記事一覧

「汚れてしまった悲しみ――中原中也」その2

 先に引用した「汚れつちまつた悲しみに……」や「「幸福は厩(うまや)の中にゐる」という表現のほかにも、キリスト教や聖書の影響といったものを感じさせるものがいくつかある。


 

タイトルに「つみびとの歌」という詩もある。

わが生は、下手な植木師らに

あまりに夙(はや)く、手を入れられた悲しさよ!

由来わが血の大方は

頭にのぼり、煮え返り、滾(たぎ)り泡だつ。

おちつきがなく、あせり心地に、

つねに外界に索(もと)めんとする。

その行ひは愚かで、

その考へは分ち難い。

かくてこのあはれなる木は、

粗硬な樹皮を、空と風とに、

心はたえず、追惜のおもひに沈み、

懶懦(らんだ)にして、とぎれとぎれの仕草をもち、

人にむかつては心弱く、諂(へつら)ひがちに、かくて

われにもない、愚事のかぎりを仕出来しでかしてしまふ。

 自分の心を騒がすものは、それは自分を創造した存在、中也は「下手な植木師ら」と表現しているが、これはまさしくキリスト教の聖書的な神を意識した言葉だろう。

 なぜ自分が不完全なのか、それは自分を創造した植木師(創造主)が自分を完全な人間として創造できなかった(下手だった)からという意味が込められている。

 そのことで、自分は「つみびと」となったということであるが、これはキリスト教における人間始祖であるアダムとイブが罪を犯したという聖書的概念とは少しばかりかけ離れている。

 そのことは、中也はキリスト教的な精神に惹かれるものがあったことは確かだが、その教義までは理解が及ばなかった、あるいはその点が理解できなかった(多くの文学者に共通する問題だが)ということだろう。

 中原中也の「汚れてしまった悲しみ」というのは、そうした自分の生まれる以前の世界、そこで自分が「汚れてしまった」存在であるということを無意識に自覚した表現であるとも解釈できる。

 もちろん、牽強付会の見方という批判もあるかもしれないが、少なくとも、そうしたキリスト教の影響はあったと推測できるといっていい。

 キリスト教には帰依しなかったが、その宗教的精神の影響を受けて、原罪ということまでは意識しなかったけれども、自分の罪ではないが、生まれた時には既に「汚れてしまった」つみびとであるという思いがインスピレーションとして与えられたのだろう。

 詩人は、まさに巫女的な予言者であるとすれば、こうした象徴的な詩の表現が生まれて来るのである。

 もともと、日本の近代詩が日本的伝統の韻文形式の詩歌から脱することで、近代詩というものを発展させてきた。

 要するに、明治維新以来、西洋文明の移植することで発展してきたわけであるが、その西洋文学の根底にあるのは、キリスト教である。

 キリスト教の教義は学ばなくても、西洋文学や詩にふれることで、そこに歌われたテーマが男女の愛、神の愛に通じるものや原罪を負った人間の苦悩と悲しみなどに通じていることを感じ取っていたからだ。

 「家」とい封建的な思想の中での男女関係の「恋」や「愛」ではなく、西洋的な個人主義的な恋愛の発見は、すなわちキリスト教の影響を抜きにしては考えられなかったのである。

 日本近代詩の担い手だった島崎藤村などが、日本の伝統的な男女関係ではなく、個人としての恋愛詩を謳歌したのも、その背景にあるキリスト教を間接的にふれて影響を受けたからだといっていい。

 明治時代における詩人や作家がキリスト教に帰依したり影響を受けたのは、そのような経緯・背景があった。

 もちろん、そうしたキリスト教の一部だけを受け止めたために、多くの文学者は後にその厳しい倫理観や精神に耐えきれずにその多くが途中で離反して棄教している。

 明治のキリスト教の内村鑑三のもとには、それこそ多数の文学者が集まり、その教えを学ぼうとした。

 だが、内村鑑三のキリスト教は、個人主義的な西洋のキリスト教から脱した「無教会派」となる厳格な信仰である。

 そこに自我の解放、封建主義的な家からの解放を夢見た文学者に、それが耐えられるはずはなかった。

 失望した文学者たちは、内村鑑三から次々と離れていった。

 島崎藤村しかり、志賀直哉しかり、有島武郎しかりである。

 その意味では、中原中也も、そのような西洋文学の詩を読み、その影響下で、詩を書くことでキリスト教、聖書を意識したといっていいだろう。

 「汚れてしまった」という表現や「つみびと」という言葉には、このキリスト教の聖書的概念が反映していると言ってもいいのではないか。

 もちろん、「つみびと」という概念はキリスト教だけではなく、仏教にある。

 浄土真宗の親鸞の「悪人正機」という「悪人」は、この「つみびと」を意味しているといっても不思議ではない。

 この「つみびと」とは、果たして仏教的な概念であるか、キリスト教の原罪を象徴しているのかは、にわかには断定できないが、中也は平和で幸福であった故郷での生活を思い浮かべると、同時にそれを脅かす存在を感じていたのかもしれない。

 それは中也の詩を読んでいくと、自分の誕生する以前の記憶、そうしたものを呼び起こしていることを通じて感じられる点である。

 文芸評論家の河上徹太郎が、中原中也の詩にキリスト教的な宗教性を感じたのは、そこに日本的な仏教の影響ではないものを感じたからだろう。

 おそらく中也の詩にあるキリスト教の「懺悔」的なもの、「悔い改め」といったものが中原中也の詩の底流に、旋律として流れていることを理解したからではないか。

 (フリーライター・福嶋由紀夫)

関連記事

コメントは利用できません。