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黄七福自叙伝「在日韓国人の参政権のこと」/「民団が存在するということ」

 

黄七福自叙伝74

「ああ祖国よ 我れ平壌で叫ぶ時 祖国は統一」

 

第5章 在日同胞の将来を考えつつ

在日韓国人の参政権のこと

私は、行政差別撤廃運動を積極的に推進したが、その過程で、在日韓国人の参政権問題が何回となく話題にのぼった。

地方自治体レベルの参政権を要求してもいいのではないかと提起したこともあったが、時期尚早ということで、運動のテーマにはならなかった。現在は、民団の最重要課題になっている。

外国籍弁護士運動の時に、日弁連の会長と話す機会があり、会長は、「大阪が韓国人の法的地位の問題を熱烈にやっていると聞いています。みなさんの法的地位問題は、日弁連が協力できることと協力できないことがあります。出来ないことは、韓国籍のままで日本の国家政策を左右することには反対します。また日本の国家権力に韓国籍が就くことにも反対します。それ以外のことは協力します」という話だった。

裏を返して言えば、地方参政権というものは、あくまでも住んでいる地域社会の協力であって、国家権力も国家政策もなにも関知しないということであって、だからこそ、地方参政権は法的にも可能だということだった。

奈良県選出の奥野誠亮衆議院議員が一九八〇年(昭和五十五)鈴木善幸内閣で法務大臣に就任したが、彼は、韓国人の地方参政権反対の議員連盟の会長でもあった。

私は、「なんで反対するのか」と問いただした。すると、「公務員の任免権はその国の国民固有の権利だから、反対だ」というのである。

憲法第一五条は確かに「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」と規定している。

しかし、われわれが要求していることは、その任免権を剥奪するわけではない。

例えば二股に分かれた道に出くわした場合、右へ行ったらいいのか、左へ行ったらいいのかと迷った場合、よりよい方向を選ぶことの相談に預かり、地域社会を共に協力してよくしてい こうということである。

いわば日本国民と共に発展するという共生共栄精神からである。

 

民団が存在するということ

二〇〇五年六月に韓国で十九歳以上の永住外国人住民に地方選挙権を付与する法律が成立した。

そのことを受けて、民団大阪本部が同年十二月十日、JR天満駅前の天満研修センターで「韓国で外国人地方選挙権成立、日本でも早期実現を~日・韓・在日シンポジウム大阪」を開催した。

席上、民団中央本部の国際局長が、参政権獲得運動の経緯を説明した。

金敬得弁護士が誕生した経緯も、あたかも中央本部や市民団体、あるいは個人の活動による成果のごとく説明した。

私は、それに関してひとこと修正しておきたい気持になって、発言の機会を求めたが、拒絶されたから、怒鳴りつけたこともあった。

歴史は正しく教えなければならないのに、その誠意が感じられなかったからだ。

在日同胞の歴史は、やはり民団が中心でなければならないし、金敬得弁護士を最初にして、弁護士への道が開いたのは民団の活動によるものだ。

それを、個人の成果のごとく云々するのはとんでもないことだし、日本に歴史の是正を求める値打ちもないということになる。

個人の成果に帰するなら、民団は創団して六十年にもなって、その間、何十億円という経費を使って、何をやったかと問われたとき、何もしていないということになる。

それでは、余りにも子孫に恥かしいことではないか。

法的地位問題、参政権問題、等々、民団が積極的に運動したからこそ前進したのであって、個人個人は民団に協力したにすぎないというのが当然なことなのだ。そうでなければ、民団の存在価値がないということになる。

だから、私は腹が煮え繰り返ったのだ。

民団が存在し、活動したからこそ、今日の在日同胞があるということを後世の子どもに教えることが、もっとも大切なことなのだ。

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