
地方に住んでいた青少年時代、貧しいこともあって、外の食堂やレストランで食べるということはあまり考えられなかった。
高校時代になると、そんな自分の性格がいやになって、外食をしたいと思っていた時期がある。
特に、学校帰りの街歩きをしていると、ラーメン店やレストランの商品ケースを眺めては、自分のポケットの中にある硬貨を数えては入ろうか、などと思い悩んでいた。
とはいえ、入らずにとぼとぼと家路にたどるのが普通だった。
当時の学校は外食には厳しかった。
喫茶店に入ってコーヒーを飲むというのも、禁じられていた。
今から考えられないような校則というか指導だったが、それは喫茶店だけではなく、映画も親の同伴なくしては見ることもできないような状況だった。
実際に、自分の学校の学生が、そんな不良のたまり場に出入りしていないかどうか、生徒指導担当の教師が見回りをしていたほど。
実際に指導の教師に補導されて、説教を受けた生徒もいた。
今の青少年には考えられないかもしれないが、今から半世紀前には、そんな理不尽ともいえる生徒指導がまかり通っていたのである。
もちろん、そうした生活指導ができたのも、地方都市の盛り場というか、飲食店の数がそれほど多くなく、見回ることがそれほど難しくはなかったということもあっただろう。
そういうわけなので、私が気兼ねなく、ラーメン店などに入ることができるようになったのは、大学生になってからである。
それにしても、外食をするのが不良のイメージになるというのはどうして生まれたのだろうか。
おそらく食事をするというのは、一人で食べる以外は、友人などと同伴となり、そこから高校生のあるべき勉学に励む姿から外れていきやすい、というステレオタイプなイメージがあったのかもしれない。
あるいはそんな喫茶店通いの小さな校則外れから喫茶店では満足できなくなり、本当の不良になってしまうのではないか、といった人間観があったのだろうか。
それはわからないが、確かに「朱に交われば赤くなる」といったことわざがあるように、状況によってはそうしたケースになる可能性もあることはあるだろう。
思想家の吉本隆明のエピソードには、娘が大学生にアルバイトをすると言ったら、それは不良になるから絶対ダメとして、アルバイトするぐらいなら自分がそれだけの小遣いを出すといったものがある。
その謎理論によれば、アルバイトをする、そのことがきっかけで、交友関係が広がり、それによって生活が乱れ、不良化するといったものだったと思う。
到底娘さんは納得できないものだったが、理論家だった父・吉本隆明の強い意思には抵抗は適わなかったようだ。
いずれにしても、食事はそうした性質、人間関係の情的な絆を深める要素があるといっていいだろう。
同じ釜飯を食った仲間という言葉もある。
要するに、同じ釜飯を食うような密な生活を共にした仲間の絆は強いものがあるということである。
その意味では、食事というのは人間関係を構築するには重要な要素である。
緊張していた心も、食事を共にすることで開かれる。
そういえば、最近見つけた本に、朝鮮半島の北朝鮮の食のことを書いたものがあり、興味深かった。
キム・ヤンヒ著『北朝鮮の食卓』(原書房)がそれで、サブタイトル「食からみる歴史、文化、未来」となっているように食事情を通じて、北朝鮮と韓国が平和な交流・統一することを願ったものといっていいかもしれない。
「気まずい関係でも一緒に食事をすれば親しくなるように、食べ物が創造する平和の力は弱くないと信じている」
しかし、北朝鮮に対する漏れ伝わって来る情報は、餓死者が多数出るほどの食糧難であるという。
著者は次のように語っている。
「北朝鮮を見つめる私たちの視点は両極端である。一方は、今でも食料不足で餓死する人々が大勢いると考え、もう一方は、北朝鮮の人々もコーヒーをたしなみ、頻繁に外食をするぐらいまでの消費水準に達したと考えている。食料難にあえぐ困窮した生活とピョンハッタンの華やかな日常とでは、どちらが北朝鮮の現実により近いのだろうか」
その答えについての正解を著者は次のように指摘している。
「『両方ともに北朝鮮の北朝鮮の現実を言い当てている』と言うべきだろう」
こうした現実を踏まえた上で、政治や経済関係だけではなく、同じ民族同士でありながら分断によって変わっていった北朝鮮と韓国の食事情の違いを述べている。
そして、平和の懸け橋になる可能性があるのが両国の食の交流ではないか、と考えているようだ。
そこから両国の和解と平和が生まれて来るという著者の見方は、確かにありうる平和統一への一つの道でもあるかもしれない。
本書の最後には、「和解と平和の食べ物」として南北交流の代表格である平壌冷麺や料理自体が平和の象徴であると混ぜご飯のビビンバなどについて紹介している。
そして、著者が願うのはこの北朝鮮の食事情を記したこの本を読んだ金正恩総書記が「北朝鮮の人々よりも、北朝鮮の食文化についてよく知っている」と言って、「大同江ビールを勧めてくれる」夢だという。
果たしてそれが単なる夢で終わるのか、それとも近いうちに実現するのか、それは神のみぞ知るということだろうか。
(フリーライター・福嶋由紀夫)