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【石川】尾小屋鉱山 歴史探索ツアー

記念写真
 日本でも有数の銅山として約80年(金山として採掘が始められてからは約300年)に亘り、人々の営みと共にあった尾小屋鉱山(石川県小松市)で、第7連合会の天池会主催により11月29日歴史探索ツアーが行われ、15人が参加した。かつて、小松市内から尾小屋鉱山までは鉄道が敷かれ、全国から多くの人が働きに来ていた。お店、旅館、風呂、学校など小松市の経済を支えていた地であったが、今は面影がなく、一面、木々が生い茂り、所々民家がある程度だ。今回のツアーでは、当時の様子を今に伝える資料館とその裏に採掘の状況を説明する坑道の2箇所を巡った。
 資料館では、鉱石や採掘するために使った道具、鉱山の歴史などの説明があった。その後、坑道に場所を移し、当時の様子を伺った。坑道は約600mあり、前半は明治頃の採掘を再現した鉱山歴史ゾーン、後半は戦後の昭和の採掘を再現した近代鉱山ゾーンとなっている。参加者たちは、当時の様子を聞き、採掘の大変さを感じとっていた。
 また、尾小屋で生まれ16歳までそこで育った在日コリアンの山本幸子さんから、当時の生活状況など興味深い話しを伺った。山本さんは「自分は年に2~3回、尾小屋に足を運びます。なぜなら、そこは懐かしい故郷だからです。見るもの全て懐かしさが込み上げてきます。だから写真を撮り、遠くにいる兄妹達に毎年送ってあげている」と語った。
 この地に特別な思いを持つ山本さんだが、資料館には一度も足を踏み入れたことがないという。山本さんは「命の危険が伴う仕事や厳しい仕事は、在日朝鮮人、韓国人の人たちがやってきたのです。しかし、そのことは今の尾小屋鉱山の歴史や資料、そして説明の中にも、その内容について一言も触れていません。ですから、その資料館の中に入る気持ちになれないんだ」と苦しそうに話した。
 銅を採掘するために坑道を掘るが、地下坑道は総延長160kmもあり、最上部の坑道から最下部の坑道までの落差は700m、そして坑道同士を繋ぐ立坑も10ヶ所あり、地下から地上に銅の鉱石を運ぶ事は、大変な労働が強いられてきたことは想像しただけでもわかる。多くの犠牲が伴っただろう。上から岩が落ち、下敷きになって死んだ人、火薬の作業中に亡くなった人、堀り進むため石をトロッコに入れて外に運び出す途中、トロッコに轢かれ亡くなった人。
 尾小屋鉱山の歴史を今に伝えるために小松市も、歴史編纂事業に取り組んでいるという。影に隠れて表に出てこない尾小屋鉱山採掘の土台を作った在日韓国・朝鮮人の霊を慰めるためにも、歩んで来られた足跡を明らかにしなければいけない。彼らの人に言えない労苦の数々を私たちは知って理解しなければいけない。
(7連合会・石川県事務局長 毛利)

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