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『朝鮮ブーム 街道をゆく ~大坂から江戸、日光へ~』 (6)名古屋


 

(6) 名古屋

大河ドラマ効果! 話題尽きない家康、秀吉

 大河ドラマ『真田丸』効果は、やはりあるものである。2016年11月6日、愛知県岡崎市を訪ね、友人の案内で岡崎城の天守閣に登ったが、見物人が多かった。江戸時代、岡崎藩は5万数千石。徳川家康の生誕の地であるが、意外と少ない石高である。城内には家康館もあり、徳川家康一色である。天下を統一する過程を、ビジュアルを駆使して、わかりやすく説明している。いかに、家康は賢君であったか。その賞賛ばかりである。武将と戦場の紹介一色で、国交が修復されて、朝鮮から「通信使」が派遣された外交物語はない。
 一方、大坂城。豊臣秀吉の遺児、秀頼は大坂夏の陣で家康に敗れ、豊臣家は潰れてしまう。ドラマ『真田丸』では、その攻防が切って落とされる場面へと移る。NHKで始まったの番組『ブラタモリ』で、上町台地を中心に秀吉の大坂の街づくりを紹介していた。「直線」が好きな秀吉は町割りにそれを活かし、出来た街は蒲鉾をならべたような碁盤目状の区割りである。伏見城周辺の区割りも「直線」で貫いている。
 タモリは、秀吉のディベロッパー(開発業者)としての才能を讃えていた。
 秀吉は織田信長の後を受け継ぐ形で、社会改革を進めた。太閤検知、兵農分離、楽市楽座、海外交易など。鉱山の開発も盛んだった。
 しかし、墓穴を掘ったのは、中国へ入る(唐入り)のため「仮途入明」(中国・明に入りたいので、朝鮮の道を開けてほしい)という要求を断られたあげくに、朝鮮半島を侵略したこと。大義名分無き戦いであり、兵士のなかには厭世ブームがくすぶり続けた。
 ドラマ『真田丸』では、そこをあっさり描くに止めていた。真田幸村の物語だから仕方ない。
 愛知県は
近世、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を輩出した人材の宝庫だった。加藤清正も愛知の出である。JR名古屋駅に「太閤口」とあったのは、秀吉にちなんだのであろうか。ソウルに世宗大王を讃え、世宗大路や世宗会館とかあるのを思い出した。「太閤口」とは、なかなか粋である。

 

逢左文庫の由来は

 名古屋では民団愛知県地方本部や駐名古屋韓国総領事館が市民と日韓をつなぐいい役割を果たしているし、日韓市民ネットワークなごやも、その一翼を担っている。
「ネットワークなごや」の後藤和晃さん(NHKのOB)の話では2006年、岡山で逢っているという。それは、元駐日大使の呉在熙(オ・ジェヒ)氏をはじめ韓国の研究者を招き、朝鮮通信使派遣に功績のあった外交僧・松雲大師のシンポジウムが開かれたときだった。そんな記憶が蘇ってきた。元外交官の柳鍾玄(ユジョンヒョン)先生、江原大学の孫承喆(ソン・スンチョル)教授も参加したので、身近な集まりであった。
 後藤さんに依頼され、名古屋で話したテーマは、秀吉の朝鮮侵略で拉致された朝鮮陶工をはじめ、日本に先進文化を伝えた朝鮮の人たちの話である。かつて『九州のなかの朝鮮』(明石書店、2001年刊)で、調査成果をまとめている関係もあり、気軽に引き受けた。名古屋外国語大学の講師を勤めた貫井先生がよく講演されるのは、日朝協会だったと記憶する。
 また、読売新聞出身の千田龍彦さんが、朝鮮通信使関係の見聞録を描いた御畳奉行・朝日文左衛門の『鸚鵡籠中記』を読み解き、本にしている。静岡市には、「静岡に文化の風を」の女性代表もいる。
 せっかくの機会、これ幸いと名古屋の通信使の史跡を歩いた。
 徳川園(名古屋市)の中にある逢左文庫は、秀吉の朝鮮侵略で略奪してきた書籍を一部、 保管している。いうまでもなく、朝鮮文化財の略奪にも秀吉軍は走った。秀吉軍の総隊長、宇喜多秀家は出兵前、朝鮮からの戦利品として何を望まれるか、と尋ねた。秀吉は確か、書籍と答えた。そこで、秀家はそれと鉛活字を略奪して持ち帰った。
 日本の出版文化隆盛は、朝鮮の恩恵に浴している。朝鮮の儒教文化を支える多量の朝鮮本、さらには王城内で見つけた銅活字と活字版の道具を略奪した。これが日本の出版物、出版文化に大きな影響を与えた。鉛活字は天皇に献上され、日本初の活版印刷が行われた。その朝鮮書籍が、秀吉の死後、徳川御三家に分散して、保管される運命をたどる。
 現在、東京の宮内庁書陵部、国立公文書館、蓬左文庫、対馬の宗家文庫、東大、京大などに、多くの朝鮮本が伝わる。

 

尾張藩・御畳奉行の好奇心

 韓国はパリパリ(早く早く)精神の国である。選択と集中。このやり方で、一気にことを進めていく。朝鮮通信使の研究も、そうである。日本がリードしていたこの分野も、21世紀に入り抜かれしまった。あれよあれよ、といった感じである。釜山では朝鮮通信使祭り(毎年5月開催)が始まり、朝鮮通信使学会を起ち上げ、教育施設としての朝鮮通信使歴史館まで整備した。 
 釜山の学会が定期的に発行する『朝鮮通信使研究』を久し振りに読んだ。尾張藩士・朝日文左衛門の日記『鸚鵡籠中記』についての論文が載っていたからだ。文左衛門の家は代々、城を警備する城代組に属していたが、文左衛門のときに、御畳奉行を拝命する。新設されたポ ストで、藩主が寺院や別荘などに出向く前に、畳替えを済ませておくことが重要な仕事だった。
 取り扱う畳の量がかなり多く、文左衛門は張りのある日々を過ごす。
「藩に出入りする畳業者や畳原料の納入業者から接待攻勢を受けたり、朝日家に祝い事があれば、その都度、業者から祝いの品が届けられたりしている」=千田龍彦氏の「尾張藩士・朝日文左衛門の日記に記された朝日家の朝鮮通信使見物」より、『朝鮮通信使研究』第14号所載
 文左衛門はお役目冥利、いわば「おいしい」仕事にありついていた。しかし、無類の酒好きで、酒毒による黄疸症状が出て、45歳(数え年)で亡くなる。
 彼の日記は、作家神坂次郎氏の『元禄御畳奉行の日記』(中公新書)で広く知られるようになった。1711(正徳元)年、趙泰億(チョ・テオク)を正使とする500人の朝鮮通信使が来日した。これを名古屋で見物した記録が、『鸚鵡籠中記』に一部出てくる。文左衛門の視線は鋭い。客館で羽目を外す通信使一行の素顔を暴く。好奇心の塊のような男であるから、観察も執拗である。
 朝鮮通信使には、表の顔と裏の顔があった。先進文化を日本に伝えてあげるといった「文の国」の通信使一行にも、その自負とは裏腹に、崩れた姿を見せた。そこを文左衛門は突いていて面白い。この時代、朝鮮人は本音と建て前を使い分けた。
 古く朝鮮通信使が往来した時代、朝鮮人はそのような姿勢も露わにした。歴史を振り返ると、逆転の構図が垣間見えるから興味深い。

 

【ユネスコ世界の記憶】
・甲申韓人来聘記事 (使行年 : 1763~64年) / 制作者 : 尾張藩 (松平君山) / 制作年
 代 : 1764年 / 数量 : 1点 / 所蔵 : 名古屋市逢左文庫
・朝鮮人物旗杖轎輿之図 (1811年) / 猪飼正殻 / 19世紀 / 1点 / 逢左文庫
・朝鮮人御饗応七五三膳部図 (1811年) / 猪飼正殻 / 19世紀 / 1点 / 逢左文庫
・朝鮮国三使口占聯句 (1682年) / 尹趾完、李彦綱、朴慶後 / 1682年 / 1点 / 逢左文庫

 

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【転載】『朝鮮ブーム 街道をゆく ~大坂から江戸、日光へ~』(朝鮮通信使と共に 福岡の会 編)

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