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『二十一世紀の朝鮮通信使 韓国の道をゆく』 (9) 永川

 一路、釜山を目指す朝鮮通信使の一行が途中、地方都市で饗応をうけた。その一つに、慶尚北道・永川(ヨンチョン)がある。「ここは大都会である 前例通り饗宴を開き 観察使も親しく出席 各地からも大勢の者が集まった」と金仁謙の『日東壮遊歌』にはある。
 宴席では歌舞もあり、華やかな雰囲気となる。さらにメーンイベントとして、馬上才の予行演習が行われる。3代将軍家光の要請で派遣が始まり、江戸で話題をさらった朝鮮ならではの技。永川では、めったに見れない曲技とあって群衆で埋まる。もてなしを受ける通信使高官は、高台にある朝陽閣(チョヤンガク)に居座って、野原で行われる馬上才を見下ろす。
 馬上才の演目は倒立、逆立ち、仰臥など9番あり、難しい技として2疋の馬を一人で走らせる双騎馬もある。その華麗な技に、群衆から歓声があがる。川岸の上に立つ朝陽閣からの眺めがさぞかし、と思う。
 通信使の研究をする市役所職員と永川に嫁いできた北陸出身の日本人女性の案内で、市の郊外にある駅舎「長水駅 官家」を見学した。馬がつながれていた駅舎である。道を急ぐ役人を乗り替えて、次へと向かった。駅舎は、都と地方を繋ぐ紐帯役を果たした。さらには山々に設けた蜂火台も、火急のとき役立った。 「永川には、わが国でも有数の天体観測場があります」と市職員がいうので、熊本の清和村(現、山都町)を紹介した。人形浄瑠璃(文楽)で知られる山村である。姉妹提携にまで発展すればよいと思った。
 永川で、名前を残す大きな人物は、鄭夢周(チョン・モンジュ)のようである。高麗末期、混乱した国政を立て直そうと奮闘した儒学者だが、その名前を市職員から度々聞いた。永川には、鄭夢周を祀る臨阜書院があり、郷土の英雄として崇められているようだった。

朝鮮通信使関連史跡

・朝陽閣(チョヤンガク)=選別の宴と馬上才(馬の曲芸)を観覧して、楽しんだ場所
・環碧亭(ファンビョクチョン)=詩作を競ったり、妓生(キーセン)の歌や舞を楽しんだ場所
・臨皐書院(イムゴソウォン)=日本を訪ねたこともある高麗時代の儒学者、鄭夢周を祀った位牌堂

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【転載】『二十一世紀の朝鮮通信使 韓国の道をゆく』(朝鮮通信使と共に 福岡の会 編)

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