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夏の冬の狂詩曲 なぜ春と秋なのか?

 真夏の猛暑の中にいると、体全体がほてっているせいか、頭が回らない。

 意識が集中しないので、扇風機を全開にしてパソコンに向かっている。

 クーラーはあるけれど、残念ながら、私が仕事をしている書斎(名前だけの部屋の一部を本棚で囲った場所)には、届かない。

 時々、ゆだってしまった身体を冷やすためにクーラーの所へ行くのだが、かえってそこから動きたくなくなってしまう。

 ついついうとうととなって気持ちが良くなって午睡を楽しんでしまう。

 気が付くと、かなりの時間が経過してしまい、焦って机に戻ると、熱してよどんだ空気がどっと貼りついてくる。

 かなり湿度が高いせいか、シャツなどの下着が汗でべたべたして気持ち悪い。

 かくして、シャワーを浴びて心機一転のつもりで、これを書いている。

 この暑さの中で思ったことは、主に古典に言えることだが、なぜ日本文学の美意識に、夏を歌う詩歌があまりないのか、春と秋に集中してしまうのか、それこそ冬の歌が少ないのか(このあたりは正確で調べたことがないので憶測に近い)、不思議に思っている。

 もちろん、夏を題材にしている詩歌はある。

 ただ、それが主体となったのは、江戸時代の俳句など、庶民の文芸からであることを注目すれば、自然の四季と接していた日本人の感覚、春夏秋冬というものをどのように感じて捉えていたのか、それが大きいのではないかと考えられる。

 夏は暑いので、どうしても衣服は薄着で、しかも湿度が高い日本では、肌を多く出さないと快適に過ごせない。

 家が暑ければ夕涼みや行水などの水浴びをして過ごす。

 そんな開放的な、ある意味ではややゆるやかな人間関係、隣近所との関係が近い庶民生活ならではのことである。

 こうした時代背景であれば、詩歌はみやびなものよりも、平俗で卑俗なものが好まれるといっていい。

 江戸時代に流行した俳句や川柳は、その代表的な韻文といっていいだろう。

 だが、平安時代のような貴族文化では、そうした開放感に満ちた環境にはない。

 夏の暑さは大変だが、そうかといって、江戸時代の庶民のような開放的な衣装で過ごすわけにはいかない。

 どうしても、衣装自体に階級や地位などの象徴的な意味があったので、そう簡単には変えることができないのだ。

 もちろん、夏には夏なりの衣装があっただろうが、それも限界がある。

 冬も大変である。

 部屋にいても寒くてたまらないので、厚着をして(もともと十二単は重ね着なので重くて動きづらく、しかも寒さにはそれほど抵抗できない)過ごすしかない。

 どうしても詩歌を詠み、楽しむような余裕を持つことができないのである。

 そのために、比較的に過ごしやすい春や秋に、一年ぶんの詩的感情が爆発してしまうのではないか、と根拠もなく思ってしまう。

 要するに、古代の時代や平安時代には、夏と冬を快適には過ごせないことが大きいのではないか、と愚考している。

 万葉集に、歌人の額田王(ぬかだのおおきみ)が、春と秋の風景で、どちらが優れているかを判定した歌が残っているが、それはこの季節が一番過ごしやすかった、という面もあるだろうと思う。

 「冬ごもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来 鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてそ しのふ 青きをば 置きてそ嘆く そこし恨めし 秋山われは」(万葉集巻1 16)

 その判定では、春よりも秋に軍配を挙げるのだが、その理由は春は鳥も鳴き、花も咲いてきれいだけれど、草深くてよく見えないが、それに対して、秋は紅葉の色彩、それを取って見ることができるというような点で、秋に軍配を挙げている。

 とはいえ、この歌を読むと、当時の人々は遠くから見たり、楽しむことができる範囲内でしか行動していなかったことがわかる。

 山に登ったり、川で水浴びしたり、釣りをしたり、といったレジャー感覚ではなく、あくまでも春と秋という限られた期間で、薬草の採取や歌の応答のために野遊びをしていたということが伝わって来る。

 春と秋は、そうした自然の過ごしやすいことが大きいのだろう。

 春は冬の無味乾燥な世界から解放され、草花が動物が活発になるので、華やかであることが挙げられるし、秋はまた紅葉とともに実りの季節であることが、冬に入る前の収穫祭的な喜びが背景にあって、一層美しく、そして、華やかな季節であることがあるだろうと感じられる。

 とはいえ、そうした季節感と同時に、当時の人々は四季の中で織りなされる動植物のドラマにも目を向けていたに違いない。

 要するに、春夏秋冬は単なる季節の移ろいではなく、そこに自然の中に現れた神の摂理というか、生老病死という人間の一生の象徴のようなサイクルを感じて、生活していたのではないだろうか。

 たとえば、春の代表である桜の花は、ただ美しいということだけではなく、秋の稲作の豊凶を占う予祝の花として知られている一面がある。

 桜の花が満開になれば、秋の稲の収穫も豊穣になるという、事前に自然を通して知らせてくれる神からの啓示という受け止め方をしていたのである。

 だからこそ、満開の桜の下で宴会をする意味があったのである。

 また、春は人間の一生からすれば誕生から幼少期の育ち盛りの時期であり、夏は成長期の青年期になり、そして秋は熟年の壮年期となり、そして、秋は老年期の死を迎える季節の象徴となる。

 ならば、死に当たる冬を詩歌で詠むことは古代人や王朝人には、禁忌とまではいかなくても避けたいテーマではなかろうか。

 そして、夏は詩情を感じるよりも、盛んな生き物たちの活発さが下剋上のような戦乱や争いなどを予測させ、それもまた忌避したいテーマではなかったのか、と勝手に思ったりする。

 真夏日の暑さに悲鳴を上げている高齢者の独りよがりな妄想や想像と思っていただければ幸いである。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)

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