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2020年を振り返れば

 12月14日、京都の清水寺で、今年の漢字が「密」であることが発表された。 

 この結果を聞いて、なるほどと思った人は多いだろう。かくいう私も、今年の漢字は「禍」ではないか、と思っていた。 

 残念ながら一位は取れなかったものの、「禍」は「密」に続いての二位を取っているので、あながちまったく外れてしまったわけではない。 

 それほど今年は、新型コロナウイルス禍で、一年が始まり一年が終わるという印象が強い。 

 それだけコロナ禍のインパクトが強かったということでもある。 

 何しろ、会社に行って仕事をするというのが当たり前だったのが、家で仕事をしたり、リモートで会議をしたりという生活スタイルがまったく変わってしまった。 


 最初は戸惑ったものの、徐々に慣れて来た。 

 だが、慣れて来ても、同じ場所と空間で、一日を過ごし、プライベートが無くなってしまうというのは、思いがけずにストレスとなった。 

 特に、家族関係が大きく変化したことが大きい。 

 かつて、テレビのCMで、「亭主元気で留守がいい」というものが流行したことがあったことを覚えている。 

 これは夫婦関係が、顔を合わせることのない留守の時間があることによって、辛うじて保たれていたということを示しているのだろう。 

 ステイホームによって、夫婦の対立や衝突、すれ違いなどが深刻化し、離婚に至るケースも多くなっているようだ。 

 それだけ同居して家族関係を維持するというのは、大変なことであり、その努力と歩み寄り、相手のために生きるという姿勢がないかぎり、不平不満が蓄積し、どうしても我慢できなくなって爆発するということだろう。 

 コロナ禍は、そうした人間の基本的な家族関係にも、深刻な影を落としているが、これはまた、マイナス的に考えるのではなく、プラス面として受け止めるならば、家族関係や夫婦関係を見直すきっかけにもなることも間違いない。 

 もし、コロナ禍が無かったとすれば、夫婦間の距離がそのまま広がり、熟年離婚や同じ墓に入りたくない、あるいあは家族がばらばらになり、悲劇的な結果になると、尊属殺人などの事件も引き起こす可能性もあったかもしれない。 

 そうしたことを考えれば、コロナ禍を通して人生の考え方をもう一度、振り返り、夫婦とは何か、家族とは何か、人間の生きる目的は何か、を真摯に見つめ直す時間を与えられたと考えてもいいだろう。 

 テレワーク、リモートで、公私のスイッチの切り替えが難しいのは確かだが、それだけ自分のための時間を作ることはたやすい。 

 会社へ行くための準備、駅までの歩行、そして、神経をすり減らされる通勤などという時間、その分の時間を有効活用するというメリットもある。 

 人の一生で、自分ために使うことができる時間というのは限られていることを考えれば、これは貴重な宝物でもある。 

 その余剰時間を趣味や将来のための準備期間として自己啓発などに費やす人もいるかもしれない。 

 これまで、日本人は欧米に比べて仕事人間、レジャーを楽しむ、人生を謳歌するといった発想がなかったが、それは今後少しずつ変わっていかざるを得ないだろう。 

 何のために仕事をするのか、というのをただ生活して食べるための糧を得るための苦役と考えるならば、それはむなしい時間になってしまう。 

 仕事を通して、自分の能力や知識、あるいは人間関係を通じて豊かな出会いを積み重ねる、多くの経験を通して自己の枠組みを大きくして、人格を涵養するとすれば、仕事も人間関係も、そして、夫婦関係や家族関係も豊かな実りをもたらしてくれるものである。 

 人生には無駄なものがない。 

 ただ、それをどう受け止め考えるか、という前提はあるけれど、コロナ禍によって与えられた危機はチャンスでもあるのだ。 

 生活のスタイルだけではなく、文明のパラダイムさえも変えてしまったコロナ禍は天災であるとともに、人類の文明に対する挑戦でもある。 

 そう考えれば、この危機を乗り越えるにあたって、自分自身の立ち位置をもう一度、再建し、どのように今後の人生を歩むか、その指針をどう構築すべきか、おのずと個人から夫婦、家庭、そして親族などの血縁を軸とした関係を考え直していかなければなるまい。 

 コロナ禍によって生まれた新しい生活スタイル、それは盤石に見えていた会社人間としての自分をどう自立させていくか、ということでもあるだろう。 

 とはいえ、それはビジネスマンの場合であって、私のようなフリーランスで仕事をしているケースではまた、まったく違った感慨を持つ。 

 フリーライターというのは、聞こえはいいけれど、実際の仕事は何でも屋である。 

 個人的なテーマがある場合は別だが、ほとんどは依頼されるか、自分で企画を立てて売り込むとか、人脈関係から仕事を回してもらうというスタイルになる。 

 仕事としては水商売のようなタイプで、コロナ禍で「密」を避けるという前提になると、まずインタビューが直接会えないためにインタビューが難しくなる。 

 もちろん、ズームなどを使っての非対面型のインタビューは可能だが、それだと直接会って受ける人間的な個性や性格、雰囲気などがわからない。 

 ただ質問し、答えてもらうという機械的な作業に感じられて、なかなか鋭く相手に切り込むことができない。 

 切り込んでも、画面を通してなので、それによって相手の仕草・反応をなかなか判断できない。 

 これは慣れもあるかもしれないが、やはり一番は生身の人間に会って、話を聞くというのが一番である。 

 ただ、リモート・インタビューには、時空を超えたプラス面がある。 

 それはいながらにして、国境線を超えて、言語の障害があるけれども、どの国にいる人間ともインタビューできることである。 

 昔であれば、船や飛行機に乗って、相手の住むところに行かなければ話を聞けないということが無くなったからである。 

 その意味では、オンラインでつながった世界は、未来の平和な世界につながる大きな可能性を秘めた世界である。 

 この可能性を握っているのは、電子機器やパソコン、そして、デジタル的な発想に容易に反応できる若い世代であることは間違いない。 

 改めて、今年を振り返ってみると、激動の時代の転換期であると、つくづく思うのである。 

 (フリーライター・福嶋由紀夫) 

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