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平和統一聯合南北統一祈願母国研修・次世代と共に

戦争の怖さ、平和と自然の尊さを学ぶ

昨年に続き、平和統一聯合の全国役員を対象に、民族性の昂揚と南北平和統一の促進を図るため、10月20日から23日までの3泊4日の日程で、韓国と北朝鮮の軍事境界線周辺を訪れ、平和について考える研修が開催された。参加者37人。今回の特徴は、長年にわたり平和統一聯合で役員を務めてきたベテランだけでなく、この運動を次世代へとつなぐため、第2連合会(北海道・東北)で青年部長として就任したメンバーも参加した点にある。経験豊かな先輩方の知見と、新しい世代が現地で得た実感が重なり合い、化学反応を生み出した。また、インターネットメディア「LOCAL世界」の記者も同行し、その様子を伝える記事が2本出た。
 初日、一行は各地から仁川国際空港に集い、現地ガイドのキム・ヨンヒさんと合流した。この日は京畿道加平郡にある宿所(HJ天宙天寶修錬苑・親和館)へ向かう移動日で、バスの中でオリエンテーションが行われた後、姜京姫中央本部会長が参加者に向けて歓迎の辞を述べ、改めて研修の目的を語った。


 翌日、一行は朝鮮戦争と離散家族の象徴である臨津閣の「平和の鐘」前で、23回目となる「韓半島平和的統一前進大会」を開催した。天候にも恵まれ、快晴の空の下、伝統色で彩られた建物を背景に、ピンクのブルゾンを着た参加者たちの姿は、多くの外国人観光客の目を引いていた。
 式典は文源澤第5連合会事務局長の司会で始まり、戦争犠牲者と平和統一運動のために尽力した先人に対する1分間の黙祷が捧げられた。続いて「統一の歌」の斉唱が行われ、姜会長が主催者挨拶で「研修を通して戦争の怖さ、平和の尊さを感じ、今を生きる私たちが平和のために何ができるかを考える契機としてほしい。そして、自然環境を守ることの大切さも感じてほしい」と呼びかけた。続いて小泉政幸岡山県副会長と令夫人の李玉姫氏、福田光平秋田県本部青年部長が登壇し、決意を込めて告天文を朗読した。さらに姜会長と岩崎さち子奈良県本部副会長、片岡孝一岐阜県本部事務局長が「平和の鐘」の前に献花し、高洋介東東京会長の億万歳で式典は締めくくられた。その後、会長団、青年部長、各連合会の順に平和の鐘を7回突き、鐘の音に合わせて平和統一を祈った。

 大会を終えた一行は、民間人出入統制区域を行き来する坡州・臨津閣平和ゴンドラに乗り、臨津江を渡った。ゴンドラからは、眼下に鉄柵や監視哨、分断の痕跡、国の管理下で耕作が許可されている田んぼを望むことができた。
 ゴンドラを降り、展望台に向かう途中には、この地を守ってきた韓国軍部隊の部隊章がいくつも展示されている。今回の参加者の中にもその部隊に所属していた方がおり、マークの前で往時を思い起こしながら記念撮影をしていた。さらに展望台まで進むと、昨年とは少し様子が変わっていた。新たに北朝鮮側の風景を説明する展示物が設置され、坡州市文化観光解説士がDMZに関するさまざまな知識を語ってくれたため、韓国語を理解できる参加者は、学びをさらに深めることができた。


 説明を聞き終えて戻る途中、一行は、2025年12月10日まで設置されている「青蛇の年 希望リボンゾーン」で、朴銀子・沖縄県本部事務局長が持参した「平和の折り紙・千羽鶴」を結び付け、平和統一を祈った。この千羽鶴は、沖縄県の会員30人が30日間、毎日小さな折り紙1枚1枚に「南北統一」の文字を刻みながら、精誠を込めて折り上げたものだ。朴銀子事務局長は「この折り紙が南北間の平和の懸け橋になることを願っている」と語った。


 その後、一行はまだ時間があったため、朝鮮戦争停戦協定後、約50年にわたり米軍第2師団第506歩兵大隊が駐屯していた「CAMP GREAVES」を視察した。そこには、在韓米軍が実際に使用していた品々や朝鮮戦争にまつわる資料、そしてそれらをテーマにしたアート作品が展示されている。


 DMZ地域での研修を終えた一行は、今回特別に用意された「信教の自由のための平和祈祷会」に出席するためソウルへ向かった。
 行事後は夕食をはさんで、HJ天宙天寶修錬苑における天心苑特別徹夜精誠に参加し、2日目の日程を終えた。

 3日目、一行はハロウィンを記念して特別に演出された「ガピョン・ベゴニアバードパーク」で野鳥や動物、植物の美しさを楽しんだ後、江原道・鉄原のDMZで行われる研修に向けて出発した。鉄原のDMZ地域は軍が管理しているため、予約した時間以外は立ち入ることができない。
 ところが、この日は時間に余裕があり、まるで導かれるように、事前の審査やパスポートチェックが不要な「オドゥサン統一展望台」に立ち寄ることができた。


 この展望台は、ソウルを流れる漢江と臨津江の合流地点を見下ろす高台に位置し、北朝鮮までは直線距離にして約2・1キロメートルだ。「臨津江」の歌詞のとおり、水鳥が飛び交い、前方には望遠鏡越しに北朝鮮の「宣伝村」と呼ばれる街並みを望むことができた。
 その後、一行は鉄原へと移動した。この地域は朝鮮戦争時、金日成主席が南側に奪われたことを3日間も悔しがったと伝えられる場所である。大きな人工池が広がり、国家の運営を考えるうえで、稲作や畑作を行うには最も適した土地だからだ。そしてタンチョウヅルや水鳥たちの飛来する土地としても有名だ。
 その日、一行は鉄原DMZ地域を観光する他のバスや車両と列をなしながら進み、ゲートで軍人によるチェックを受けたのち、「鉄原平和展望台」に到着した。館内では、日本語の映像で、窓の外に広がる北朝鮮側の風景や戦争当時のエピソードなどを学んだ。

一歩外に出てみると、昨年とはまったく様子が違っていた。南北双方が相手側に向けて雑音のような音を流していたスピーカーが、いずれも沈黙していたからだ。ここにも、韓国側の政権交代の影響が色濃く表れていることを実感した一瞬だった。
 また、昨年訪れた第2トンネルや月井里駅は工事中のため、今回はプログラムを変更し、新たに「白馬高地」と「鉄原労働党舎」を巡ることになった。その選択には、かつて韓鶴子総裁が会員たちに、映画『高地戦』(監督:チャン・フン)を見るよう勧めていたことも背景にある。朝鮮戦争時、南北が血で血を洗う激戦を繰り広げた場所として、白馬高地、1211高地、351高地が知られているが、チャン・フン監督が「イメージを喚起した」と語っているのが、まさに白馬高地である。

現地に到着すると、坂道の両側に太極旗が並び、頂上付近には大きな太極旗が風になびいていた。更に進むと慰霊碑があり、戦争で犠牲となった部隊の兵士たちの名前が石碑に刻まれており、戦争の悲惨さや兵士たちの愛国心が改めて胸に迫り、思わず背筋を伸ばして心を正さずにはいられない瞬間でもあった。

 その後は、かつて北朝鮮軍が使用していた建物で、砲弾の跡が生々しく残る「鉄原労働党舎」を見学し、この地での研修を締めくくった。一行はソウルへの道すがら、バスの中で今回の研修の感想を語り合い、翌日、それぞれの生活の場へと帰路についた。

母国研修を振り返る ――参加者の声より――

 臨津江の穏やかな流れやのどかな田園風景の背後に、今も続く分断と軍事的緊張が横たわっていることを目の当たりにし、参加者一同、胸の痛みを覚えた。砲弾で穴だらけになったヘルメットや、弾痕が残る建物の壁は、戦争の悲惨さと離散家族の深い悲しみを、生々しく伝えていた。
 参加者同士の交流も大きな恵みであった。バスの中や食卓で交わされた地域の現状や課題、在日の歩みや苦労の証しは、日本と韓国、そして民団と朝鮮総連が1つになる未来を具体的に思い描かせてくれた。明るく温かな雰囲気の中で互いを家族のように包み合う体験を通して、「天国の文化」に触れたと語る声も多かった。
 なかには、戦争や統一問題について「勉強不足でよくわからなかった」と率直に語る若者もいたが、砲弾の跡や慰霊碑の前に立つことで、教科書では得られない実感をもって平和の尊さを学んだという声もあった。歴史の真実を知り、伝え、次世代に語り継ぐことが、自国だけでなく東アジア全体の平和につながるのだと気づかされた。
 今回の研修を通じて、参加者は「平和は制度や境界線の問題にとどまらず、一人ひとりの心の中から始まる」という確信を深めた。真の愛に基づく許しと和解の精神で心の壁を取り除き、自らが平和の出発点となること――それが民族の悲劇を終わらせ、世界平和の礎となる道だと悟ったのである。
 日本に帰った今、それぞれの持ち場で責任分担を果たし、南北が一日も早く和合し、韓鶴子総裁の解放と世界平和が実現する日を心から祈り求めていきたい。その第一歩として、日々の小さな実践と地域での草の根の対話を積み重ねていく決意である。

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