「掃き溜めに鶴」ということわざある。意味は「つまらない場所に優れたものがあること」とあり、一応誉め言葉になっている諺であるが、「わが社で彼女は掃き溜めに鶴のような存在だ」などというと、「鶴」に該当する彼女の優秀さを強調するあまり、「掃き溜め」にあたる人、(特に同じ女性)にとっては気分の良いものではないので、使い方にはくれぐれも配慮が必要であると思う。しかし、男ばかりの中で唯一の女性を表す場合など、似たような言葉で「紅一点」のように、異性や別物との比較として強調される言葉として使うのなら、
それ程配慮の心配はないようにとも思う。
だが、そもそも、「掃き溜めには鶴」という言葉があるということは、掃き溜めには鶴が居ないからなのだろう。「千石見晴らしの田でないと鶴は下りぬ」という慣用句があるように、やはり、大きく美しい鶴は広々とした場所を選ぶということである。英語で「掃き溜めに鶴」という言葉は「a jewel in dunghill」と表現されるらしい。意味は「糞の山の中に宝石」とのことで「ふさわしくない場所に素晴らしいものがある」とのことである。そうだとすると、
ひょっとしたら「掃き溜め」で表現される、不必要と思われる人の集まりの中から「鶴」のような義人が現れる日が、そろそろ・・・・来る可能性があるかもね。