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Me Too の流れはどこまで行くのか?

 

Me Too の流れはどこまで行くのか?

金源植 平和統一聯合中央本部事務総長

 

2017 年10 月頃、アメリカのハリウッド映画界の大物であるハーヴェイ・ワインスタインのセクハラ事件が露呈された後、ハッシュタグ# Mee Too を使って、それまでの痛みと羞恥で閉じ込められていたことが暴露され、世界に拡散された。この運動が韓国政界にも影響を与えて、有力な政治家たちが公認を自主的に返納したり、拘束されたりするに至った。

 

Me Too の聖書的な根拠

聖書の創世記(3:24,4:8 ~ 16)には、アダムとエバが善悪を知る木の実を取って食べた後、彼らは恥ずかしさを感じるようになり、『神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせ』、エデンの園の東側に離れて生きていた『カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺し』『カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ』と記録がある。天の父母様(神)の愛の中で住むことができなかったアダム家庭の子供が、殺人まで犯したことは何を意味するのについて考えてみることにする。

 

帰ってきた放蕩息子

聖書には放蕩息子の話がある。ある人に二人の息子がおり、その弟が父に生前分与を要求し、受けた財産を持って遠い国に旅立ち、放蕩に身を持ち崩して財産を浪費し、窮乏した生活をする。ついには豚の餌でお腹を満たそうとしても誰も与える者がなかった。父の家に豊かな食物があることを思い出し、息子ではなく僕でも良いという思いで帰ってみると、遠くから父がその姿を見つけて抱き寄せながら、仔牛を屠って与えたという話だ。親元を離れた者の寂しさと神のあわれみ深さを知ることができる。私は、アダム家庭における殺人事件やMe Too の背景をこの「寂しさ」から来ると分析している。

 

平壌(ピョンヤン)、エルサレム

1900 年代初期、韓国キリスト教の拡散で‘ 平壌のエルサレム’ は‘ 宗教の墓場’ へ変わった。 その平壌大復興運動は、1907 年平壌チャン・テヒョン教会のキル・ソンジュ牧師が始めたキリスト教復興で、韓国の五旬節として評価されたという。
金日成主席は『回顧録 世紀とともに』で父母がキリスト教と関連があると明らかにした。また、金正恩委員長の曽祖母( 金日成主席の母親) 康盤石女史は篤いキリスト教家だったという。金日成主席は政権を取った後に、キリスト教の三位一体(聖父・聖子・聖霊) を借用して首領と党、人民が一つという三位一体を主張するようになった。その上、平壌大復興運動の聖地である‘チャン・テヒョン教会’ をなくしてしまい、父子の銅像(金日成主席・金正日総書記)を建てた後に、彼らを唯一神と信じるようにさせ、他の宗教は迷信やアヘンとして扱った。

 

政治的浄化運動

2010 年12 月17 日、モハメド・ブアジジが度重なる警察の摘発と腐敗に対する対処法をして浮き彫りになったチュニジアデモ参加者の集団行動が成功し、アルジェリア、ヨルダン、エジプト、イエメンに広まり始めた。
この影響が北アフリカと中東地域に現れたことで、「アラブの春」、「アラブの春と冬」や「アラブの自覚」などと呼ばれるようになった。 最近起きているMe Too も一筋の風のように、あちこちでFacebook などのSNS を通
じて起きている運動だ。この運動は累積されていた誤った慣行と習慣を清算する運動に変化しているようだ。

 

解怨浄化運動

韓鶴子総裁は今年1月、アフリカのセネガルを訪問し、奴隷貿易の拠点して世界遺産に登録されたゴレ島に立ち寄られ、奴隷として犠牲になった彼らを解怨する祈祷を捧げた。文鮮明総裁も存命中には、いつも天の父母様と人類の解放のために苦労の道を歩いてこられた。このご夫妻の事を、家庭連合では「真の父母」と呼んでいる。文総裁と韓総裁は一生を通じて、天の父母様の子供を失ってしまった痛みを解決するため、「祝福家庭」を作り、天の父母様の痛みと人間の孤独を同時に解決された。ご夫妻は真の父母の立場で、天と人間を父母と子女として結び付けてくださり、天の父母様に侍り生きていく幸福を私たちに下さった。

 

創造本性に戻ろう!

結局、私たち人間は天の父母を離れ、孤独と寂しさの中で生きてきた。韓国左派の政治家や文学人が、Me Too になぜ引っかかったのかを考えてみれば、彼らは天の父母を離れ、淋しかったからではないだろうか? 今後、Me Too 運動がどこまで拡散されるかはわからない。
これからの国際情勢は、韓半島を中心に南北統一の雰囲気が熟しつつある。しかし、分断も外勢の力によって成されたように、統一もアメリカを中心とした国際環境によって成り立つかも知れない。
今日のMe Too 運動は、私たち人間が本性に戻る為の浄化運動だと考える。ゴルバチョフ大統領と金日成主席に、「神様を信じろ」とおっしゃられた文総裁の叫びを、今、もう一度考える時が到来した。その道だけが天の祝福を受け、幸せな生活を送る子女であり、兄弟姉妹になるということを忘れないで頂きたい。

 


※放蕩息子のたとえ
聖書的解釈としては、「弟」は「神に逆らった罪びと(人間)」であり、「父」は「神」または「救世主」を表す。

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