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黄七福自叙伝「韓日の古代」/「韓日の中世・近世」


 

黄七福自叙伝20

「ああ祖国よ 我れ平壌で叫ぶ時 祖国は統一」

 

第1章 祖国解放までのこと

韓日の古代

韓民族は、アルタイ語族に属する民族として、五千年の歴史を誇る。アルタイ山脈とは、モンゴルと中国の国境を走り、ロシアに入る山脈で、この地を源流とするアルタイ語族は、トルコ族、モンゴル族、ツングース族に分かれ、韓民族はツングース族に属する。

このツングース族が、アルタイ山脈から東へ東へと移動し、中国東北地方(旧満州)、そして韓半島へと南下し、古代部族国家を形成したと考えられている。

韓国古代史は、高麗時代の儒者・金富軾によって一一四五年に編纂された『三国史記』によって知ることができる。紀元前二三三三年に檀君が王倹城に都を定め国名を朝鮮と称して即位した。

その十月三日は、韓国では、”開天節”(建国記念日)という祝日である。この檀君朝鮮は、『三国史記』に檀君神話として紹介されている。

その後、箕子朝鮮、衛満朝鮮、辰韓・馬韓・弁韓の三韓時代を経て、辰韓は新羅に、馬韓は百済に、弁韓は伽耶諸国にそれぞれ発展した。

新羅は紀元前五七年に朴赫居世によって、高句麗は紀元前三七年に朱蒙によって、百済は紀元前一八年に温祚によって、それぞれ建国された。これが三国時代である。

また、仏教徒の一然によって一二八〇年に私撰された『三国遺事』は、『三国史記』に載せていない駕洛(伽耶)国の建国を載せている。伽耶国は、日本の古代史とも関係の深い国でる。

三国時代には、中国に隋、唐という一大帝国が出現し、世界を席巻した。韓民族は、中国に隷従していた国と見られがちだが、中国東北地方の遼河を挟んで中国と対峙していた高句麗は強大な国力を誇り、広開土王の時は満州一帯はもちろん遠くモンゴル地域にも影響力を及ぼした。時には中国をも併呑しようという勢いさえあった。

三国鼎立に終止符を打ったのは新羅である。花郎集団による強力な軍隊を擁した新羅は唐と連合して、六六〇年に百済、六六八年に高句麗を滅ぼし、三国を統一した。その時の総大将である金春秋(武烈王)や伽耶系武将の金庾信らが『三国史記』に特筆大書されているが、一方では、名前が三字になるなど、風俗が中国化していくのもこの頃からである。

韓半島でのこのような戦乱は、今でいうボートピープルを大量に発生させ、その多くは日本列島に渡来した。各地に「カヤ」と称する地があるのは、伽耶諸国からの渡来人が定着した地とされるし、「クダラ」や「シラギ」という地も同様である。

その当時の日本列島は「倭」と称され、文明のない荒蕪の地であったが、高度な文明の感化を受けていた韓半島からの渡来人が開拓し、発展させたのである。

なかでも、王仁博士や弓月君、阿知使主などの渡来は、つとに有名である。また、各地の古墳からよく発掘される須恵器は、朝鮮式土器といわれている。

こうした古代史の分野での在日の文筆家や学者の活躍は、韓日古代史を見直すきっかけになっている。 『日本の中の朝鮮文化』などの著者で知られ、正しい韓日の古代史を探求した故金達寿氏の業績は忘れてはならないし、高句麗・広開土王碑の改ざんを発表した李進熙氏の業績も傑出したものである。

 

韓日の中世・近世

慶州を都とする統一新羅は、唐と密接な善隣関係を持ちながら、三百年にわたって儒教文化と仏教文化が併存して栄えたが、九三五年に滅びた。代わって興ったのは、王建によって建国された高麗である。

高麗時代は華やかな文化が色づいた時代で、とくに活字印刷や高麗青磁で知られ、仏教文化に見るべきものが多い。が、一二三一年から約百年間、モンゴル帝国(元王朝)に随従することになり、苦難の時代を強いられた。

この元寇は、高麗軍を従えて、二回にわたり日本にも侵攻したが、周知のように、二回とも “神風”(台風)という天佑によって、日本は侵略されずにすんだ。

屈強を誇った元も一三六八年に明によって滅ぼされたことから、高麗王朝もモンゴル勢力の圧政から解放された。

高句麗故地の回復を願って、八道都統使・崔瑩、左軍都統使・曹敏修、右軍都統使・李成桂の陣容で北伐の大軍を興したが、李成桂が突然、鴨緑江下流の威化島から高麗の都・開京(開城)に軍隊を回すというクーデターを敢行し、実権を掌握した。

この威化島回軍によって、一三九二年、高麗王朝が滅び、李成桂による李王朝が登場、明の皇帝の意見に従う形で、国号を朝鮮とした。李氏朝鮮とも称され、一九一〇年の日韓併合までの五百八十年間続いた。

李王朝は一三九四年に漢陽(今のソウル)に遷都し、徹底した崇儒排仏政策を断行した。

文班と武班からなる、いわゆる両班階級が支配層で、外部的には長い長い太平の世であったが、内部的には「党争」と称される派閥によるクーデターが日常茶飯事に敢行され、敗れた側はきまって死に追いやられるか、あるいは済州島等へ島流しにされた。

特筆大書されるべきは、李王朝四代目の世宗の代にはオンモン(ハングル文字)が創製され、初めて韓民族独自の文字を持ったことである。それまでの文字は漢字であり、中国、韓国、日本は漢字文化圏と称されるエリアである。

ちなみに、漢字は「桓字」とも書かれ、韓民族の先祖が創製した文字との説もある。「桓」 は、桓仁(桓国)、恒雄(倍達国)、桓使(檀君朝鮮)の三聖に因む文字である。

儒教が崇文軽武の思想であることから、李王朝でも武官が軽視され、国の防衛がなおざりにされた。そのため一五九二年から九八年の間に豊臣秀吉の侵略を招き、全土が蹂躙された。

これを壬辰・丁酉倭乱(日本では文禄・慶長の役と称する)というが、党争に明け暮れる両班階級に代わって、祖国防衛に活躍したのが武官の李舜臣将軍であり、一般民衆の義兵であった。

「文禄・慶長の役」は、別名「焼物戦争」ともいわれ、多くの陶工が日本に拉致され、各地の焼物の開祖となった。

有田焼や唐津焼(長崎県)、高取焼(福岡県)、八代焼(熊本県) 薩摩焼(鹿児島県)、萩焼 (山口県)などが、それら朝鮮陶工を開祖としている。


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