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新春に思う 新パラダイムは言葉の革命


 

 2020年、新年を迎えると、新しい年への根拠のない漠然とした期待と、これまでと変わらないというカレンダーの年が更新されるだけという冷めた気分が入り交じった気持ちがある。

 有名な俳人の高浜虚子に、「去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの」という句がある。要するに、去年も今年も具体的な区切りがあるわけではなく、時間的にみればただ棒のようにつながっているに過ぎないという感慨を詠んだものである。

 では、昨年と今年を区切るものはないのか、というと、それは確かにあるといえばいえる。

 年を重ねることによる自身の肉体的年齢の更新(細胞の物理的な更新)や正月行事などの習俗による環境的な変化である。

 こうした正月行事のような習俗は、毎年、同じことの繰り返しのようだが、個人の人生においては、少しずつ変わっていく。

 家族のうち、両親や兄弟姉妹が冠婚葬祭によって、亡くなったり増えたりするので(子供の成長という要素もある)、帰省などによって久しぶりに会うので、その変化が実感されるようになる。

 また、故郷も、開発などによって、昔の風景から徐々に変わっていく。昔通った学校も新築されたり無くなったりすると、その変化を意識せざるを得なくなる。

 物理的な時間は変わらないが、それをめぐる人間の事情、それによって人間の意識が変化するというプロセスであるといっていい。

 その意味で、伝統的な習俗、正月行事、節目ごとの慣習を守ることで、時間の区切りと代々伝えられる伝統文化、精神を自覚する。

 まさに、習俗はそれまで伝えられた先祖からのメッセージであり、それは基本的に平和なパラダイムの継承であり、それを通じて次の時代への連続的な継続と継承へのメッセージである。

 とはいえ、伝統文化や行事、しきたりや習慣を守るということは、先例主義という弊害もあり、保守的な思考と新しいものへの拒否などにつながる面もあることも間違いない。

 長き平和を謳歌した江戸時代は、先例主義によって政治が運営され、保守的な体制を維持するためにあらゆることが構成されていた。

 それは何も江戸時代だけではなく、同じように長き平和を維持した平安時代も、先例主義を取っていた。貴族たちの日記を読むと、その記録は先例を引きながら、どのように儀式を行うか、という記述に満ちている。

 先例と違ったことをしないために、そして、その儀式をいかに次代につないでいくか、それによって自分たちの家の地位を守るということに日記は終始している場合が多い。

 これは先例を踏まえていれば、先代の時代と同じような平和を維持できるという漠然とした思いが背景にあるといっていいだろう。

 先例と違うことをやれば、それが平和の破綻になり、自分たちの地位も危うくなるという危機感といっていいかもしれない。

 そのために、記述する言葉自体も、伝統的な表現形式を守り、それを洗練させていくことはあっても、革新的な新しい表現などはほとんど使わない。

 なぜなら、新しい言語表現というものは、既存の言語体系を破壊改革する方向をたどるからである。

 言語体系の背景には、その当時の政府の体制、既存の秩序の体系があり、国家思想や社会を形成する細胞や神経組織のような性質があるから、言語が変わることは、その背景の体制が変化ないし崩壊というプロセスをたどることが多い。

 そのような事例をよく示しているのが、江戸時代という封建体制から国民国家としての体制を歩んだ明治時代の言語革命、口語運動であり、その代表的なものが文学運動である「写生」というリアリズムを提唱した文学の新潮流、芸術、文学、詩歌の革新である。

 口語運動は、たんなる近代化のための道具として現れたのではなく、時代思想、江戸時代が終わり、新しい思想の導入とともに、その同伴者として必然的に新しい表現形式、意識の変化をもたらすパラダイムとして現れたのである。

 外来の思想、西洋文明の受容は、それを理解するための新しい言語創造を生み出さなければならず、それは既存の言語表現の破壊につながらざるを得ない。

 江戸時代の戯作文や手紙文や随筆、詩歌における伝統的な表現は新しい現実に対応できないし、たとえ表現しても、その本質を伝えることができない。

 なので、表現自体が、伝統的なものから革新的なものを包含しつつ変わっていく。それは明治時代以前では、万葉集時代を考えればよく分かるのではないか。

 万葉集は、日本語による伝統的な精神文化を象徴するものとみられているが、その表現はかなり中国大陸文化や朝鮮半島からの渡来人や渡来文化の影響によって成立している。

 外来の思想によって、伝統的な日本語がそれを受け入れるために変容し、両者の混交によって万葉集の言語が生まれたといっていい。

 その意味で、明治時代における言語革命、この時代変革をリードする口語運動は、万葉集のような外来思想との衝突・その混交によって成立しているといえる。

 その運動を担ったのが、小説では戯作を否定した明治文学、特に理論的には坪内逍遥、実作者として二葉亭四迷、それを完成させたのが夏目漱石などの文豪であった。

 この口語運動の基層にあるのは、江戸時代における落語の発達、口語による演芸があることはよく知られている。

 夏目漱石などは、落語をよく聞いていたので、それを口語的な文章に生かして作品づくりをしていた。

 だが、この口語による表現が一般化されるには、国民的な普及が必要であり、それを具体的にリードしたのが、先に指摘したように、小説よりも人口が多かった、和歌や俳句などの韻文の近代化運動「写生」である。

 今の新聞短歌や俳句欄にみられるように国民の多くがたしなみ親しんでいる詩歌は、生涯一度も短歌や俳句を作ったりしたことがないという人がほとんどいないほど、国民意識を支配している。

 それを口語運動によって変えることができれば、政府が指導するよりも、国民的なレベルでの国民意識の改革が可能になる。

 その意味で、詩歌の変革をもたらした「写生」というのは単なる文学運動ではなく、言語表現における革新であり革命であった。

 それを提唱したのは、和歌と俳句の両者の近代化を推進した正岡子規である。

 正岡子規は、国民文学である和歌と俳句を従来の花鳥風月、月並み句の表現を否定し、自然観察によるリアルな写生を提唱し、様々な著作によって理論的に示し、実作もし、弟子を養成して、雑誌の「アララギ」や「ホトトギス」などに作品を載せていった。

 これらは国民的な文芸として伝統的な詩歌を排斥して、一般化し浸透していった。

 ある意味では、政財界という次元で福沢諭吉が既存の体制に対して行った近代化の改革を、文学の次元で行ったのが正岡子規なのである。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)


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