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『二十一世紀の朝鮮通信使 海路をゆく 対馬から大坂』 (9)室津

 

(9) 室津-万葉歌人、豪商、井原西鶴…歴史の宝庫

 室津は江戸時代、海の宿駅として繁栄。室津港に通信使船が停泊した様子を描いた屏風絵から、ここは天然の良港と分かる。播磨風土記には、「此の泊、風を防ぐこと 室の如し」とある。「室津千軒」と言われたほど、海上交通の要衝として古くからにぎわっていた。 
 潮の香りがする街を歩く。大きな廻船問屋の建物に出合う。室津海駅である。豪商「嶋屋」を改装した館は、室津の歴史を廻船、参勤交代、江戸参府(出島・オランダ商館長)、朝鮮通信使といった4コーナーで紹介している。
 同館2階には「一期一会」と万葉歌人・山部赤人の歌を掛け軸にして掛けている。赤人の歌は、「
玉藻刈る辛荷の島に島廻する水鳥にしもあれや家思はざらむ」と白文で記されている。都を離れ、任地に向かう心境を詠んでいる。
 2階の窓を開けると、港の光景が軒先越えに見て取れる。海駅館で、職員の説明を受け、街を歩いていくと、民家の前に清十郎生家跡、室津支所(町民センター)の建物の前には「御茶屋跡」と書かれた石碑がたっている。御茶屋は、姫路藩主・池田輝政が建てた、藩主領内巡視の折の休宿使節である、通信使・高官の客館となった。

 清十郎は、近松門左衛門作の「お夏清十郎」で知られる。愛し合った姫路・宿屋但馬屋の娘・お夏と駆け落ちするものの、二人は捕まえられ、清十郎は処刑され、それがもとでお夏は発狂する。心中ものがはやった江戸時代の悲恋を題材にしている。 
 うっそうと茂った小高い山にたつ賀茂神社では、途中社務所を訪ね、通信使来航のあらましを書いた「韓客過室津録」(10メートル)を見れないものかと尋ねた。しかし、つれない。「拝観できる展示はしてません」。見たかった書は、明暦元年(1655年)冬下旬、従四品式部大輔源忠次が描いた20数行の記録書きである。
 室津には寺が多く、寂静寺、徳乗寺、浄運寺などに通信使の中官・下官が宿泊している。

 

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【転載】『二十一世紀の朝鮮通信使 海路をゆく 対馬から大坂』(朝鮮通信使と共に 福岡の会 編)

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