時、客館まで伸びる緋毛氈が通信使高官を誘導した。その様子を再現した模型が、御馳走一番館という資料館に陳列されていた。隣国の国王使を丁重に迎える姿勢が、伝わってくるような模型である。
 蘭島文化振興財団・松濤園が営む御馳走一番館の庭には、大きな石像が立つ。王陵を護衛する武人像である。話によると、もともとは朝鮮の品である。松の植わる庭から館の姿を眺めると、日本の楚々とした佇まいが心を和ませる。富山の古民家をわざわざ移築したものである。

 館の中には、通信使船の縮小模型、復元した饗応料理など、数多くのレプリカが並んでいる。圧巻は「朝鮮使節来朝覚図巻」である。日比(岡山県玉野市)の沖を通過する6隻の通信使船と警固する船団を細かく記録した絵巻である。四宮家に伝わる品で、長さは8メートルを越える。
 接待役の浅野藩は、第8次(1711年)の通信使を迎えるため、135隻の船と759人を三之瀬に投入している。通信使の入港は、たいてい日が落ちた頃になる。そのため、かがり火をたき、提灯に火を灯し、煌々と周囲を照らし出す。まるで、昼が戻って来たような明るさであった。

御馳走一番館=通信使に随行した対馬藩主は、下蒲刈島の接待を「安芸蒲刈御馳走一番」と絶賛した。料理を含めた接待について、広島藩の下蒲刈が最高だったという意味である。下蒲刈には、朝鮮通信使資料館「御馳走一番館」がある。通信使のうち、正使、副使、従事官の三使が口にした三汁十五菜を再現している。銀糸卵を敷いたタイの姿焼き、キジ肉のつけ焼き、鶏肉のくし焼き、タラのすまし汁、ヒラメの刺し身、カモ肉なます、厚めに切ったアワビのしょうゆ煮など。豪華な料理である。

福島雁木=福島正則が、当時、幕府の命令により、船が多数出入りする海域の警護のため、三之瀬に拠点を置いた。この雁木はその福島正則がつくったものとされている。朝鮮通信使や参勤交代する西国街道の大名も下蒲刈に寄り、ここより上陸した。作られた当時は113m11段といわれている。現在は13段、55・5m。正面に茶屋(もてなしをするところ)があったようだ。

 客館は御茶屋といい、下蒲刈島では本陣と対馬守宿所の上に設定されている。御茶屋は、雨縁・広縁をめぐらせた15畳の書院と、それに続く10畳が正使の館所。奥まった15畳が副使の間。さらに東南8畳が従事官の間となっている。通信使一行の客館は他に、上・次官小屋や、 中官小屋、下官小屋などが周辺に設定されている。
 通信使の足跡をたどり、海岸線に沿った御影石を敷き詰めた通りを歩き、雁木、常夜灯、井戸などを見学した。純日本風の家屋が立ち並ぶ姿は見事である。

【ユネスコ世界の記憶】
・朝鮮人来朝覚 備前御馳走船行烈図=所蔵:呉市(公財)蘭島文化財団管理

 

←前のページはこちら               次のページはこちら

【転載】『二十一世紀の朝鮮通信使 海路をゆく 対馬から大坂』(朝鮮通信使と共に 福岡の会 編)

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。