
今回のツアーの目的は、民族性昂揚と南北平和統一の促進である。10 月14 日から17 日の3泊4日のスケジュールで韓国と北朝鮮の軍事境界線の地域を巡り、現場を肌で感じる研修が行われ、本部・地方の役員38 人が参加した。
10 月14 日という日は、1945年平壌でソ連解放軍歓迎市民大会が開催され、金日成主席が初の公開演説を行った日であり、1950年に文鮮明総裁が北朝鮮の興南収容所から解放された日であり、1982年に6000双の祝福式が行われた日であり、南北の分断と天の祝福を共に考える1日とも言える。
初日、仁川国際空港に集い、夜には自由参加で天心苑徹夜祈祷にも参加。平和統一聯合役員が参加していることも紹介され、姜京姫中央本部会長が億万歳を務めた。
翌日、一行は臨津閣の平和の鐘で式典を開催。現地の駐車場は、外国人観光客の大型バスでほぼ満車状態で、朝鮮半島情勢に対して世界中の耳目が集まっていることを肌で感じることができた。
式典の司会は朴星勇第1連合会事務長で、まず韓国戦争の犠牲者と平和統一運動のためにご苦労された先人に対して1分間の黙祷が捧げられた。その後、「統一の歌」を歌い、姜会長が「研修を通して、戦争の怖さ、平和の大切さを感じて、今、現在生きている私たちが平和のために何ができるかを考える契機としてほしい。そして、自然環境を守ることの大事さを感じてほしい」と主催者挨拶を行った。続いて、金盛根中央本部副会長、林吉植中央本部副会長が告天文を熱い心情で朗読した。
続いて、姜会長と美馬秀夫中央本部副会長が平和の鐘の前に献花し、李和明第1連合会会長の億万歳で幕を閉じた。その後、平和の鐘を会長団・事務局長・各連合会で鳴らし、平和統一への思いが鐘の深い響きのように広がっていった。
続いて、一行は平和ヌリ公園内の戦争遺物を見た後、臨津江(イムジンガン)をゴンドラで越えて、かつてアメリカ軍が駐在していた所に向かった。
ゴンドラ内からは基地施設の関係で一切、撮影は禁止の緊張感もあった。岸を渡ると道の周りは地雷を警告する看板もある。そして、視察していた同時間に北朝鮮では南北を繋ぐ東西の道を爆破し、南北の緊張感は更に高まった。高台に昇る道のフェンスには、この地を守ってきた韓国軍の部隊のマークが展示されていたのだが、その部隊に所属していた事務局長らもいて、当時を思い出す話も聞けた。高台に登り、右のほうに目を向けると、奥の鉄格子の先はもう北朝鮮である。その現場で、家族が北に現在もいるある会長は、胸がいっぱいの感情になっておられた。そして、ゴンドラがいまは観光で楽しく平和に使われているが、戦争となったらこれも戦争の道具として使われてしまうと言葉を漏らし、平和を願う心に満ち溢れた。
昼食後には、ガピョンベゴニアバードパークの視察とアクアガーデンでゆっくり過ごした。夜には、天心苑徹夜祈祷会に参加。李イギソン基誠苑長から平和統一聯合の目的や活動が紹介され、世界に向けて広報していただける幸いな時間を持つことができた。
翌日( 16 日)は、天正宮巡礼と民間が無許可では入ることのできない軍事的地域の鉄チョロン原の予定だったが、韓鶴子総裁から奇跡的な招待を受けた。
特別謁見は姜会長の司会で進行し、金盛根・林吉植本部副会長が花束贈呈、美馬秀夫本部副会長、東方益光本部会計、尹致重広島県本部事務局長が礼物を贈呈した後、韓総裁が「今まで、皆さんが苦労してきたことを知っています。南北の問題をおいては、日本の責任が重要なのです。天の摂理、真の父母の摂理を中心に見る時、共産世界はあり得ません。摂理の完成は、独り娘が成し遂げつつあります。皆さんは、私が信じ、愛している『私の息子、娘である』という立場で活動しなければなりません。私が地上にいる間に、皆さんが私と1つとなって天の摂理の版図を拡げていかなければなりません」と語った。その後、一行は「サランヘ」と「統一の歌」を合唱しながら平和統一への熱い決意を韓総裁に捧げた。
韓総裁との出会いの後、文総裁のお墓参りをして、一行は鉄原(チョロン)に向かった。鉄原での最初のスケジュールは、1975年に発見された北朝鮮側が韓国に攻め入るために掘られた第2地下トンネルの視察。
前日、北朝鮮が韓国と繋がる道路の一部を爆破した関係で、その日に本当に現地に入ることができるのか、軍が判断するので、不安要素もあったが、軍人から参加者全員の名簿と人数確認を済ませた後、現地入りすることができた。
この鉄原に向かう時、ガイドから様々な説明を受けた。バスは三車線の道路を走っていたのだが、実は中央の車線はコスモスの花畑になっていて、走ることはできないようになっていた。かつて、南北間で物流があった時には、すべての車線が利用されていたという。もし南北の交流が始まったら、この中央の車線も使われるようになるとのことだ。
また鉄原は、朝鮮戦争当時、激しい戦いがあった場所である。人工の貯水池と平地があり、米などの食料を生産できる地域として地政学的に重要な拠点で、最終的にこの地を国連軍側に持っていかれた金日成主席は3日間、落ち込んだという。また、前述した豊かな自然環境のおかげで、渡り鳥であるタンチョウヅルが飛来し、冬の観光名所ともなっている。
南侵トンネルについては、1953年の朝鮮戦争停戦以降にも、北朝鮮軍が掘ったとされている。韓国側では4本確認されていて、第2地下トンネルは、4 本のなかで最も規模が大きく、全長3・5㎞、地下50 ~160mで、1時間で約3万人の武装兵力が移動可能だ。発見の経緯は、1975年当時、韓国軍が夜に地下から爆破音を聞いたことに始まる。その後、地下の様子を探るために様々な機械を使ったり、ボーリングも行って、本当に地下トンネルが発見されたのだ。このトンネルには、韓国軍が調査のために仕掛けたボーリングの跡や、北朝鮮軍が掘るために爆薬を仕掛けた痕跡や逃げるために封鎖した跡がそのまま残っている。
一行はヘルメットを被って、片道約400mのトンネルを進んで行った。最初は斜めに降りていく長い階段で、降りきると、ほぼまっすぐな感じの洞窟のような道で、高さは約2m。北朝鮮軍人の身長も関係があるかもしれない。身長の高い参加者は、何度も頭をぶつけていた。坑内には安保精神を促す看板もあり、「記憶しろ!」というタイトルの物が印象的であった。本当は、トンネル内の様子を写真で紹介したかったが、撮影禁止だったので、ぜひ現場に行って体感して欲しい。
その後、一行は鉄原平和展望台に移動。室内の大きな窓ガラスからはDMZを挟んで北朝鮮側を見ることができる。そこで主要な拠点について、ビデオで説明を受けた。望遠鏡がある外の所にでると、お互いに宣伝放送をしていて「ワシャワシャ」というような感じの音がずっとなり続けている。望遠鏡からは北朝鮮の旗がはためいているのも見ることができる。本当に間近に感じる場所であった。また、館内の展示では南侵トンネルの説明や、朝鮮戦争の軍人の遺骨処理のため、DMZで作業する時、国境を分ける黄色い旗のところで、南北の軍人が握手している映像も上映されており、南北問題について考察を深める時間ともなった。
続いて、一行は朝鮮戦争で爆破され、廃止され、復元された月井里(ウォルジョンニ)駅に向かった。ここには破壊された列車の残骸が展示されている。かつて、ヨーロッパ方面、そして北側にも繋がっていた鉄道・道が破壊され、分断されているんだということを肌で感じる場所であった。
これらの日程を終えて、バスのなかで感想を共有し、ソウルのホテルで宿泊した後、すべてのスケジュールを終えた。
参加者からは、「想像していた以上の恩恵と学びでした」という声が多かった。座学ではない現地視察を通した今回の研修は、まさに「百聞は一見に如かず」である。