
最近、突然に事故で亡くなられたアイドルの中山美穂さんのことで、あるレコード会社の広報の人が語っていたことを思い出した。
最初不審死ということで、いろいろな憶測を呼んだが、最終的には事故ということで落ちついた。
私自身は、時代的にフォークソングやグループサウンズが主な若者の音楽シーンだったので、中山美穂さんのようなアイドルタレント時代とは重なっていない。
音楽的にも、アイドルに熱中した世代でもないので、それほど歌を聞いたことはないといっていいだろう。
ただ名前だけは知っていた。
よくテレビなどで登場するので、アイドルの名前だけは割合覚えていた。
だが、なぜ中山美穂さんを覚えていたかというと、あるレコード会社の広報担当の人と偶然知り合いになり、雑談の折り、その名前が出たからである。
「会社が大変だったときに、中山美穂には助けられた」
それほど経営が難しい時に、中山美穂の歌がヒットし、経営を持ち直すことができたというのである。
その声音には、会社の内部事情を知る者のリアルなホンネが色濃く漂っていた。
レコード会社というと、大手だと安定した企業のように見えるが、実際は火の車のような時期もあったのだろう。
現在、レコード全盛時代からCDに移りは不振になり、ネットで音源をダウンロードする時代となって、昔のようなスタイルではなくなった。
それで、テレビで流行歌を知り、また口ずさんでいた世代、演歌歌手の推しを追っかけていた時代の歌謡曲とは違った音楽事情が現在は存在している。
ネットに詳しくない世代、高齢者にとっては、新しい音楽シーンをなかなか受け入れることができない状況でもある。
もちろん、そこには世代間のギャップというものも存在する。
世界の最先端の音楽事情をネットでキャッチする世代と流行歌を追うことよりも、昔の歌を懐かしむ懐メロ世代とでは感性も落差があるといっていい。
歌謡曲自体も、その時代の世代とリンクして世代間ギャップの原因ともなっているのだ。
第二次世界大戦以前と以後の歌謡曲の流れを見ていると、日本史を歌によって俯瞰できるような気がするほどである。
戦前のどこか牧歌的なゆっくりとしたテンポの曲が、戦局の進展に従って、勇壮な戦意高揚を図るリズムとなり、戦後はアメリカ文化のミュージックが入り、それが新しい音楽シーンを形作っていった。
そのような音楽史を見ていくと、やはり歌は社会の世相と歩調を合わせて歩んできたことを理解できるのである。
そうして歌謡曲は世代とともに誕生し、成長し、そして衰退して忘れ去られていくプロセスをたどっていく。
そう思っていたのだが、最近は高齢世代の懐メロ感覚ではなく、新しい曲として若い世代に注目され、よく聞かれるようになっている風潮があることを知った。
懐かしいのではなく、新しいものとして受け入れられているのは、驚きでもあるが、もう一面では理解できないことはない。
古いとか新しいという感覚自体が、時代や社会の世相の反映だからで、古かったものも時代を過ぎれば、目新しいものとして改めて再発見されるからである。
価値観というものは相対的なもので、永続的なものではない。
その意味では、昔の演歌などは時代の声を封じ込めたタイムカプセルのようなものといっていいかもしれない。
しかも、歌の背景にあるのは、それが流行した時代の空気や風俗なので、歌を聞くことはその時代の空気に接することにもなる。
若い世代にはまさに自分たちが知らなかった過去の世相と接することにもなり、そこに新しいインパクトを受けるのである。
古いものとして忘れ去られつつあるものも、時間という洗礼を受けて、装いを変えて新しいものとして復活する。
それは何も歌だけではない。
衣装などのファッションも、時代とともに同伴し、そしてヒットし、やがて時代遅れのものとして忘れられていく。
だが、ある時間を経ることで、古さという感覚が消えて、新しい衣装としてインパクトをもって復活するのである。
こうしたことを考えれば、音楽というものは世代交代をしながらも、その核の部分では常に復活への芽が生き残っていることを知ることができる。
私自身、フォークソング時代の子だったので、若い時代には演歌を聞いてもピンと来なかったが、昭和時代のルポを書くことになって、背景を知るために昭和歌謡を一時聞いていたことがある。
特に、美空ひばりをよく聞いた。
以前は美空ひばりは歌はうまいが、自分の世代感覚には少しずれているので、ほとんど聞いていなかった。
ところが、一曲(今では覚えていないが)を聞いて、心の中に沁み込む清水のような新しい感動を覚えたのである。
そして、その歌を通じて、当時の世相が思い浮かんできて、書き悩んでいた状態がうそのように氷解して筆が進んだ。
まさに、歌は時代のタイムカプセルであると感じ、以来、昭和歌謡をよく聞くようになった。
昭和時代のまだ日本人の美徳の精神が横溢している世相、時代の精神が、その歌から噴水のようにあふれていたのを今でもよく記憶している。
(フリーライター・福嶋由紀夫)