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花粉症と自然の植生の関係

 このところ、スギ花粉症で悩んでいて、鼻がつまったり喉がつまったりする。

 故郷困難になってしまうこともある。

 特に、大変なのは、朝目覚めるとき。

 痰が喉につまっていて不快感がすごい。

 眠りもそのせいで浅く、気分良く起きたことが少ない。

 憂鬱な気分がしばらく続くので、やる気にも影響を与えている。

 そんな一日の始まりは、あまり嬉しくないし、頭脳も働かないので、ぼんやりとした気分が続く。

 これは誰でもがかかっている病気(?)で、マスクをして防御している人が多い。

 自分が花粉症にいつからかかるようになったのか、思い出そうとしているが、漠然としていてわからない。

 これは私が慢性の蓄膿症であったために、鼻の通じがずっと良くなかったからである。

 すなわち蓄膿症と花粉症の時期の境界が重なっていてあいまいだから、どうしてもはっきりとした線引きができない。

 ただ言えることは、花粉症はそんなに過去にさかのぼることがないないのではないかと感じている。

 ネットのウィキペディアなどの情報では、1960年代あたりに「花粉症」という症状やその原因となるスギやブタクサの存在の報告がなされたらしい。

 スギ花粉ばかりが花粉症では強調されるが、ブタクサも花粉症では発症原因となっているのは注目される。

 スギ花粉だと春先に飛散されるが、ブタクサの場合、その後の夏以降も猛威をふるうので、重いか軽いかの程度の差はあるが、花粉症の症状自体は1年中にわたっているのである。

 そういうわけで、私は花粉症で1年中、悩まされているといっていい。

 ただそれが花粉症なのか蓄膿症なのか、という境界がわからないので、とにかく年中マスクをしていることが多い。

 花粉症が戦後まもなく発症しているということは、日本の経済的発展と関わりがあることは言うまでもないだろう。

 要するに、スギ花粉の原因である山林に杉の木が人工的に植えられてきたということがスギ花粉症の猛威の直接の原因になっているのである。

 自然の調和した環境を破壊して、人間の生活快適化のために、自分たちに都合のいい植生に自然を改変したこと。

 その自業自得の結果を私たちは花粉症として被っているのである。

 こうした自然の調和を壊して環境を改変したのは、何も山林の植生だけではない。

 動物の世界でも同じことをやっているのである。

 たとえば、沖縄などに毒ヘビのハブを駆逐するために天敵であるマングースを導入して、ハブよりも日本固有の希少動物(ウサギやその他)などがその餌食となってしまうといった皮肉な事態にも陥っている。

 文明化によって、害獣や害虫として排斥しようとして、かえって自然の生態のバランスを崩して全滅させていくという愚かな行動を繰り返しているのだ。

 たとえば、アメリカ大陸では一時、害獣であるとみなしてオオカミを排除しようとして、草食動物のシカなどが増えすぎて、草や木の葉を食い尽くして、草食動物自体が絶滅の危機を迎えたことは割合知られている。

 日本でも、畑の作物を食い尽くすシカの問題が現在、大きな問題となっているが、これもまた天敵であるオオカミが絶滅したことでバランスが崩れたためである。

 自然は肉食動物と草食動物が結果的にバランスを保っているので、どちらか一方だけを駆除したり保護したりすることは、かえって両者の絶滅という破滅への道をたどることになるのである。

 もちろん、ある程度の人工的な人間の手による調整や保護は必要だろうが、それを過剰にしてしまうと、一方だけが存続することはなく崩壊してしまうのである。

 そういうことを考えると、花粉症というのは、人間の自然改変に対する自然からの警告といっていいかもしれない。

 それは人間自体のことにも当てはまる。

 人間は健康のために、自然を開発し、改変し、人工的な快適空間である近代都市を造り上げてきたが、それがある意味で、花粉症という新しい病気を作り出しているともいえるのである。

 人間の細胞構造も、自然と同じようにちょうどいいバランスの上に作られているといっていい。

 その身体の状態を過度に人工的な要素によって変えようとすると、やはり調和が壊れてまた別な危機を招き寄せることもある。

 現在の医療体制なども、全体を調和させて回復させるよりも、ごく一部の害となる部分だけを治癒させることが眼目となっていて、かえって適応異常を起こしがちになっているという疑いもあながち否定できない。

 とはいえ、これは私個人の印象なので、間違っていることもあるだろう。

 ただ、言えることはあまり人工的な手を加えすぎると、花粉症のような自然の破壊によるさまざまな異常事態を起こすということはあるのではないかと思う。

 基本はやはり自然のバランスのように、人間の身体、肉体と精神のバランスというもの、自然治癒的な内的な精神の働きも重要である気がする。

 考えれば、現代のさまざまな病気の発症には、外的な原因よりも、精神的なストレスが大きな原因になっていることがあるからだ。

 「健全なる身体に健全な精神が宿る」というようなことわざがあるが、これは肉体と精神はバランスを保たなければ、身体が病気になり、そして精神にも悪い影響を与えるということではないか。

 精神の健康こそ今の時代には重要ではないのか、と思ったりするのである。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)

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