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インドの熱風を受けて


 

インドの熱風を受けて

 真夜中、到着したインドの空港はむわっとした熱気にあふれていた。

 独特のスパイスの匂いがあたりにただよい、その匂いと熱気で、物事をうまく考えられない気がするほどだった。

 いまからどれくらい前のことだろうか。海外取材などほとんど経験のないときだったので、前途に不安を抱えながらの旅だった。

 それで、知人の住むタイにしばらく滞在したのち、インドへ向かったのだった。バンコクの空港に降り立ったときも、深夜だったので、不安だったが(迎えに来てくれるという知人が風邪をひいてしまって自力で行くことになった)、空港で安全なタクシーを紹介してもらったのだが、そのタクシーの運転手がさかんに「マサツ」という単語を乱発するので、日本とインドの経済摩擦のことかと思い、自分は経済についてはわからないと首を振ってノーということを示した。

 だが、運転手はあきらめようとはせずに、「マサツ、マサツ」と単語を連発する。そんな押し問答をしながら、知人の住む地域に到着した。

 知人にこのことを話すと、「そりゃあ、摩擦じゃなくて、マッサージのことだよ。ただのマッサージではなくて、性的なサービスのことだろうね」と笑っていた。冗談じゃないと思ったが、日本人の旅行者にはこうした強引な勧誘はよくあることらしい。

 場合によっては、犯罪に巻き込まれて殺害される危険もあるというのだった。

 今回の取材は、インドで、世界的な宗教指導者を集めての会議が開かれるというので、バンコクからインドの首都デリーの空港に降り立ったのだが、真夜中の空港は不思議なほど静かな熱狂にみちあふれていた。

 バンコクの空港での体験があったので、警戒しながら税関を潜り抜けると、人力のリキシャやタクシーの運転手たち、自称観光ガイドたちがわっと寄ってきてもみくちゃにされそうになった。

 もしそこで、現地の知人が迎えてくれなかったら、そのまま拉致されて、怪しげなホテルに連れていかれたかもしれない。それほどインドの人々は、ひよわな日本人の私には、山賊か強盗のような強引な印象を受けた。

 しかし、滞在しているうちに、インドは不思議な魅力に満ちていることを感じたのも本当だった。荒々しくむき出しの欲望がオブラートに包まれずにぶつけられるのは、大変であったと同時に、どこか爽快な感じもあって、いつも仮面をかぶっているような日本の空気とは違う、生きているという実感があった。

 滞在していたホテルでは、タクシーを呼んでもらうことがたびたびあったが、その時は警備員が対処してくれた。この警備員が、どういうわけか、体格のいいターバンをしたひげもじゃの男性だったので、まさにインド人というイメージにぴったりだった。

 しかし、この日本人がイメージするインド人像は、インド人のごく一部で、宗教的にも民族的にも、多民族社会で、言語も英語が公用語だが、さまざまな言語が話されているし、宗教も仏教、ヒンズー教、ジャイナ教、ゾロアスター教、キリスト教、イスラム教、シーク教と数多くの宗教が存在する。多民族多宗教の多神教国家がインドなのである。

 ちなみに、ターバンを巻いているのは、シーク教徒であり、その知的な面から経済界に活躍したり、好戦的な性格から軍人などに信徒が多いという。

 シーク教は、他宗教との対立と戦闘、テロなどでよく知られているが、この戦闘的な姿勢はもともとからではなく、その発展の経緯から生まれた。

 私の理解した範囲で要約して述べると、シーク教自体は、16世紀に、グル・ナーナクが始めた宗教で、ヒンズー教とイスラム教の対立の歴史から、その両者の良いところを取り入れて、宗教対立を超えた平和な共存と繁栄を願って、諸宗教は表面の違いはあっても本質は一つであるとして設立された。

 その意味では、宗教対立を超えて敵味方なく和合することを願って設立された宗教だったが、他宗教とのあつれき、信徒の迫害と虐殺などを経て、平和な教義を持ちつつも、戦闘的な集団として武器を持ち、他宗教と対立し衝突を繰り返すようになった。

 このシーク教の歴史を知ると、なぜ平和を求める宗教がやがて武器を持ち、戦争をし、殺しあうようになるかの一端が理解できる。

 家族や知人を宗教の名で迫害され、殺された恨みは、なかなか心理的に昇華できないのだ。誰でも、家族を理由なく殺害されれば(宗教の違いというだけのことで)、怒りを抑制することができず、復讐心にとらわれてしまうのは言うまでもない。

 愛と和合を説いたシーク教が、その教義と矛盾するはずの戦いへ向かったのは、家族や同じ宗教の疑似家族的なシーク教徒への絆ゆえであり、血であり、友愛からだったろう。

 要するに、宗教という疑似家族の集団は、たとえ血でつながった家族ではなくても、そこに同じ帰属意識と家族的な意識が育ち、それは時としては、本来のもっていた宗教教義を超えてしまう、矛盾を感じさせなくなってしまうということなのだろうと思う。

 それは何もシーク教だけのことではなく、キリスト教にもいえることであるし、日本の浄土真宗の一揆も、宗教という枠組みを超えて、一種の戦闘集団となっていった経緯とも重なっている。

 そうしたことを思うと、真の平和を構築するためには、従来の宗教を超えた宗教、グローバリズムの宗教思想運動が求められるといっていい。すなわち、国連を超えたグローバリズムの国連、4大宗教(キリスト教、仏教、イスラム教、ヒンズー教) を超えたグローバリズムの宗教などの出現を想定しないかぎり不可能といえるかもしれない。

 インドでは、ヒンズー教やイスラム教、シーク教の寺院を訪ねたが、特に印象的だったのは、ヒンズー教の寺院だった。

 そこではちょっと言い方が悪いが、映画の「インディージョーンズ 魔宮の伝説」に出て来た悪辣な風貌の僧侶がまくしたてるように、この寺院のすばらしさを説き、寄付(喜捨)を強要された。

 私のイメージとしては、仏教の寺院などで感動したならわずかな喜捨をすることは理解できたが、つばを飛ばしながら、喜捨しなければ帰さないといった脅迫めいた説得を受けることは想定していなかったので驚いた。

 この背景には、富める者が貧しい者に喜捨(バクシーシ)をすることは徳を積むことなので、貧しい者は堂々と喜捨を要求するという姿勢がある。要するに、「お前に徳を積ませてやるのだ」「だからカネを出せ」と言っているわけだ。

 納得できるかどうかは別として、この論理は理解できる。確かに、街で会う乞食も、堂々として喜捨を要求し、ときには、額が少ないと文句を言ってきた。

 インドの旅の終わりは、最後に有名なガンジス川の源流をたどってみようという、一種無謀な挑戦というか、思いで、さかのぼっていった。川を上っていくにしたがい、不思議な気持ちになった。

 源流に近い山の都市、リシュケシューでは、夜到着したのだが、ちょうど祭りの最中で、あたり一面がローソクや電灯、そして、インドの音楽が流れていた。

 異国で、知らない群衆にまぎれてさまざまな神像を拝む人々を見ると、宇宙でたった一人でいるような孤独で寂しい思いを味わったことを思い出す。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)


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