旅という文化
奇妙なことだが、私は休日には家にいることが多い。
要するに出不精なのだが、旅が好きである。旅といっても、引きこもり気味なので、あまり旅をする機会がないので、もっぱら旅関係の紀行文を読んだり、旅関係の書籍や古本を集めて悦に入っている。
最近は、ユーチューブで、旅関係の番組などを視聴している。特に、今はまっているのは、「車中泊」というテーマで投稿された動画。
「車中泊」にはキャンピングカーが最適なのだろうが、いかんせん高価である。それで、寝泊りできる自家用車(ワゴンタイプ)を改造したもので、現地に行き、道の駅などの駐車場で車中泊を試みているのが多い。
狭い空間をいかに快適な空間にするかで、それぞれの工夫があって、そのプロセスなども紹介しているので、メーキングドラマを見ているようで面白い。
今は気候的に寒いので、寒さ対策が重要で、室内温度をいかに快適にするか、で窓の目張りや湯たんぽ、ヒーターなどを使い工夫している。
中にはこうした文明の利器、ヒーターなどの暖房器具を使わずに過ごすケースもあって、マイナス温度になる夜をいかに過ごすか、マットレス、バスタオル、寝袋の重ね着など、各人の工夫・奮闘ぶりが伝わってくる。
車中泊では、若い世代からそれこそ定年を過ぎた高齢者などもいてバラエティーに富んでいるが、驚いたのは若い女性のチャレンジャーが結構いること。しかも、結構、ベテランで全国各地を回っている。
その上、どこまでやれるかという挑戦、氷点下の豪雪地帯で車中泊にチャレンジしているユーチューバーもいる。冷や冷やしてしまうが、動画がアップされているということは、無事であったことなのだろうが、本当に安全には注意してもらいたいと思う。
それにしても、決して快適ではない車中泊をこうも喜々としてやるのだろうか。もちろん、手持ちの資金が少ないということもあるかもしれない。ホテル宿泊だと、予約、時日の制限など自由な時間ではできないということも考えられる。
だが、それ以上に、こうした旅に駆り立てる動機には、人間の深層心理にある現在いる場所から移動し遠くの場所へ行きたいという原初的な衝動があるのではないだろうか。
考えてみれば、人類文明の歴史は移動の歴史でもあった。人類の発祥は、いろいろな説があるが、今のところ、アフリカで発祥し、5万年前、あるいはそれ以上の昔にアフリカから移動を開始し、ヨーロッパ、あるいはアジアに広がっていったという説が有力である。
モンゴロイドと呼ばれるアジア人も、こうした移動の末に生まれたのだが、北のシベリアに移動をした種類と南方の東南アジア方面に向かった種類に分かれて、最後には日本において終結・和合したといえなくもない。
日本文化における思想・宗教・精神などは、島国独自に発展したというよりは、こうした大陸・半島からの波状的な渡来と混血による和合によって生まれたといっていいだろう。
もちろん、外来文化の受容と消化、そして、独自な発展というプロセスを経て、現在の日本文化を形作っているのは言うまでもない。
日本の歴史を振り返ってみても、縄文文化から弥生文化への移行、そして、飛鳥・奈良時代へと進展していく背景には、大陸・半島からの渡来人・帰化人、そして彼らがもたらした先進技術・知識・文化があったのである。
日本文化の背骨となっている仏教にしても、渡来したものであり、それを通じて、仏教文化(医療技術、建築、言語、その他)が日本人に浸透していって、縄文時代からの自然信仰、樹木や山岳信仰と混じり合い、日本固有のものが神道となって独自性を打ち出し、そして、仏教は死生観に影響を与えていった。
もともと縄文時代以来の神道は山や岩をご神体とする自然信仰で、現在の神社に見られるような拝殿などの建築物はなかった。それが仏教の寺院建築によって、同じような信仰の施設としての拝殿、本殿、舞殿などの建築施設を備えるようなったのである。
これは何も目に見える建築物だけではない。日本文化の固有の詩歌文化、すなわち万葉集のような国民的な歌集にしても、その表現の基礎になる文字は渡来した漢字からであり、またその歌い詠む対象も、半島・大陸からの渡来文化とのカルチャーショックから生まれた回帰現象(他者との衝突によって自己の独自性を認識)という側面がある。
実際、万葉集の担い手だった歌人たちも、渡来系の文化の中で、教養人・知識人として日本の自然・風景・人情というものを詠み、そして、それが発展して、日本独自の精神文化を発見していくというプロセスを経ていく。
万葉集から古今・新古今和歌集への流れは、こうした異文化との共存・消化から生まれたものである。
民族固有の文化というものは、何もないところから生まれ発展するということはない。やはり外来文化の受容と和合、そして、独自的なものとしての発展という過程を経て生まれていく。
その意味で、旅をしたいという衝動がなかったら、人類文明はこれほど発展しなかったかもしれない。改めて、旅・観光・趣味という人間の本性が、いかに大事であるかが理解できるのである。
(フリーライター・福嶋由紀夫)
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