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芥川龍之介をめぐる一視点

 最近のことだが、妻がスイカをどういう気まぐれか買ってきた。

 といっても4分の1の切り身のもので、まあ、現在の老夫婦2人だけの生活では十分な量である。

 むしろ1日では食べきれないかもしれない。

 久しぶりに食べたスイカに、ふるさとの夏を思い出した。

 私の父は、青果市場に務めていて、そこでセリ人をやっていた。

 小学校の課外授業で、青果市場を見学することがあり、そこでセリ人の父がいろいろと説明をしていて、私は恥ずかしい思いをしたことを思い出した。

 セリの実際の例も披露していたが、早口で何を言っているかわからなかった。

 後に、魚市場のセリの様子をテレビ放映などを見て、セリ人の言葉が一様に早口であることを知って了解した。

 父親に対して、息子と娘では、その対する感情が違っているのはよく知られている。

 男性は父に対して複雑な思いを抱き、超えるべき壁のような存在である。

 それに対して、娘の場合は、無条件に尊敬の気持ちを抱くようだ。

 ようだ、と書いたのは、私の兄弟は3兄弟でみな男だったので、女性の気持ちは推測するしかないからである。

 父の関係で、果物関係は安く仕入れられたのだろう、スイカにしても冬のミカンにしても、大量に買って来て飽きるほど食べたことを覚えている。

 当時のスイカは、果肉に多量の種もあって、それを吐き出しながら食べていた。

 種は食べてもそれほど苦くはないのだが、なんとなく果汁が口の中で溶け出す邪魔をしているようで気になって仕方がなかった。

 ところが、この種だけを食べている描写がある小説を読んで驚いたことがある。


 芥川龍之介の小説『南京の基督』の冒頭には、少女がスイカの種を食べている姿が描かれている。

 「或秋の夜半であつた。南京奇望街の或家の一間には、色の蒼ざめた支那の少女が一人、古びた卓テエブルの上に頬杖をついて、盆に入れた西瓜の種を退屈さうに噛み破つてゐた」

 スイカの種を食べることもに驚いたが、もう一つ気になったのは、スイカの種はヒマワリの種のような食べごたえがあるほど大きくはない。

 ヒマワリの種は食べたことがあるが、なかなか味わいがあっておいしいと思う。

 しかし、スイカの種は小さくで中身が薄い。

 それなのに、「噛み破」った後は、どうするのか。

 皮ごと食べたのか、皮は吐き捨てて中身だけを食べたのか。

 そんなつまらないことが気になって、『南京の基督』は、この冒頭の文章が頭から離れないので、今でもよく覚えている作品だ。

 だが、この『南京の基督』は、芥川の作品の中では、あまり出来のいい作品ではないといっていいだろう。

 芥川の小説は、初期の頃から種本があって、その物語を掬い取って、きっかりとした短編の枠に額装した絵のように収めて間然としたところがなかった。

 それこそ、「鼻」や「芋粥」は、木彫の箱にちりばめられた螺鈿細工のように、名人の鑿(のみ)や小刀を使ったように彫りこまれていて見事な完成度を示していた。

 夏目漱石の激賞によって、文壇にデビューした芥川は、以降、寵児となって次々に作品を発表した。

 芥川の作品は破綻が少なく、佳作が多い。

 児童向けに書かれた「杜子春」や「蜘蛛の糸」にしても、見事な細工物のような出来栄えを示している。

 だが、種本を下敷きにしているために、その材料と芥川の知的な技巧がうまく合致しているときは、見事な作品になるが、それがズレると、どこか間延びした印象を与えるものとなってしまう。

 それこそアイデアだけで処理したような作品もいくつかあり、『南京の基督』もその一つである。

 要するに、小説を完成させるための材料となる素材、古典や洋の東西の物語にしても、知的な技巧、アイロニーなどの薬味が効いたものとなるかどうかは、材料次第ということである。

 だが、芥川のメガネにかなうような材料がそれほどないといっていいだろう。

 いや、無くなってしまった、限界を迎えていたということだろう。

 博覧強記の芥川であっても、自分の作品として見つけだし、磨き、螺鈿細工のように装飾を施しても、ある程度の材料が底をついてしまうと、マンネリという迷路に落ちてしまうのである。

 おそらく、そのマンネリという迷路の中で、芥川の目の前には、二つの道があったはずである。

 職人のように、マンネリに耐えながら、作品を磨き続けて文章を完成させるか(「鼻」や「芋粥」の種本である「今昔物語」から同じような作品を仕立て続ける)、新しい手法と模索して未知の冒険に進むか、である。

 要するに職人になるか、芸術家として常に新しい表現に挑戦し続けるか、という二つの道である。

 結論は、芥川は芸術家の道を進んだ。

 その結果は、見た通りである。

 自分が築き上げた手法を捨てて新しい表現を求めることは、ただ表現上の技巧の問題だけではない。

 芸術家は、小手先のことで自分を変えることはできないのである。

 生き方自体を変えなければならない。

 芥川は自分の芸術に対する考え方を、「西方の人」や「文芸的な、余りに文芸的な」などの文章で述べているが、それによると、自分の生活を否定し、芸術に身を捧げなければ無意味であると述べている。

 それこそ、「芸術至上主義」の考え方であるが、これは下町で育ち、家長として妻子を養っていくという責任感の強い芥川の気質からすれば、意識の分裂をもたらすしかない思想であるといっていい。

 かくして、両者の調和に失敗した芥川は、最後にただ自殺という悲劇的な死を迎えるしかなかったのである。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)

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