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秋思――虫の声と読書の秋


 

秋思――虫の声と読書の秋

 秋の気配を日ごとに感じる季節となった。

 虫の声も、セミがほとんど途絶え、秋の虫たちが暗闇から、その羽音を優雅に奏でるようになっている。

 セミのように、自分の演奏を満天下に積極的に誇示しようと高音で発するものもあれば、秋の虫のように物陰や暗闇の中で、独奏演奏をするものもいる。

 どちらがいいかということは言えないが、秋の落ち着いた気配、実りの季節には、やはりセミの声のようなうるさいような合奏よりも、秋の虫たちのバイオリンの独奏のような静かに耳を傾けたくなるようなリサイタルが快い気持ちになる。

 秋の虫の演奏を聴いていると、どこか物寂しい気分になることも確かだが、それもまた、この一年を振り返り、物事を考える時間を与えてくれる貴重な時間である。

 読書の秋でもある。この読書週間も、戦後の文化復興のために創設されたもので、もともとは秋とは無関係だったが、いつのまにか秋は読書にふさわしいというイメージが植えつけられるようになった。

 なぜ敗戦後の精神文化復興に、読書というものが重視され、それを大々的に行おうとしたのか。

 それは日本の文化発展が、中国や朝鮮半島からの書籍の輸入を通じて、その知識を学び、応用し、独自のものを生み出す契機となっていたからである。

 中国から大量に書籍を買いあさったので、日本人のそうした嗜好が当時の中国人(遣唐使などの唐の時代)から驚きをもって受け止められた。

 何よりも書籍であり、それは政治的な法律やその他のもの、たとえば詩歌などの文学的な書籍、仏教経典、技術書など、ありとあらゆるものが買い占められた。

 中には、当時の通俗小説など娯楽的な書籍もあり、今では大陸では紛失したものもあるというほどだった。

 有名なのは、当時のベストセラーだった幻想的な小説「遊仙窟」。これは仙境に遊ぶ伝奇的な小説だが、中国では本は消失していて、日本から逆輸入されたことでも知られている。

 なぜ本場で消えてしまったのか。もちろん、通俗的な娯楽小説ほど忘れ去られやすいということもあるが、それよりも、この小説が空想物語の形を借りた遊里の世界を描いたもの、要するに儒教的な倫理観や道徳観から非難されるべきポルノ小説のようなものだったという面もあるだろう。

 そんな書籍さえ、日本人は買いあさり、日本に持ち帰ったのである。

 それほど日本人は書籍を通じて、新しい流行文化を学ぼうとした。

 いい悪いは別として、そうした書物による文化形成の伝統が背景にあったことを忘れることはできない。

 日本の国家形成に大きな影響を与えた律令制度も仏教も、中国から大量にもたらされた書籍がその基本的な資料となり教科書となった。

 その教科書を通じて先進文化と文化を学び、国家の骨格を造り上げ、そして、日本的な官僚制度を創設した。

 日本の文化的な発展の原動力になったのは、渡来人などの先進文化国家からの人的輸入と技術、文化、そして、書籍という知的なツールによる精神文化復興であるといっていいだろう。

 その意味で、敗戦後の日本の荒廃に、物質的な復興も大事だが、それよりも精神的な再建や復興が大事であると、考えた先人たちの知恵は、尊いものがあり、知恵深いものだったといえよう。

 そうした伝統があったから、食べるものも大事だが、それよりも精神文化の復興を、と考えたのは当然のことだったかもしれない。

 いずれにしても、読書週間が設けられることで、敗戦の痛手に遭った日本人がもう一度、立ち上がるきっかけになったのは間違いない。

 読書の秋、というのは、その点で、食欲の秋というよりも、秋にふさわしい標語であり、内容だった。

 ところが、最近はどうだろうか。

 読書の秋とはいうものの、本を読む人口は少なくなっているといっていいだろう。

 若者の読書離れ、活字離れが言われて久しいが、まさに、読書という習慣さえなくなってきているのではないか。

 もちろん、スマホなどで電子書籍を読む若者もいることはいるだろうが、それでも、本を読むという知的な作業を経たものではなく、眺めるというビジュアル的な姿勢によって字を追っているだけではないのか、という気がする。

 私も、最近、スマホで小説などを読む機会があるのだが、その場合、どうしても文章の機微や内容の把握というよりも、ただ小説のストーリーを追うといった感じで見ていることが多い。

 自分の体験から言えば、これは読むことによって思考が深まるという実感がなく、流しそうめんをすすっているような手ごたえのなさを覚えている。

 これは、小説というジャンルに限っているせいかもしれないが、論文やその他の学術的なものを読んだら、また別な感想を得るかもしれない。

 いずれにしても、スマホだと、ページをめくるのも簡単だし、どこででもどんな時間でも、たとえば寝転んでも簡単に読めるというメリットはあるにしても、これだけでは知的な発展、思考の深まりという面からはどうだろうか。

 また、いつでもどこでも読めるということは、逆にいえば、その時間は情報の仕入れ、膨大な知識情報の検索、感覚的な刺激という側面がメリットだが、アナログな本にも、それなりの効用があることは間違いない。

 アナログな読書は、すわなちスローな読書、すなわち脳の活性化、思考、思索、思惟というプロセスになり、このゆっくりした速度は、知識を仕入れ新しい情報にふれるにはマイナスだが、脳の中で言葉や文章、論理を咀嚼し、自分なりの価値観、自分なりのオリジナリティーの思想を作り上げるには、ちょうどいい時間的経過ではないのか。

 人間の肉体的な成長がいっぺんに作り上げられず、時間をかけて幼年期から少年期、青年期、成人期という時間的プロセスを経て成長していくように、アナログの読書は、そうした時間的な成長速度と見合った速度を与えてくれるものだと思う。

 もちろん、デジタルの読書、スマホにはそれなりのメリットもあるから、両方を活用していくことが望ましいと思うのである。

 かつて、若い時期、高田馬場から早稲田大学にかけての古書店街を彷徨していたときのこと、金欠になったとき、古書店によく本を売りに行ったことを覚えている。

 その古書店主は、しみじみと、「最近の学生は本当に本を読まないねえ。昔は、よく読んだ本を売りに来たけれど、今はまじめな学生は使わなくなった教科書を売りに来るぐらい。それもここ数年で変わって、その教科書さえ買わないですます学生が増えて、われわれは上がったりですよ」と語っていたことを思い出す。

 今から数十年前の話である。今はどうなっているかわからない。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)


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