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予言についての一視点

 

 これを書いているのは、クリスマスイブで、もうすぐ年の瀬になり、2019年も終わり、新しい2020年を迎える。

 「来年のことを言うと鬼が笑う」ということわざがあるが、それはたとえ近未来であっても、一寸先は闇であって、何が起こるかわからないということを示した先人の知恵であると思う。

 とはいえ、もうこの時期になれば、来年のことを考えないではいられない、というか、この時期、ユーチューブを見ると、2020年の占い・予言・予測などがなされ、スピリチュアルな話題があふれている。

 それこそ、巷(ちまた)の噂話やら、都市伝説、そして、思い込みにあふれた書き込みから、星占い、その他の占いや予言が展開されているといっていい。

 それをいちいち見たわけではないけれども、どれも一理あるように思えるから、古代から占いや予言のたぐいがなくならないことの証明にはなるだろう。

 占いや予言は、どんなに的中率が高くても、100パーセントということはない。当たらないことも多い。

 実際に、これまで世界的な予言者という人物の予言を見ても、当たらなかったものや解釈が不可能なのに、それを強引に現象に合わせてつじつま合わせをしているものも少なからずある。

 世界三大予言者と言われていたノストラダムス、ジーン・ディクソン、エドガー・ケーシーにしても、当たらなかった予言といったものがある。(ノストラダムス予言の場合、暗号詩という性質があるため、具体的な検証というのは難しいのだが、ディクソンとケーシーの場合は著作や発言というものが残っているので、事実と照らし合わせることは可能である)

 ケーシーの場合は、アトランティス大陸の浮上や現代人の背景にはアトランティス人の輪廻転生であるというようなことを述べているし、日本が20世紀中に海に沈むという予言もあったが当たらなかった(ただし、経済的に沈むという解釈もあり、それを採用すれば当たったといってもいいかもしれない)。

 ケーシーの膨大なリーディングという予言は、医療分野に及んでおり、ケーシーを予言者という範囲で考えるのは無理があることも確かだ。

 また、ケネディ暗殺の予言で一躍有名になったディクソンは、その予言の方法がビジョンを見てそれをディクソン自身が解釈しているため、その解釈の誤差や間違いなどが散見され、玉石混交という印象がある。

 要するに、予言というものが神霊的な存在から与えられる場合、それはビジョンやイメージ的なものが少なくないために、確実な予言として予言者自身が提示できないということなのである。

 ただ、ディクソンの場合、近未来の予言として注目したいのは、中国が超大国化し、第三次世界大戦の引き金を引くという予言であり、それはかなり現実になっている面があると感じている。

 私が予言について思うことは、個人の未来を予言する占いにしても、世界の将来を見通すとされる予言にしても、確実なものというよりも、神霊的なものからの警告や注意、そして、未来は確定的なものではなく、条件によっては変えられるというメッセージではないか、と思っている。

 実際、予言者の中には、「予言は当たらない予言がいい予言である」というような発言をする予言者もいる。

 これは、予言は神からの警告であって、それを受け止めて、そうならないように事前に知らせているのであり、未来は努力によって変えられるので、「当たらない」ように人間の側で努力していけば未来を変えられるということが真意らしい。

 その点では、あまりにも不確実な世界なのだが、それでも予言や占いが無くならないのは、的中率というよりも、予言や占いが当たることとともに、それ以上にカウンセリング的な性質があるためだろう。

 特に、誰にも相談できないような孤独な決断をしなければならない政治家や企業のトップなどは、判断ひとつで、国や会社の運命が変わってしまうことがあるため、未来は恐ろしく一寸先は闇である。

 そのために、自分自身の判断に絶対的な確信をもつことができない不安にさいなまれることが多い。

 そんなとき、カウンセリング的な予言や占いは、たとえそれがあやふやで間違ったものだとしても、その決断を後押してくれる心理的な効果がある。

 たとえ結果が思わしくなくても、自分が100パーセント決断に関与したのではないという心理は、責任を負う上でも、カウンセリング的な効果があって受け入れやすくなる面がある。

 その意味で、政治家や経済人が、占いや予言に耳を傾けるということは、決して悪いことばかりではないと思う。

 ただ、すべてをそれに依存することは問題であり、自身の努力をした上での最後の決断の一押しに身をゆだねるというぐらいの気持ちでいいのではなかろうか。

 いずれにしても、予言や占いは数学のような科学ではないし、そこに人間的な感情や思い込みなどが入りやすい面があることを注意しておきたい。

 予言が政治に関与したことは世界共通のことであり、古代から現代まで、多くの歴史的事件の影にあって大きな役割を果たしたことはよく知られている。

 たとえば、中国では政権・王朝が変わる前に、事前にそれを知らせる予言が民衆や子供の歌などで示されることが記されていて、この背景には、漢時代の天地と人間の間には密接な相関関係があって、未来の運命は、自然や人間の生活の中に象徴的に表されるという考え方があるといっていい。

 自然の異常気象や天変地異、人間の奇妙な風習や遊びの流行の背景には、時代が変わるという神霊の働きがあるという考え方だ。

 それは日本でも変わらず、古代天皇の時代、子供たちの何気ない遊びのわざ歌(童謡のようなもの)を聞いて、反逆の兆しの予言だと解釈して、無事に反逆の芽を摘んで防いだという話も歴史書に紹介されているほど。

 それほど、未来を予兆する予言や占いに対する人間側の興味や関心は尽きたことがないといってもいいかもしれない。

 果たして、2020年がどのような時代になるか、それは私は予言者ではないので、具体的に知ることはできないが、ただ、何らかの時代のターニングポイントの年になるのではないか、という予感がある。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)

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