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黄七福自叙伝「日帝侵略路線の拡大」/「アメリカ軍のビラのこと」


 

黄七福自叙伝22

「ああ祖国よ 我れ平壌で叫ぶ時 祖国は統一」

 

第1章 祖国解放までのこと

日帝侵略路線の拡大

韓日両国の善隣関係は、明治維新になると征韓論が跋扈し、根底から覆ったばかりか、そうした善隣関係を総て隠蔽する政策を敢行した。

たとえば、鎖国時代といわれる江戸時代の、外国との窓口であった長崎の出島はよく知られているが、日本人が出国することを許された唯一の外国が朝鮮であったことを知る人は少ない。

また、善隣友好の推進者とされる雨森芳洲が釜山で朝鮮語を学んだということなどは学校教育の場に全く登場しなかった。

十九世紀に入ると、太平の夢をむさぼっていたアジア諸国の近海に、欧米諸国の軍艦が出没し、欧米列強の餌食となった。徳川幕府の幕藩体制が崩壊し、明治維新を断行した大日本帝国(日帝)は、いち早く欧米の文物を取り入れ、富国強兵を国策とした。

そして、征韓論や大東亜共栄圏構想等を振りかざし、他のアジア諸国を侵食しようと虎視眈々となった。

まずターゲットになったのが隣国、李氏朝鮮であった。一九七五年九月、日本の艦船雲揚号が一方的に 江華湾を侵犯し交戦に至った。この雲腸号事件、あるいは江華島事件ともいうこの事件が侵略のはじめである。

一八七六年には不平等の江華島条釣(日朝修好条規)を強制、締結させた。

これは日本が開国に際してアメリカに強制された不平等な日米修好通商条約という煮え湯を再現したものだった。

以後、一八八〇年四月にはソウルに日本公使館を設置、一八八二年八月にはソウルに日本軍の駐屯を認めさせる(済物浦条約)など、武力を背景にした日帝の侵略が強化されていった。

時に李氏朝鮮は勢道政治といわれ、安東金氏一族が権勢を誇っていた。その安東金氏に抗する勢力が市井の王族・李是応を担ぎ出して興宣大院君を誕生させた。

大院君は国王の生父に対する称号で、十二歳の第二子が国王の座に就いた。大院君は幼王の摂政として実権を握り、十年間にわたって諸改革を断行したが、国王の妃となった閔氏一族の勢道政治にとって代わられた。

李氏朝鮮に食指をのばす日帝は、貿易等朝鮮に対する利権を独占し、清国を後ろ盾にする閔氏一党を排斥する工作を始めた。

一八九四~九五年の日清戦争は、中国の地で戦争したかのように感じるが、朝鮮の甲午農民戦争(東学党の乱)を鎮圧するために出兵した内政干渉であり、戦場は朝鮮の地であった。

その日清戦争で清国が日帝に敗れたため、後ろ盾を失った閔氏一党はロシアに近づいたが、一八九五年、日本公使三浦梧楼の指図により、日本人と親日派朝鮮人のグループによって閔妃が暗殺された。

 

以上だが、ここで一つ補足したいのは、沸流百済の存在である。正史である『三国史記』には百済の始祖 は温祚となっているが、実際は兄の沸流で、温祚の国は今のソウルに都し、十済と称されていたのである。

沸流百済は、熊川(今の公州)に都し、栄華を誇ったが、高句麗広開土王に撃破されて、王族らは日本列島に亡命したということである。このとき、西暦四〇〇年前後だが、王仁博士も弓月王(秦氏の祖)も阿知使主(漢氏の祖)も、亡国の徒として渡来したのである。

その理由をあれこれ記すと長くなるので、これ以上は言及しないが、日本の正史である『日本書紀』も噛み砕いて読んでいけば、全く違った古代史が現出してくると思う。

 

アメリカ軍のビラのこと

アメリカと戦争になるのではないかという不安が現実となった。子ども心に、アメリカは偉大な国だと思っていたし、日本は小さい国で、牛にハエがたかったような印象だったから、日本はいずれ負けると思った。周囲の人たちも、言葉のふしぶしに、大変なことになったという気持が感じられた。

戦争が激しくなり、一人っ子でも戦争に狩り出されて、戦死することも多々あったが、

「うちの子な、戦死したわ」

と、その親は涙ひとつ流さなかった。家の中ではどうだったか知らないが、人前では決して涙を見せなかった。

そういう光景をみると、日本人が気が強いというのか、冷酷というのか、悪く言えば、鬼みたいだと思ったが、韓国人であれば、「アイゴー」と、所かまわず泣き叫ぶのが当たり前だった。

それは終戦間際のことだったが、大変な混乱期で、アメリカ軍が空中からビラを撒いたこともあった。

「朝鮮人は国に帰りたい者は早く帰れ」

という見出しで、『マリアナ情報』というタイトルをつけて、三首脳会談で日本が降伏することや、連絡船も途絶えてしまうというようなことが報じられていた。

また、『落下傘ニュース』というのもあって、「軍閥」という語句が踊っていたし、「フクちゃん」という横山隆一の四コマ漫画も掲載されていた。

『マリアナ情報』とか『落下傘ニュース』などの宣伝ビラは、アメリカ軍が戦況の実態を日本の兵士や市民に伝えて、戦意を喪失させるためのものだった。

たとえば、日本兵が両手を後頭部に当て続々投降する姿や、フンドシ一枚の裸の日本兵を正面から撮った大きな写真などが掲載されていた。

終戦前日の八月十四日にも、B二九がまたもやマリアナ情報というビラを撒いて、「今までの植民地を皆解放する」ということを載せていた。


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