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藤沢周平の小説のことなど

 エンターテインメントの時代小説を読んでいると、ふと日頃の鬱憤がいつのまにか晴れていることに気づくことがある。

 楽しみのために読む娯楽小説は、読んでいる最中はいいけれど、読み終わるとすっとほとんど忘れてしまう。

 時代小説以外の小説だと、読み終わったら、そこでおしまい。

 それはまるで、腹が減って食事をした後に、すっかりそのことを忘れてしまう現象に似ているといっていい。

 特にミステリーなどは、面白いけれど、それだけで終わってしまう点が食事に似ているかもしれない。

 それが普通なのだが、時代小説の場合には不思議な魅力があって、その時代の空気や人間の姿が長く記憶に残っていることが多い。

 また、ミステリーとなると、やはり殺人事件などが軸になっているので、犯人がわかってすっきりはするけれど、どこか自分の深層心理に潜んでいる殺意や憎悪などの感情を垣間見たかのような気味の悪さ、後味の悪さを感じてしまうことがある。

 犯人は殺人を犯したのだから、殺されても罰せられても仕方がない、なぜならそれが正義なのだから、といった断罪をすることによってストレスを解消するような気持ちといっていいだろうか。

 無意識な心理だろうが、自身も犯罪者を断罪するという側に立って、自身の行為を肯定するような思いがあるようなのだ。

 これは、いじめに加担する行為にも通じるものがあるのではないか。

 いじめの主役ではないけれど、傍観者になることによって、間接的にいじめる側に立っているという立場である。

 いじめる方も悪いが、いじめられる方にも原因がある、といった傍観者的な考え方がそこにはあるといっていいかもしれない。

 時代小説に戻るが、もちろん時代小説にも殺人事件はある。

 だが、時代小説は歴史的な事実ではなく、現代人の姿を過去の江戸時代などに投影した点があるので、日常生活の延長にサムライや町人たちが生きているという感じがして親しみやすいものがある(ここでは歴史小説と時代小説を区別している) 。

 とはいっても、現実そのものではなく、仮想現実、バーチャルな世界といった感覚もある。

 そんな時代小説の魅力を感じさせるのが、司馬遼太郎や藤沢周平の作品である。


 特に、藤沢周平の小説には、スーパーマンではなく、等身大の人間の息遣いといったものがあふれていて共感するものを覚える。

 たとえば、東北の小藩を殺人事件の嫌疑をかけられてやむなく脱藩して、江戸でフリーターのような用心棒のバイト生活を余儀なくされる青江又八郎を主人公とした「用心棒日月抄」シリーズは、職を失ったサラリーマンの悲哀や食べるものにも事欠く生活の様子が身近な共感を呼び寄せる。

 最初の巻では、江戸に来た又八郎が、貧乏長屋を住居として乏しくなった米櫃を見て、生活費を稼ぐために民間のハローワークである口入れ屋といった所を訪ねるところから、世知辛い生活ぶりがうかがえるようになっている。

 要するに、主人公とはいえ、食っていかなければならない。

 そのための稼業が自分の剣の腕前を使った用心棒というわけである。

 元禄時代になって、もはや武士というものの価値が下がり、商人が台頭していく時代で、用心棒稼業もそれほど楽ではない。

 最初に引き受けたものが、何者かに狙われているお妾さんの飼い犬のお守りだったし、その後、用心棒の仕事がなければ、川の浚渫などの日雇い労働者となってこき使われることもままあるのだ。

 こうした現実の世界にもあるようなフリーター生活の中で、自分が陥れられた背景を探り、そして、時代は忠臣蔵の討ち入りと重なってきな臭い事件や出来事が次々に起こって来る。

 もちろん、こうした事件は現実にはあまりあり得ないが、それがエンターテインメントとして楽しむための小説の構成要素であり、それが無ければ辛気臭いただの生活記録の報告書のようになってしまうだろう。

 日常生活の等身大の生活、そして、事件が起きると、剣の腕前でもって事件を解決するというギャップが物語を読む楽しみと喜びになっている。

 もう一つ、シリーズの主人公が年を重ねるとともに、老いていくという現実を見せてくれることである。

 小説の主人公は、エンターテインメントの場合、年齢不詳、あるいは永遠の青少年として年を取らないことが少なくない。

 年を取ってしまうと、読者が抱いていたイメージが崩れてしまうということがあるのだろう。

 その辺りに闊歩している普通のおじさんのように、主人公が理想的な世界に生きるヒーローではなくなってしまうということになってしまうのである。

 要するに読者を幻滅させてしまうのである。

 ところが、藤沢周平の小説では、そうした幻滅感はあまりない。

 むしろ自分と同じように年を取り、そして高齢者にはよく起きる症状、体力が無くなったり、足腰が弱ったり、身体のどこかが悪くなって思うような行動ができない、など身近な人物という感じがする。

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 定年退職後の武士の老年を扱った『三屋清左衛門残日録』などは、その代表的なものだろう。

 加齢によって職を返上して、自由な時間を楽しむといったつもりでいたのが、充実した時間を過ごすというよりも何もない空虚さに戸惑うといった老境の心理が生き生きと描かれている。

 まさに、現在の高齢者が定年退職後に、余生を趣味に生きる時間があたっぷりあると思っていたのに、それがそうではないという現実を知って取り乱してしまうケースと似ているといってよい。

 そこには自由になったことがかえって虚しさを感じさせるというサラリーマンの悲哀のようなものがそこはかとなく漂っているといっていい。

 このような読者の共感を呼ぶところが藤沢周平の時代小説の魅力であり、時々、読み返してみたくなる点である。

 (フリーライター・福嶋由紀夫) 

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