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ヘロドトスの『歴史』について

 歴史の父と言われているのが、古代ギリシアのヘロドトスということは歴史の教科書で学ぶのでよく知られている。

 西の歴史の父がヘロドトスだとすれば、東の方の歴史の父に当たるのが、史記を書いた司馬遷ということになるだろう。

 ただ歴史家といっても、この両者はその性質が違っているといっていい。

 要約すると、ヘロドトスはギリシアの諸都市の都市国家とペルシア帝国の戦争を軸として、原因、その経過を民族の説話や風土、習俗、伝承などをちりばめて、壮大な物語のような構成でつづられている。

 中東を中心とした歴史を通してヘロドトスが描きたかったのは、東西の民族がどのような出会いをし、戦争で激突していったのか、文明の対決とその経過をつづりつつ、そこに同時代史の姿を浮き彫りにして追求していく。

 伝承や民族の説話を取り入れて、時に歴史というよりも、そこに巻き込まれた人々の姿をルポしているような臨場感があふれている。

 その意味では、「歴史」という名をもっているものの、われわれが現代で考えているような客観的な事実を記述した「歴史」というものではない。

 むしろ当時のさまざまな伝承や説話、ヘロドトスみずから見聞きした事実など、一種のフィクションを交えた歴史旅行記のようなものと言ってもいいかもしれない。

 それに対して、司馬遷の史記は、明らかに天を中心とした思想が軸になっていて、天地を支配する天帝から司馬遷の生きた時代までの歴史の経過、説話、伝承などを体系的に整理し、そして、それに人物列伝などを加えた歴史意識、思想的な批評意識が背景に横たわっている。

 どちらがいいか悪いか、ということではなく、ヘロドトスの見ようとしたもの、そして、司馬遷が歴史の中で見ようとしたものは違っているということである。

 ヘロドトスの歴史を読んでいると、生き生きした精神のはつらつとした好奇心に満ちた息遣いを感じるのだが、それはおそらく彼が物事を聞き書きしつつ、それに何らかの批評を加えようとしなかったこととも関係があるだろう。

 ヘロドトスはどちら側にも加担せず、ただありのままに感じたこと、見たことを書き残しているといった印象を受けるのである。

 もし、みずからがペルシアとの戦争に遭遇していなかったら、こうした記録を残そうと思ったかどうか。

 おそらくこうした膨大な物語を書こうとは思っていなかったのに違いない。

 それほどギリシアとペルシアの戦争が、異質であり、衝撃的であり、文明の衝突に知的な刺激を受けたと言っていいかもしれない。

 私は、このヘロドトスの『歴史』をかじった程度の知識しかないけれども、記されている内容が神話的な飛躍や観念的な概念が少ないので、おそらく現代のフリーライターのように取材し、聞いた話を再現していったのではないかと思っている。

 なので、興味深いエピソードが少なくない。

 『歴史』上(岩波文庫、松平千秋訳)には、ペルシア王キュロスによって滅ぼされたリディアの王、クロイソスの話が出て来る。


 当時のリディアは、アナトリア半島(現在のトルコ)を中心に栄えた国家で、莫大な富で知られていた。

 その富強の国家であるリディアのクロイソス王は、ギリシアのデルポイの神託を信じて、強大な帝国だったペルシアに戦いを挑んだ。

 クロイソスは、神託にあった「クロイソスがペルシアに出兵いたせば、大帝国を亡ぼす」という預言した内容を信じて戦い、そして敗れて捕虜となった。

 クロイソスは、ペルシアのキュロス王に次のように語った。

 「もとはといえば、私に出兵を促したあのギリシアの神の仕業であった。平和より戦争をえらぶほど無分別な人間がどこにおりましょうや。平和の時には子が父の葬いをする。しかし戦いとなれば、父が子を葬らねばならぬのじゃ。しかし多分かくなるのが神の思召しであったのでござろう」(岩波文庫版『歴史』上)

 そして、クロイソスは、キュロス王に的確な助言をしたので、感動したキュロスは今望むものをかなえてやろうと言う。

 すると、クロイソスが望んだのは、自分の命ではなく、なぜギリシアの神が自分を騙したのか、その理由を知りたいとした。

 キュロスは、その望みをかなえさせるために、デルポイの神殿に使いを遣わした。

 すると、デルポイの神殿の巫女は、次のように託宣した。

 「下された託宣に対するクロイソスの非難は、筋違いであるぞ。ロクシアスは、クロイソスがペルシアに出兵いたせば、大帝国を亡ぼすとのみ預言された。クロイソスはそれに対し、慎重に慮(おもんぱか)るつもりであれば使いをたて、神の申される大帝国とは、己の国を指すのかそれともキュロスの国の謂(いい)であるかを訊ねさせるべきであったのじゃ。託宣の意味も悟らず、また問い直しもしなかった自分に罪を帰せるがよい」(同)

 これは正しいかどうかという問題ではなく、神から与えられる預言についての解釈をどうすべきか、という問題である。

 要するに、預言をそのまま受け止めるのではなく、それが何を意味しているのか、を正しく解釈しなければならないということだろう。

 日本でも、預言的な異言を吐く神霊(神の依り代)に対して正しく解釈するための審判役である審神者(さにわ)が立てられた。

 それは異言や預言を正しく解釈できる第三の人物が必要だったといことである。

 有名な例に古事記などに記されている巫女的な神功皇后の預言とそれをさにわした話がある。

 その神の言葉を信じなかったために、仲哀天皇が崩御したというふうに記されている。

 クロイソスに対する預言も、預言をどう解釈しなければならなかったのか、という指摘であるが、これは預言自体がアイマイであることが前提にある。

 神の預言がはっきりしてはいないということはなぜなのか。

 それは預言の性質が、100パーセント明確な指示をすれば、それは預言ではなく神の命令になるからである。

 命令を実践できなければ、それは人間が審判を受けて滅ぶしかない。

 だが、基本的に、神が与える預言はそうした命令ではなく、人間側の責任に判断を任せる部分がある。

 それを実践できなかったとしても、人間の責任であれば、そこに自己責任はあっても、神の命令に反逆したということにはならない。

 そうした神と人間との関係の一端をヘロドトスの『歴史』のエピソードから読むことができるのである。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)

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