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ステイホームで家族と向き合う時代を迎える

「薫風や蚕は吐く糸にまみれつつ」(渡辺水巴)

 初夏の風が頬に快い。

 新型コロナウイルスによる感染拡大防止のための緊急事態宣言が解除され、生活にも街の様子も徐々に元に戻りつつある。

 解除前はなかなか目的もなく歩き回るというような散歩に出かけることにもためらいや罪悪感を感じたものだった。

 それが解除によって、罪悪感から解放されて、どこにでも行っていいというお墨付きを得た。

 久しぶりに、買い物のためではなく、目的もなく歩いてみると、部屋にこもっていた時は閉塞感があったのが、ウソのように無くなっていた。

 テレワークの生活は、それなりにストレスが大きかったのだろうと思う。

 やはり、人間はパソコンの画面ばかりを見ているではなく、自然の風や空気、植物、鳥や昆虫たちとの共生こそ、必要な生活であるということを感じる。

 といっても、外出すると、人の接触には無意識に気を付けるようになったし、相変わらずマスク姿の人がほとんどである。

 そのせいか、マスクを買おうと思っても、いまだなかなか手に入らないのはそれほど変わらない。

 もちろん、一部店舗、スーパーなどでは、見かけるようになったが、それでも通常営業の時のような状態ではなく、すぐに棚から消えていくような印象がある。

 ただ、以前は何店舗も回っても見つけられなかったのが、数店回れば手に入れることができるようにはなったことが違うと言えるかもしれない。

 毎日のように掲示される新型コロナウイルス感染者の数も減らないどころか、少しずつ増えている気がする。

 電車に乗っても、解除前だと、通勤時間帯を避ければ、かなりガラガラの車両だったのが、このところでは、避けるべき「密」に近づいているほど。

 気が緩んでいるという指摘もあるが、人間の心理として、戦時下のような統制下にあるなら別だが、どうしても、少しずつ集中力がなくなっていくのが普通だろう。

 とはいえ、終息宣言がなされたわけではないので、今後とも自分で自分を守るという気概で、防止のための手洗いうがいなどの慣行を続けるのが肝要だ。

 ステイホームによって、会社に行かなくても、ある程度の仕事ができるようになってみると、会社へ行く通勤時間や会議など、そしてその後の時間などの無駄な時間をいかに使っていたかが理解される。

 効率ということから考えれば、テレワークは世界のみならず、日本人の仕事意識に、新しいパラダイムをもたらしたといえるだろう。

 会社という傘を取り外され、仕事とは何か、人間関係とは何か、が改めて問い直されているという気がしている。

 今我々は、その渦中にいるために、なかなか自覚できないけれど、未来から振り返れば、まさに大きな転換期を生きているのかもしれない。

 そのような会社という存在の意味、そこに勤めている個人の意識、すべてのものの改革が知らず知らずのうちに進行しているのではないか。

 その意味では、ようやくわれわれはコンピューターなどからもたらされた仕事革命、個人の人生の革命、そして、生きるという意味を自分自身の問題として向き合うときを迎えているといっていいのではないか。

 テレワークによって、生活スタイルが変わり、会社という社会的な人間関係から、妻子とともに生活する、その家族関係の濃密な中で生活する時間が多くなった。

 会社では仕事の能力、ネットワーク、人間関係が大きな存在だったが、家族の中では、それは問題にならないほど小さい。

 会社では仮面をかぶって生きていたり、理不尽な思いをしても自分の中に怒りを抑え込んで表面上はへらへらしていても、会社から離れればいったんその関係を断ち切ることができる。

 プライベートな時間を会社では持つ必要のないものであり、そこでは、仕事を軸として、どう利益を上げていくかの一時的かつ疑似的な関係でしかないのである。

 会社を辞めたり、役職から外れれば、それまであった関係はいったん清算されてしまうのである。

 それに対して、家族関係は、表面的な関係ではない。根源的な関係である。

 もちろん、家族は他人同士が結婚することで形成されるのだが、それは会社に入社し、そこで上下関係や先輩後輩などの関係のような疑似的な関係ではなく、生涯を共にする(妻とは離婚によって清算される関係でもあるが)、絶対的な関係である。

 特に、血を分けた親子の関係は、生まれた時から死ぬまで変わらない。

 そして、家族は外出していない時以外は、一緒に住み、共同生活を維持し続けなければならない関係である。

 そこにはまさに家族同士のプライベート空間はない(部屋割りなどのルールによる分け隔てや兄弟関係はある)、といっていいだろう。

 裏も表も、隠すことができない関係(心の中の思いは別だが)である。

 まさに、良寛さんが詠んだ「裏も見せ表も見せて散るもみじ」という俳句そのものである。

 人間の本来の姿、家族というものが本質であり原点であることを改めて知らなければならないのだ。

 その点では、テレワークがもたらしたステイホームによる仕事スタイルというのは、会社人間から家族人間への変革、家族の価値を再発見すべき、重要なきっかけとなったということができよう。

 それを人間革命、意識革命として、われわれは家族というものに向き合わなければならない。

 家族が向き合い、話し合うことは、会社で会話するような表面的な関係ではなく、共に生き、共に人生の哀感を共有し、喜びと悲しみを共有すること。

 それは「愛情」というものを分かち合うことのできる本質的な関係である。

 人間が人間であること。愛情によって生まれ、愛情によって育ち、愛叙情によって完成し、そして、死を迎える。

 それを学ぶべき場所は、家族にしかない。

 私も、テレワーク生活で、外での仕事がほとんどなくなり、妻と向き合うことが多くなり、自分自身の思いを知ったり、妻の不満や抑圧されていた思いや仕事への取組みを反省させられた。

 私だけではなく、この期間、より深く自分自身と向き合い、家族と向き合い、新たな自分を発見したのではなかろうか。

 願わくは、それを通して、よりよい人生の再出発として捉えてほしいと思う。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)

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