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安重根義士と石川啄木

 

 日本の天皇制明治政府は、軍事力をもって断行した「日韓併合-朝鮮の植民地化-の暴挙を、真っ赤に色塗りした朝鮮の地図とともに新聞報道させた。当時の有力紙『中外商業新報』(1910年8月30日号)は「若し国家の膨張発展を、国力旺盛の事実的結果となりせば、大日本帝国の斯かる膨張に対し、我国民たるもの誰か満腔の歓喜を禁じ得んや」と主張した。この日全国各地で家ごとに日の丸が掲げられ東京では花電車が走るなど、日本国中が「日韓併合」歓迎一色に染まったという。
 そのような状況のもとで、啄木は、真っ赤に色どられた新聞紙上の朝鮮地図を墨で黒々と塗りつぶしてつぎの歌をつくった。

 地図の上
 朝鮮国にくろぐろと
 墨をぬりつつ秋風を聴く

 この歌は「九月の夜の不平」と題した三十四首のうちの一首で、若山牧水の主宰する詩歌総合誌の『創作』(1911年10月号)に発表された。しかし書かれたのは、「日韓併合」の発表された1910年8月29日から数えて11後の9月9日である。この反応の早さから啄木が心の奥底から朝鮮の植民地化に反対していたことがわかる。
 さらに啄木は「日韓併合」に熱狂する日本国民の姿をつぎのように嫌悪した。

 邦人の顔たへがたく卑しげに
 目にうつる日なり
 家にこもらむ
           (歌集「一握の砂」1910年12月1日出版)

 安重根義士が伊藤博文を処断したというニュースに接した啄木は『岩手日報』の社会時評「百回通信」に「吾人は韓人の愍れむべきを知りて、未だ真に憎むべき所以を知らず」と所感を書いた。これは、啄木が安重根義士の義挙がなぜ決行されたかということを理解していたことを示している。そして、次のような歌を書いた。

 雄々しくも
 死を恐れざる人のこと
 巷にあしき噂する日よ

 ここで歌われている「死を恐れざる人」とは、明らかに安重根義士のことである。この歌は安重根義士が伊藤博文を射殺した1909年10月26日からおよそ一年半後の1910年10月13日に、そして旅順刑務所で安重根義士が殉国の最期を遂げる1910年3月26日から数えて約半年後に書かれたが、日本国中が伊藤の死を悲しみ、安重根義士を凶悪犯とののしっていた時期にこのような歌を書いたことは、社会主義者としての啄木の安重根義士への敬意のあらわれであるといえる。
 啄木は1911年6月15日に書いた長詩「はてしなき議論の後(二)」において、ロシアのナロードニキの「人民の中へ」の運動をうたい、今の日本では、そのような人民の運動が起こらないことに痛憤を吐露している。そして、この詩が書かれた殆んど同じ時期に「ココアのひと匙」と題する詩において、テロリストに強い共感を示した。

 われは知る テロリストの
 かなしき かなしき心を

 さらに、死の前年の1911年(明治44年)の夏に書かれた歌につぎのようなものがある。

 やや遠きものと思ひし
 テロリストの悲しき心も
 近ずくの日あり

 この歌と、前にあげた「ココアのひと匙」に特定されている「テロリスト」は誰のことを想定しているのであろうか。これにはいろいろな説がありうる。その一つは、ロシアの「ヴナロード」運動のナロードニキという解釈である。だが、ロシアでテロが盛んになり、皇帝アレクサンドル2世が断罪されたのは、1878年につくられ秘密地下組織「土地と自由」のテロによるもので、それは1881年のことである。この解釈は時代的背景が合わない。これとは別に大逆事件の社会主義者だとも考えられないこともない。しかし、この事件は、明治天皇暗殺を企んだというフレーム・アップであって、テロ行為とは無関係である。第三の解釈は、特定の人物ではなくテロリズム一般に対する啄木の同情(共感)というものである。しかし、啄木ははっきりと「テロリスト」という単数形でテロの実行者を特定している。ここからして安重根であると考えるのは、あながら牽強付会の説とはいえない。 
 この断定は、すでに紹介した啄木の歌「地図の上/朝鮮国にくろぐろと/墨をぬりつつ秋風を聴く」「邦人の顔たへがたく卑しげに/目にうつる日なり/家にこもらむ」「雄々しくも/死を恐れざる人のこと/巷にあしき噂する日よ」の三首を啄木のモチーフどおりに読むとき、さらには、伊藤博文射殺の報に接して『岩手日報』に寄稿した「吾人は韓人の愍れむべきを知りて、未だ真に憎むべき所以を知らず」という一文にこめられた啄木の感懐を深く斟酌するとき、「テロリスト」すなわち「安重根義士」という結論が論理的帰結として導き出されるのである。
 中野重治は、彼が文学的出発を踏み出した一九二六年に、同人誌『驢馬』に発表した優れた啄木論「啄木に関する断片」において、この詩人が社会主義者であったことを強調しつつ「俊敏にして純正を愛したこの優れた我々の詩人を虐殺したものは誰であるか」と問いかけ、それが天皇制の国家権力であると結論づけている。

 

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