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家庭の波紋が世界の光に!

 

 8月、韓国で行われた文鮮明総裁の聖和7周年記念聖和祝祭に参加した。その祝祭は「贈り物」というテーマで進行され、中でも特に重要なプログラムは「真のお母様が真のお父様に捧げられた書信」だったと思う。文総裁聖和からの7年間、本郷苑(墓地)で1000日間の侍墓生活を全うされ、私たちに話すことのできなかった事情を文総裁と語り合いながら、私たちを導いて来られたということを、手紙を通して知ることができた。平和統一聯合の皆さんが、韓鶴子総裁の心情と共に歩まれることをお願い申し上げます。

 

真のお母様が真のお父様に捧げられた書信

 愛するお父様! 慕わしいお父様! いつも共にいらっしゃるお父様! お父様が天上に入城され、もう7年の歳月が流れました。この天宙に、あなたが流された汗と涙の染み込んでいない所はありません。今日はひときわ、お父様が慕わしいです。

 聖和される1年前、お父様は90歳を超えたお年であるにもかかわらず、8回以上もアメリカに行かれましたね。ご自分の健康は全く顧みられず、ただ世界と人類のために歩まれました。「オンマ、この仕事を終わらせて時間ができたら、少し休もうね」と言われた言葉は、ついに地上では、かなうことがありませんでした。昼夜を分かたず、休まずに歩まれたお父様。私もまた、そのようなお父様に侍って生活しながら、生涯、(1日)3時間以上眠ったことがありませんでした。

 2012年、暑夏。最後、病院に入院する時も、お父様は「まだすべきことが多いのに、病院で時間ばかり過ごしてどうするんだ!」と、入院を勧めた人たちをむしろ叱られましたね。まだすべきことが、たくさん残っていました。そして急いで天正宮博物館に戻り、「今日はオンマと二人で向かい合って食事をしたいね」とおっしゃったでしょう。その時、周りの食口たちはとても不思議に思ったはずです。いつも私と一緒に座り、食事をされていましたから。

 その日、お昼の食膳を前にされたお父様は、さじを持とうともせずに、私の顔だけをじっと見つめていらっしゃいました。お父様の心の中に、私の顔を刻みつけていらっしゃったのでしょう。私はほほ笑みながら、お父様の手にさじを取ってさしあげ、おかずを召し上がっていただきました。そして、そのお姿をじっと見つめました。私も、お父様のお顔を胸に刻みつけたかったのです。

 ひときわ強い日差しが照りつける中、お父様は人の背丈以上のとても大きい酸素ボンベと共に、清平湖と清心中高等学校をはじめ、清平団地をすべて見て回られました。そして天正宮博物館に戻り、「天よ、祝福してください。終わりを結べるように許諾してくださることをお願い申し上げます」という祈祷をされました。

 その後、録音機を持ってくるようにおっしゃり、「復帰摂理の使命をすべて成し遂げた」という最後の祈祷を、私と一緒に捧げられました。

 それから、「オンマ、ありがとう! オンマ、頼んだよ!」。お父様は息苦しそうにされながらも、「本当にすまない。本当にありがとう」と、続けて話されました。私はお父様の手をさらに固く握りしめ、慰労の言葉と眼差しで安心させてさしあげました。「何も心配しないでください」。お父様はそのようにして、天の父母様の懐に抱かれました。天聖山の本郷苑で眠りに就かれました。

 お父様の聖和後、私は明け方になれば、本郷苑に上がりました。秋には激しい風が吹き荒れ、冬には大ぶりの雪が降り積もります。休むべき理由と言い訳はいくらでもありましたが、1日も欠かさず、夜明けとともに本郷苑に上がりました。聖和後40日間、朝夕に、霊前に食事を捧げ、お父様が恋しくなれば、本郷苑まで何度も往復しながら、お父様とたくさんの会話を交わしましたね。そうして、お父様のお考えが私の考えになり、私の考えがお父様のお考えになりました。

 暖かな日差しの日、風が吹く日、突然雷が鳴りどしゃぶりの雨が降る日、ぼたん雪が空を真っ白に覆う日……それでも私は、お父様の聖和後、1095日間、一度も侍墓を欠かしませんでした。また、1970年代にお父様が歩まれたアメリカのラスベガスからニューヨークまで5600キロを横断し、お父様と一緒に登ったアルプス山脈の12の峰に登りました。そうして、お父様と約束した「草創期の教会に返り、神霊と真理で教会を復興させる」という決意を固めました。

 聖和3周年に私は、これからお父様が、今まで孤独であった天の父母様(神様)を慰労してさしあげ、頌栄の対象として自由の身となられることを切に願いました。そしてお父様のために、天の父母様のために、2020年までに7カ国の国家の復帰を勝利することを決意しました。

 東から西、南から北に、私は世界を抱くため、休む間もなく巡回しました。口の中がただれ、足がむくんで立っていることさえできない困難がありましたが、私は休むことができませんでした。お父様との約束、いくらみ旨が大変でも、私の代で終わらせるという約束を守るためでした。「必ずや私が成してさしあげる。そのために、私は変わることなく歩む」と、数え切れないほど自らに言い聞かせながら、生きてきました。心にしみるほどあなたが恋しいときは、月を友として言葉を交わし、お父様のご聖体を前にして誓った約束、「私の生涯を終える日までに、天一国をこの地に定着させる」という決意を繰り返し固めながら、生きてきました。そのように生きてきたら、お父様、もう聖和7周年になりました。

 お父様はご存じですよね。お父様の聖和後は、本当に言葉では言いようのない、「私だけが残りました」という立場でした。荒漠な砂漠に砂嵐が吹き荒れ、目を開けることもできない環境で、小さな針一つを探さなければならない心情でした。しかしお父様、私は探し出しました。探し出さなければならなかったのです。

 「2020年までに7カ国を必ず復帰する」という私の決意、「すべての祝福家庭を神氏族メシヤとして天寶苑に入籍させる」という私の決意は、お父様のための、私の贈り物です。この贈り物が、そして天の父母様に対するあなたの孝情の生涯が、全世界に希望の光となることをお祈りします。

 お父様、愛しています!  
 お父様、愛しています!

 

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