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身体のバランスということ

 

 私事であるが、私は昨年末ごろから左足の膝を悪くして、仕方なく病院の整形外科で治療している。

 膝が激痛で、歩くのが困難で、医者嫌いの私でも、病院に行かざるを得なくなったという次第である。

 この膝の痛みには、突然、通りすがりの暴漢に暴力をふるわれたというような理不尽さを感じている。理解不能なのだ。

 というのも、ケガをしたわけでもなく、特に足を酷使したわけでもなく、突然、膝の激痛に襲われたという感じだからである。

 原因はわからない。

 強いて原因を挙げるとすれば、高齢者になって、全体的に身体が老化してガタをきたし、それが金属疲労となって膝の痛みになったということかもしれない。

 老化によって膝に故障が集中したのも、膝の関節が足の骨と腿の骨を折り曲げる軸のような性質を持ち、その骨の摩耗、油のような緩衝部分の関節液が減ってしまったということがあるだろう。

 これは再生が難しいので、膝を痛めている高齢者の姿はよく見かけることができる。

 それこそ、街を歩けば、杖をつき歩いている高齢者の姿が目につく。

 若い時代には、高齢者を意識したことはほとんどない。

 そういう人もいる、といった認識で、まさか、その一人に自分がなるという可能性を考えたことはなかった。

 まさに、自分自身の世界の視野に入っていなかった。

 これは私だけのことではあるまい。

 誰もが、自分がその身になってみてはじめて、その現実に向き合い、痛感する。

 事件でも、被害者になってみなければその痛みを本当の意味では理解できない、というのは本当だと思う。

 老人になって、自分の思いとはまったく別な次元で、突然、身体の異常が現れ、それが生活の質を変え、ひどいときには人生観まで変えてしまうのである。

 それまで、高齢化社会というのも、まだ自分の問題ではないと、壮年になっても、私は身近な問題として考えたことはなかった。

 老化というのは、確かに高齢者になってからつくづく感じるようになった。

 本を読んでいても、活字がよく見えなくなるという老眼、前ならば時間を意識せずに数時間集中して読書ができたのに少し読むだけで眠くなってしまう。

 徹夜をすれば、その影響が何日間も続いて体調が元に戻らない。

 階段の上り下りをするだけで、息切れをしてしまう。

 まさに、ある時を軸として、身体全体が再生のスピードを衰えさせ、ただ少しずつ機能が下がっていく。

 そのような状態で、残りの人生を歩み続けるというしかないのかもしれない。

 ただ、車にしても、長く使い続けるためには、メンテナンスをしなければ故障の原因になるように、身体も大事に使い、メンテナンスをしながら晩年を生きていくことはできる。

 膝の治療に通っている病院では、左足の膝に治療のために注射してもらい、右足の方も悪くはないのだが、同じような処方をしてもらっている。

 その上、膝を温熱療法をし、処方箋として痛みを緩和する湿布などを受けているうちに、激痛というのは徐々に収まっていった。

 とはいえ、なかなか完治とまではいかない。

 痛みを抱えつつ、杖などの補助を受けながら、生活している状態である。

 膝が悪くなると、どうしても歩行距離が長くなると、痛みがひどくなり、それが全身にまで影響してしまう。

 痛みによって、思考が健康な時とは違って、集中を失い、根気も続かず、マイナス思考に陥りやすい。

 身体の状態が精神生活に影響を与えることはわかっていたが、それがずっと長時間続くと、意欲自体が失われていく。

 その上、問題なのは、左膝の痛みが軽減されるにしたがって、それに反比例するように、健康な右膝まで影響を受けてしまうことである。

 私は悪い方が治れば、それで物事が終わりだと単純に思っていたが、事はそう簡単ではない。

 右膝はもちろん、痛み自体はないのだが、杖をついて不自然に歩いているせいか、右足全体の筋肉の作用がバランスを崩したせいか、右足の付け根から足首まで、筋肉が伸び切ったような引きつりが起こり、これがかなり痛い。

 左膝が悪いので、右足から足を運ぶのだが、地面に着地すると、ズキンとした痛みが脳天近くまで走る。

 すると、右足で踏ん張ることができず、それに引きずられるように悪い方の左足も踏ん張れないので、よろめき、まともに歩けない。

 悪い部分の左足の治療が、悪くない右足にも、その影響を与えるわけだ。

 まさに、足というのは、二本あるからこそ、その両者の微妙なバランスによって、構成され、両者がうまく機能することによって歩行ができる。

 両者の調和、バランス、それが重要であることがよくわかるようになった。

 人間の身体は、そのように左右のバランスによって成立しているということは、まさに不思議だが、それだけ精密な構造になっているということだろう。

 これを社会全体に拡大していけば、社会構造も、ただ一方的なものではなく、左右のバランスによって成立しているといえるかもしれない。

 もちろん、そのことは左右の政治的イデオロギーとは無関係であるけれども、基本的には相互関係にあるといっていい。

 大事なのは、個人の身体から家庭、社会、民族、国家まで、その基本構造になっているのは、バランスということではないか。

 家庭であれば、夫婦という単位が両者のバランスによって支えられ、その相互作用によって平和な状態を生み出すのである。

 その意味では、一方だけが悪いという事はない。

 問題があっても、両者が相互補完しながら、全体である家庭を守っていく。

 社会、国家も、そのようなバランスによって維持され、平和な世界を生み出していく。

 膝の痛みから話が大きくなってしまったが、案外、こうした個人の問題が些細なことのように見えるけれども、重要なのではないか、と思うようになったのである。

 果たして、膝の痛みが無くなってくれるかどうか心配だが、それを通して、今まで考えられなかった、さまざまな事を考えられるようになったのは、いいことなのかもしれない。

 高齢者としては、つくづくいろいろと考えてしまう昨今である。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)

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