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『二十一世紀の朝鮮通信使』 総論I


朝鮮通信使とは

朝鮮通信使は平和の使節である。往来した 200 年の間、東アジアは安定した平和が維持された。この通信使をユネスコ世界記憶遺産に登録しようと、日韓合同で活動が進められている。申請団体は、財団法人・釜山文化財団とNPO 法人・朝鮮通信使縁地連絡協議会である。朝鮮通信使を世界遺産「世界の記憶」に登録することは、日韓友好の大きなシンボルをつくる作業にも似ている。

◆なぜ、朝鮮王朝は通信使を派遣したか

豊臣秀吉の朝鮮侵略により、日朝間の国交は断絶した。東軍と西軍が激突した関ヶ原の戦いに勝った徳川家康は、対馬藩に命じて、国交の修復、朝鮮通信使の派遣を命じる。朝鮮通信使派遣を要請した徳川幕府には、天下統一後の支配体制を強化する思惑もあった。幕府の権威を喧伝するため、また各藩の財政を削り落とすために、朝鮮通信使を利用した側面も見逃せない。

なぜ、朝鮮王朝は、秀吉の朝鮮侵略から 10年も経たないうちに、日本と国交を修復し、朝鮮通信使を派遣したのか。

その背景には、北方の脅威があった。勢力を膨張させ、国境を侵犯するヌルハチの女真族である。このため、朝鮮王朝は秀吉の侵攻で国力が衰退していたが、北方の守りに兵力を割いた。このこと自体、大変な重荷であった。そこに、南方の脅威。家康の要請を拒否した場合、再侵略の可能性さえあり得る。南方の守りも固めなければならない。しかし、 朝鮮にはその余力もない。

そこで、朝鮮朝廷は仕方なく、家康の言い分を承諾した。ただし、派遣する条件として、2点を提示した。それは最初に徳川将軍が国書を朝鮮国王に差し出すことと、王陵を盗掘した秀吉軍のなかの「侵陵賊」を突き出すことであった。

すると、これが意外にも早く実現する。「日本国王源家康」の国書とともに、王陵を盗掘した犯人(2人の青年)が押送されてきた。この交渉の過程で、対馬は家康の指示を仰ぐことなく、犯人をつくり上げ、国書を勝手につくって朝鮮王朝に差し出した。

朝鮮朝廷は、対馬藩の工作であることは薄々承知しながらも、ゴーサインを出した。

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【転載】『二十一世紀の朝鮮通信使』(朝鮮通信使と共に 福岡の会 編) 

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