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『朝鮮ブーム 街道をゆく ~大坂から江戸、日光へ~』 (3)滋賀


 

(3) 滋賀

近江八幡に立つ「朝鮮人街道」の石碑

 街並みの美しさからいうと、近江八幡、彦根が印象に残る。風情があり、また行きたくなる。4月桜の頃は最高であろう。高月町(現、長浜市)を訪ねた次いでに近江八幡市を訪ね、いいまちだなと感心したことがある。近世の歴史息づく風情ある街並み、琵琶湖に通じる水路…、水郷のまちという印象が残る。麓にある大きな神社を歩いた後、ロープウエーで小高い山に登り、琵琶湖も眺めた。
 このまちは、秀吉の命令で自害を遂げる前に秀次が、数年かけて作り上げた。資料館や昔の商家をみて、道標の立つ朝鮮人街道を歩いたが、タイムスリップしたような感覚にとらわれた。時代劇のドラマが撮影されるまちと聞いたが、なるほどと思った。
 秀吉の養子だった秀次は、安土城下の民を近江八幡に移し城下町を開いた。商いのまちとしての新たな賑わいを作りだした秀次の手腕が、感じられた。秀吉に実子、秀頼が生まれると、彼は疎まれて、20代後半で自害した。ただ、秀次は近江八幡の開祖として市民に慕われている。
 近江八幡のまちを歩いていて、見つけた「朝鮮人街道」と刻んだ石碑。朝鮮人街道を“発掘”したのは、高校生たちだった。彦根東高校新聞部のメンバーが門脇正人教論の指導で、消えた道探しを行ったことで、現代に蘇った。1990年から翌年にかけて、史料を読み、聞書き調査をし、フィールドワークをするなど、地道な活動が実を結んだ。90年といえば来日した盧泰愚(ノテウ)大統領が雨森芳洲を称える演説をした年である。それが、新聞部を刺激したのは確かである。

もてなし厚かった彦根藩

 近江八幡から安土へ向かう通信使は、安土城下を通り能登川を渡り、彦根へ向かう荒神山麓の直線コースを進む。たどり着いた彦根。近江の数多い城のなかでも、彦根城は「国堅固の城」として領外にまで権威を誇っていた。湖東にそびえる彦根城の西、京橋通りの宗安寺が通信使の宿舎である。
 この寺は藩主の井伊家の移封に従い、上州(上野ともいう、いまの群馬県)から移ってきた名刹である。正門である「赤門」から離れたところにある「黒門」は、唐人門あるいは高麗門とも呼ばれた。仏寺としては朝鮮通信使接待のためとはいえ、猪や鹿肉を正門から運び込むわけにはいかず、別門としてつくられたという由来をもつ。
 宗安寺には、朝鮮王朝文人の肖像画と伝えられる画が伝わる。「胸背(きょうはい)」の二羽の鶴(朝鮮王朝の位階をあらわすもの。鶴は文官、虎は武官。三品以上の堂上官がつけた)と思われるも紋様はいまだ色褪せず、宗安寺での文化交流を偲ばせる。

本願寺八幡別院=朝鮮人街道を通る通信使は、近江八幡の本願寺八幡別院(金台寺ともいう)で昼食をとった。1711年、来日した通信使・従事官の李邦彦は江戸からの帰路、再び八幡別院で憩えた感興を、七言絶句の漢詩にして書き残した。同寺は、もとは安土城の城下町にあったが、近江八幡に移築された。徳川家康が上洛のとき、宿泊所にした大寺院。

 彦根が気に入った通信使の高官は、その気持ちを書にして伝えた。宗安寺近くにある、江国寺の本堂に掲げられた扁額「江国寺 朝鮮雪峰」は1643年(寛永20) の通信使・書記、金義信(号・雪峰)の書である。彦根城の東、佐和山の麓にある龍潭寺(りゅうたんじ)は、藩主・井伊家の菩提寺だが、ここには1711年(正徳元)の通信使、藍溪の書が伝わる。境内には龍潭寺白と名付けられた大輪の木槿(ムクゲ)の古木がある。寺伝によると、通信使から送られた漢方薬のなかから選んだ種がまかれ、育ったものといわれている。

雨盛芳洲の語り部に会う

 渡岸寺の十一面観音立像で知られる高月町は、観音像が多い地域である。資料館の名も、「観音の里資料館」と命名されている。ここには雨森区がある。戸数100余り、人口500人足らず。小さな地区ながら、独自のまちづくりで、国や県から表彰されている。コイ放流と水車の設置、花いっぱい運動、巨大こいのぼりの掲揚…、これに東アジア交流ハウス、韓国との交流が加わると、「なぜ」と問いたくもなる。ここは、江戸時代、対馬藩で外交官として活躍した、儒学者・雨森芳洲の出身地である。雨森区のまちづくりを牽引してきた功労者が、平井茂彦さん。高月町役場に長く勤め、その間に雨森区長にも就き、芳洲の里づくりを進めた。
 平井さんにとって、芳洲はエネルギーの源泉でもあったといえる。芳洲没後250年の2005年 に、『雨森芳洲』を自費出版した。帯には「生涯学習の国際人として朝鮮外交に尽力した」と記す。というのは、23歳で習い始めた中国語を50年間以上、芳洲は続けている。もちろん、朝鮮語も釜山の草梁倭館に務めながら修得した。81歳を過ぎて和歌に親しみ始め、古今集千回読破、作歌1万首を目指し、これを早々とやり遂げている。88歳で亡くなった長命の人で、まさに生涯学習の手本を示した。
 芳洲カルタ、通信使の粘土人形などを作り、母親が語る「ふるさとの言葉」をまとめた本もつくった平井さんは、さらには雨森地区の広報紙を36年間にわたり、一人で執筆・編集し、1693号まで創り上げている(2017年6月30日発行をもって休刊)。
 その休刊宣言の前、春浅い季節に高月町を訪ね、芳洲庵で平井さんに久々お会いした。このとき、館長として、芳洲と朝鮮通信使について語ってくれた。梅のほころぶ庭で、同行した韓流講座の受講生と一緒に記念撮影に応じてくれたが、そのもてなしの心に、「芳洲魂とは何か、学びました」と受講生はささやきあっていた。

 

 

【ユネスコ世界の記憶】

・江洲蒲生郡八幡惣絵図(使行年——) / 制作者—— / 1700年頃制作 / 数量: 1点 / 所蔵:旧伴伝兵衛土蔵 = 近江八幡市指定文化財
・琵琶湖図 ( ——) / 円山応震 / 1824年 / 1点 / 滋賀県立琵琶湖文化館
・雨森芳洲関係資料 (1711、1719年) / 雨森芳洲ほか / 18世紀 / 36点 / 芳洲会、高月観音の里歴史民俗資料館寄託 = 重要文化財、長浜市指定文化財
・朝鮮通信使従事官李邦彦詩書 (1711年) / 李邦彦 / 1711年
/ 1点 / 本願寺八幡別院 = 近江八幡市指定文化財

 

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【転載】『朝鮮ブーム 街道をゆく ~大坂から江戸、日光へ~』(朝鮮通信使と共に 福岡の会 編)

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