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ナマハゲという民俗芸能の意味

 新型コロナウイルスの感染防止のために、年末や新春に行われる伝統行事や民俗芸能が中止や規模を縮小したり、あるいは開催しても密を避け消毒を徹底するという形で、ほそぼそと行われる予定のようだ。 

 来訪神行事と呼ばれる異形の神々が集落を訪れて行う東北地方の神事は、五穀豊穣を願う秋祭りとは別に、一年の厄を祓い、新しい年を健康で迎えられるように無病息災の願掛けのような性質があって、これを守って来た歴史がある。 

 特に、秋田県の男鹿半島で行われるナマハゲなどが代表的なもので、毎年のおおみそかになると、恐ろしい鬼のような面をかぶって、集落の家を訪ねて、そこにいる子供たちを脅しながら回ることで知られている。 

 大人たちは知っているので、怖がっているように見せるだけだが、子供たちにとっては、化け物や鬼が自分たちを取って食うのではないか、と心理的なトラウマになってしまっておかしくないほどの恐怖体験だ。 

 「泣く子はいねが」「悪い子はいねが」 

 というセリフをしゃべりながら子供を追い掛け回す姿は、地獄絵を見せて恐怖感を与えるだけで、到底教育的な効果は見込めそうにもないと思うのだが、こうした恐怖の体験が一種の道徳性を与えイジメなどの抑止効果があると考えられているからだろう。 

 もちろん、もう一面はこうした儀式を通じて子供の無病息災や厄を祓うという民俗的芸能の意味があることは間違いない。 

 子供を怖がらせる神事がなぜ無病息災の祭りになるのか、ふつうに考えればおかしいと思うのだが、その点は幼児や子供が昔は病死などで死にやすかったからだろう。 

 七五三の行事にしても、そうだが、子供がすこやかに成長するということは、医学が発展していなかった時代には大変難しいことだった。 

 そのために、子供が無病息災に育つような、今から考えれば、鰯の頭も信心から、と思うような風習が行われてきた。 

 子供の病死がウイルスや細菌などが媒介するということが知られていなかった時代、悪霊や呪いや悪魔のような存在が取り憑いて病気を引き起こすと信じられていたので、子供は自分の子供ではないと道端に捨てさせ、それから養子のように引き取って育てたという話もある。 

 悪霊が祟るのは、その家の家系に連なる者なので、捨て子として扱えば、その祟りの対象とはならないと考えたからだ。 

 有名な例としては、豊臣秀吉が自分の子をいったん捨てたことにし、それを拾ってきたということで、「おひろい」といった幼名を付けたことなどが知られている。 

 その意味からすれば、鬼の仮面をかぶったナマハゲが、子供たちを追いまわし、その手に握ったナタのような玩具で、あたかも傷つけたかのようにふるまうのは、それでケガをしたことにして厄を祓ったからである。 

 その点からすれば、ナマハゲは子供の無病息災やすこやかな成長を願う大人たちの一家繁栄を願った神事であるといっていい。 

 とはいえ、それではなぜ、そのような祝福を与えるナマハゲが、鬼のような仮面をかぶって脅すような民俗芸能になったのか。 

 それは、この来訪神という存在を考えなければならない。 

 来訪神とは文字通り、その土地の外から来た神々であり、そして、一年に一度訪れることによって集落に豊穣や福をもたらす存在である。 

 外から来たということは、集落にとっては異物であり、本来ならば歓迎できる存在ではない。 

 その異物を喜んで迎え入れるということは、集落にとって、不幸よりも幸福をもたらす存在でもあったということだろう。 

 元々集落の閉鎖性は、内なる平和で幸福な生活を維持するためには有効だが、同じ血が交じり合うことによる遺伝的な劣勢をもたらすので、外部からの新しい血を求めるようになるのは必然である。 

 一定数の外部との結婚が行われ、新鮮な血を入れることで、集落の活性化を果たしてきた。 

 これは集落だけではなく、拡大すれば、日本列島の文化的発展は、日本以外からの渡来人などの人的あるいは技術的な移植と流入によって発展して来たともいえるだろう。 

 異文化交流が日本文化を形成してきたのである。 

 その積極的で肯定的なものが、古代における大陸や半島からやってきた渡来人の存在、遣隋使や遣唐使などの交易と留学、そして否定的なものが朝鮮出兵のような侵略戦争になるだろうと思う。 

 以上のような点から考えるならば、外部からの血は、一面からみれば恐れの対象であるとともに、発展という活性化をもたらしてくれる幸福な要素という矛盾した二重性をもつことになる。 

 このような二面性が、ナマハゲには表れているといえるのではないか。 

 特に、秋田県の男鹿地方は、日本海の荒波を玄関口としているために、古来から多くの難破船による漂流民が訪れたと考えられる。 

 半島から渡来する同じアジア系の人々とは違って、東北地方の海岸に漂着する人々は、おそらく白人系の彫りの深い顔をした人々だった可能性がある。 

 だからこそ、ナマハゲの仮面の造作が、西洋人のような彫りの深さと誇張した造形をもって制作されたのではなかろうか。 

 そうした大陸などからの漂流民は、人々を恐れさせるとともに、集落にはない新しい文化や技術をもたらし、何よりも新鮮な血をもたらした。 

 ちょっと極端かもしれないが、秋田美人などを見ると、日本人離れした肌色と体形を感じさせるものがある。 

 現在、日本人と外国人との混血のハーフタレントがもてはやされているが、混血をすると、その両者のいい面が遺伝されて、造形的にも美的な顔になるという印象がある。 

 もちろん、その反対の可能性もあるかもしれないが、基本的には国際結婚によって、日本人離れした、いい意味での子供が生まれるということは言えるだろう。 

 このようなことを考えると、ナマハゲなどの民俗行事は、集落に変化と災いをもたらすものを芸能に昇華することで、無病息災や五穀豊穣などを招来する幸福な神事として受け入れていったということになるのだろう。 

 国際化時代の象徴と言い換えてもよい。 

 その大切な民俗芸能がコロナ禍によって、中止になったり廃れていくのは、やはり寂しいことだけではなく、悲しいことであると思う。 

 無病息災を願う神事が、コロナ禍によって感染拡大を恐れるために中止に追い込まれるというのは、よくよく考えさせられるものがある。 

 (フリーライター・福嶋由紀夫) 

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