黄七福自叙伝80
「ああ祖国よ 我れ平壌で叫ぶ時 祖国は統一」
第5章 在日同胞の将来を考えつつ
これからの在日同胞社会のこと
民団中央本部には統一諮問委員会議が構成されていて、年に一回寄り集まって、統一に関する勉強会をしているが、周囲に気兼ねして思う存分意見が言える雰囲気ではない。
したがって、お飾りの組織という感じで、これという成果はあがっていない。
祖国の平和統一というものは、そういう”官”主導ではなく、民間が盛り上って大きな塊ができて、周囲に刺激を与えること、つまり”民”主導による運動のほうが成果が出てくるものだと思う。
という観点から、平和統一連合は、日本で二万人を動員し、本国(韓国)の五万人と合流し、さらに世界各国からの三万人と合せて十万人で、釜山、ソウル、平壌へと平和行進する壮大な計画を希望している。
そうした計画を、盧武鉉政権の政府筋に打診すると、「いや、喧嘩しないように」と、牽制気味の返事であった。
私たちは、何も喧嘩しに行くのではない。私が平壌で叫ぶことができる日が統一される日だと、そう確信しているからだ。
それが私の最後の夢であり、その夢を是非とも実現して、私の人生を終わりたいと願っている。
いま、それ以上の欲はないし、私の人生がある限り、その夢の実現に、気概をもって取り組んでいきたいと念じている。
私が民団大阪本部の団長のとき、三八度線の見学に、日本人も大勢連れて行った。
日本は一番近い国だし、平和だし、なに不自由なく生活している国だ。そういう国で住む人に、韓国には南北対時の緊張があり、韓国の平和なくして、日本の平和はないということを実体験してもらうのが目的だった。
当初、三八度線の見学には国連軍、情報部、韓国軍の三カ所の許可が必要だった。
それほど危険な地帯だったから、見学を希望する日本人には事前に、三八度線の一歩でも北朝鮮側へ足を踏み入れたら生命の保障がないということを周知させた。
在日同胞の学生たちも、自分の国、祖国である大韓民国がいま、どういう状態にあるのかを知ってもらうために、数多く連れて行った。しかし、本国の入国管理関係の人たちは不親切であった。
例えば、日本育ちで日本語しかわからない学生たちがパスポートを見せて韓国に入国するとき、韓国語でなにやら質問されて、日本語で聞き返したりすると、「イヌムセキ、ハングマルド、モンレ、イヌムセキ(こいつ韓国人が、韓国語もしらないのか、こいつ)」という調子だった。
そういう温情のない言葉を聴いても、学生たちはその意味がわからず、ストレスを募らせるだけだったが、ある討論会で、そうしたことが問題となり、結論として、それは国の責任だということになった。
棄民状態におかれている在日同胞に対して、実際は、韓国政府そのものが、自分の国の言葉や歴史、文化を十二分に学習させる教育環境を造成していく政策を実施していくことが必要だということであった。
在日同胞も韓国の国民であり、同じ民族であり、日本で苦労しているし、たとえ貧乏していても、国民としても民族としていっしょに生活する関係にある―。
そういう温かい政策が、なぜないのか、というのが在日同胞の偽らざる心境といえる。
自分の祖国にはじめて足を踏み入れ、感激した者もあれば、泣いた子もいる。
それだのに、そういう温情のない待遇が現実だから、私はあるとき、政府関係者に抗議したことがある。
民団も自由民主主義の路線を大きく主張していき、本国の声なき国民の多くを応援すべきだが、誰もそんなことを考えていない。
ここで強く訴えたいことは、今日の大韓民国の国民が希望するのは、あくまでも自由民主主義によって、祖国が強くなり、発展していくことだ。
金正日の顔色を見て政治をするような勢力は、大韓民国のなかに存在してほしくない。これは国民の考えだし、在日もこれが本国に対する希望だということだ。肝心なことは、選挙で、そうした勢力を選ばないことだ。