記事一覧

『二十一世紀の朝鮮通信使 韓国の道をゆく』 (11) 蔚山


 秀吉軍と朝鮮・明連合軍が、厳寒のなか対峙した蔚山倭城。籠城した加藤清正は、飢餓地獄に苦しむが、援軍が包囲網を切り裂いたため脱出することができた。古くは塩浦と呼ばれた蔚山は日本と関係が深く、対日貿易の拠点(三浦の一つ)があり、日本人が滞在し倭館も存在していた。高麗末から朝鮮王朝初期(日本では室町時代)、倭寇が朝鮮半島沿岸、内陸部まで侵入し、略奪行為を働いた時代である。


 対日外交官・李芸(1373~1445、読みは「イイェ」。李藝とも書く)が活躍したのは、この頃である。蔚山に生まれ育ち、8歳のとき、母親を倭寇に拉致される悲劇に遭遇した。その経験が人生を大きく左右し、倭寇対策に取り組む外交官の道を歩み出す。地方の役人から漢城(現ソウル)で活躍する官僚にまで出世したサクセスストーリーの持ち主である。
 李芸は73歳で亡くなるが、その間、来日は四十数回、約700人の母国人を連れ戻した。このほか、日本の水車の技法、商店街の仕組み、砲術、船舶の製造法などを朝鮮に伝えた。日本を蔑視せず、社会に役立つものがあれば持ち帰った。70歳を過ぎても、李芸は対馬へ渡海している。驚くばかりの胆力と体力の持ち主であった。

 韓国では、始祖を称える末裔たちの結束力が強い。李芸も例外でなく、蔚山市内には石渓書院が整備され、その中に李芸の肖像画を安置した祠堂もある。ここを日本の学生が訪れている。その一部は、李芸の生涯を描いた日韓合作映画『李芸-最初の朝鮮通信使』(監督・乾弘明、82分)でも紹介された。李芸が通信使正使として、足利将軍を訪ねる京都までの歴史紀行。ナビゲーターを韓流スターのユンテウォンが務め、話題を呼んだ。
 蔚山に入った通信使一行は、日本への出航拠点である東萊、釜山が近づき、気もそぞろ。国内最終の目的地へ、気を引き締める。朝鮮通信使は江戸時代、日本民衆を沸かせた「韓流の元祖」といえよう。ただし、通信使は、李芸に代表されるように室町時代にも来日していた。
 蔚山は、室町の通信使を知る上では最適である。李芸の出身地であるため、史料と史跡がよく整備されている。蔚山博物館で見学した後、李芸ゆかりの史跡、石渓書院を訪ねるコースを勧めたい。


←前のページはこちら               次のページはこちら

【転載】『二十一世紀の朝鮮通信使 韓国の道をゆく』(朝鮮通信使と共に 福岡の会 編)

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

ピックアップ記事

  1. 2019.6.13

    引きこもりという過去・現在・未来

     引きこもりという過去・現在・未来 最近、高齢者による交通事故や50代になっても社会から隔絶し...
  2. 東京都本部総会

    2019.6.12

    【東京】東京都本部総会 支部で会長人事

    東京都本部は6月9日、東京新宿区の成約ビルで結成14周年も祝しながら、総会を開催。
  3. 2019.6.12

    【近畿】龍谷大学 李相哲先生から学ぶ

    李相哲先生を囲む京都有識者時局懇談会(主催:日韓トンネル推進京都府民会議)が6月2日、京都市内のキ...
  4. 2019.6.12

    【広島】原爆の痛みから核の無い世界を訴える ひろしまサランバンカフェ

     在日同胞の人生を伺うサランバンカフェ(主催:平和統一聯合広島県本部)が6月6日広島市内で行われ、...
  5. 2019.5.28

    【東京】民間で日韓友好 朝鮮通信使関連行事

     第7次21世紀の朝鮮通信使友情ウォーク(主催:(社)日本ウォーキング協会、(社)韓国体育振興会、...