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コロナ鬱と過去の思い出

 昔のことになる。大学に入って、しばらく経ち、五月ごろの若葉の季節だったが、学校へ行く気にもならず、しばらく家にこもり、時々、パチンコなどを打ちに行く生活をしたことがある。

 毎日、書店に行っては手ごろな文庫本を買い、その後、パチンコを打ち、買っても負けてもへとへとになって夜遅くアパートに帰り、ラジオを聴きながら本を読んでいた。

 お腹が空いたときには、混んでいる店は避け、あまり人のいない食堂に入り、野菜炒めなどを注文して食べた。

 アパートは、下町の西新井駅の近所にあり、安アパートだったせいか、いろいろな人が住んでいた。隣の酔っぱらいのおじさんは、時々、暴れては夜中じゅう怒鳴りこんでいたし、後で聞いた話では殺人事件を犯した夫を待っていた婦人も住んでいたという。

 そんな部屋から見えるのは、安アパートの建物やこぢんまりとした路地、そして、ゴミゴミとした風景だった。

 故郷からようやく脱出したが、自由になった喜びはなく、学問への情熱もなく、ただ、生きているという気持ちで生活していた。

 こんな生活をしていれば、親からのわずかな仕送りもすぐになくなり、食堂へ行く金もないので、インスタントラーメンで食いつないだ日々だった。

 そして、2、3日食べる物が無くなると、仕方がなく、東武伊勢崎線の数駅を歩いて、アパートの親戚のおばさんのところに転がり込んで食事をごちそうになったりした。

 今から考えれば、よく生きていたなあ、という感じの日々だったが、一番、堪えたのは、大学に入っても、故郷で夢見たような劇的な変化、自分自身が新しい自分に変われるのではないか、という期待が霧散してしまったことだった。

 何も変わらない。

 そうした自分の思いに絶望していた。

 要するに、今から思うと、田舎から上京して都会の生活に慣れない学生がかかる「五月病」という鬱病になっていたのだろう。

 ただ、そうなったのも私の性格もあると思うけれども、それだけではなく、当時、安保闘争で学生運動が激しかったので、大学自体がロックアウトされて、行っても学内に入ることができず、自宅待機するしかなかったせいもある。

 学内に入ることができた時もあったが、ゲバ棒を持った学生が学内をパトロールし、キャンパスでは武闘訓練として机や椅子の山をめがけて突撃をしていた。

 内ゲバも激しかったので、敵対勢力のスパイと間違われ、逃げられないように両脇を抱えられ危うく彼らのアジトに連行されそうになったこともある。

 学校へ行くのも憂鬱だし、かといって、友人もいないので、どこへも行けない。

 そこで、必然的に引きこもり状態になってしまったのだが、それから抜け出すことができたのは、やはり大学入学で上京してきていた高校時代の友人たちとの再会、そして、その部屋に押しかけ同居人のようになったことがきっかけだった。

 数カ月も自分のアパートに帰らなかったので、しまいには大家さんに鍵を変えられて、自分の部屋に入れなくなったほど。

 何とか、許してもらったが、かなりいい加減な生活をしていたと思う。

 おそらく友人の手助けがなければ、ずっと部屋にこもって、留年を繰り返して、しまいには、ホームレスのようになっていたかもしれない。

 今でも、あの時のことを思うと、心がしんと寒くなる。

一歩、間違えば果たしてどうなっていたのか。ホームレスになっていたのか。

 そのせいなのか、ホームレス関係のルポなどを見ると、思わず手が出てしまう。

 ホームレスは真摯に生きることを放棄した社会不適格者、自己責任を取れない者と見られがちだが、実際は不適格者というよりも、社会生活に心を摩滅させられて、鈍感になりきれない感性の繊細さがあるからではないか。

 人間は周囲の環境に適応できないと、その状態がきつくなり、押しつぶされそうになって気持ちが後ろ向きになったりする。

 とはいえ、これも、人によって症状が変わるから、私の陥っていた状態が、果たして鬱病と言えるのかどうかは、今になっては判断しがたい。

 最近、「コロナ鬱」という言葉を聞くことがある。

 要するに、新型コロナウイルスの感染拡大によって、いつコロナになるのかを恐れたり、ステイホームによって家にこもり、他人との接触が極度に減っていくために、社会から切り離されたような孤独感と生活の頼りなさに無力感を覚えて気力を失ってしまうことからくるようだ。

 新しい環境にすぐに適応する人もいれば、長い間、そのストレスになれることができずに、身体に異常をきたし、時には精神的に落ち込んで、そこから抜け出せなくなることがある。

 といっても、これらの症状は、ステイホームが解除され、元の社会生活に戻ることによって劇的に回復することが可能である。

 その意味では、じっと忍耐していれば、時間の経過によって解決できるのだが、どうやら、現代人は、というか、日本人は忍耐心さえすり減ってしまっているのか、わずかな期間さえ我慢できなくなっているらしい。

 カウンセリングに通ったり、薬に頼ったりする。

 何かに依存していないと不安になってしまうということなのだろう。

 これは、日本が豊かになりすぎて、温室育ちのようになってしまったこともあるだろうと思う。

 何か自分の手に負えないことがあると、すぐに心が折れてしまうのも、そうした生い立ちがあるからだと考える。

 それは若者ばかりではない。

 大人になっても、何かに挫折してしまうと引きこもりになってしまう中高年が増えているのだという。

 日本は今や高齢化社会を超えて、超高齢化社会と言ってもいいほど、高齢者が多い。

 歩いていても、喫茶店やカフェにはいっても、また会社に行っても、同世代の高齢者ばかりが目に付く。

 もちろん、若者を見かけないわけではない。

 それ以上に、高齢者の姿ばかりが多いのである。

 高齢となっても、昔の人のような泰然とした覚悟が乏しいのも、団塊の世代以降の特徴といっていい。

 そういえば、私の世代は、「無気力、無関心、無感動」の「三無主義」世代と言われたことがある。

 確かに、何事にも情熱を注ぐことができなかったあの頃を思うと、ひどく寂しい気持ちになる。

 だが、そうした時代があったからこそ、逆に今の私は価値ある人生、生きがいというものを強く意識するようになった。その意味で、人生においては無駄なものは一つもないと思う。

 (フリーライター。福嶋由紀夫)

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