
姜京姫中央本部会長は、石川県本部が主催する「私から始まる平和統一 韓半島平和的統一前進大会」のために、3月1日に石川県金沢市に向かった。昨年の能登半島地震の慰問に続いて、石川県の訪問は2度目。初日は現地の観光とオンラインによる緊急会議、翌日は大会と担当者会議のスケジュールをこなした。
現地に到着した姜会長は、まずスタッフ1人ひとりに平和統一聯合の新しいバッジを付けてあげ激励した。しかし、現時点でも避難生活を続けている会員がいるという報告も聞き、心を痛められた。その後、金沢城、兼六園、玉泉園などを巡り、途中、かつて韓鶴子総裁が訪問された時に召し上がった金箔入りソフトクリームも堪能した。
この観光で巡った玉泉園を造った人物は、実は朝鮮漢城(現在のソウル)で生まれた金如鉄である。玉泉園公式ホームページ(https://gyokusen-en.net/history/)では、「豊臣秀吉が行った征韓の役で父のキム・シションが亡くなり、孤児となった如鉄を武将宇喜多秀家が日本へ連れて帰りました。関ケ原の戦いで敗れた秀家は八丈島へ流刑となりますが、如鉄は豪姫(加賀藩前田利家の4女)と金沢城へ入り、加賀藩2代藩主前田利長の正室 お永の方(隠居後の玉泉院)に育てられました。成長した如鉄は利長の近侍となって帰化。加賀藩士脇田重俊の娘婿となり、初代直賢を名乗ります。2代直能は木下順庵から学問を、千仙叟宗室から茶道を学び、3代直長は茶道の名手で夕庵と号しました。玉泉園の造園は初代直賢から始まり、4代九兵衛で完成しました」と紹介されている。
3月2日の大会には、会員関係者など120人が参加。沈吉來常任顧問の歓迎辞の後、姜会長が登壇した。姜会長は「私から始まる平和統一」と題して、韓総裁との出会いや渉外活動、平和的統一の重要性を認識し、その雰囲気を作りながら韓総裁を中心として、南北統一と世界平和が実現されなければならない事を述べた。そして、南北統一と世界平和のためには、在日同胞の2つの団体である民団系・総連系が1つとなって、平和的統一のモデルを作らなければならないとし、そのために平和統一聯合がどれほど重要であるかを強調した。最後に、林順一石川県本部会長が億万歳して閉会した。
午後からは、林石川県本部会長、韓明姫第3連合会事務局長をはじめ、現地の役員や担当者8人が参加して、担当者会議を開催。現場の活動状況に対して耳を傾けた。
一連の行事を終え、姜会長は「大会を準備してくださった沈吉來常任顧問の温かい励ましには、大変大きな感動を受けた。また、石川県担当者と会員たちの苦労と情熱にも大きな感動を受けた。そして、沈常任顧問の平和統一聯合に対する高い関心と意識が会員たちを1つにしていることを確認できた。また、会員たちが沈常任顧問を尊敬し従う姿がとても美しく印象的であった」と所感を述べた。