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平和統一聯合創設15周年記念式典参観の記

 

平和統一聯合創設15周年記念式典参観の記

辛英尚(文芸評論家)

 平和統一聯合創設15周年記念日韓大会に招かれた私は、会場の憲政記念会館に向かった(聞くところによるとここは国会議員関係の催しのみに使用される由緒ある会館だという)。都内からかなり離れた小平市に居住する私は、久しぶりに都心の殷賑に接してみたいと思い、会館までの道行を、西武線で新宿まで出てJR市ヶ谷駅で下車し、そこから新橋行きの都営バスに乗り、国会議事堂前の停車所で降りて、目的地に向かった。議事堂に面した憲政会館はずいぶんと広い敷地内にあった。

 午後1時開場までにかなり時間があったので、庭園を散策することにした。脇門から入り歩みを進めて、その広大さに驚いた。ここが都心かと疑われるほどこんもりとした樹木が、真夏の強い日射しを浴びて濃緑の魅力をたたえていた。松、杉、楓、欅、梄、泰山木、棕梠などが所せましと並び立ち、蝉の泣き声を吸い込んでいる。百日紅、向日葵、蓮、躑躅、鶏頭などが美しさを競い合っていた。なかでも、韓国の国花である無窮花(木槿)が、淡紅色や純白の花を開いているのがうれしかった。緑の空気を吸い花の香り漂う小道を辿りながら、私はふと原民喜の短篇「夏の花」を思い出した。広島で被曝した、珠玉のような小説や死の影の宿る詩を書き残して、鉄道自殺で果てた薄幸の作家をなぜここで想起したのか、それは、強烈な日射しにもめげず咲く夏の花の健気さに、心が揺れたからであろうか-。

 こんな思いで会場の憲政会館に行き着いた。会館はいかめしい名称であるにもかかわらず、こじんまりしたシックな建物であった。恐らく名のある建築家の設計になるものなのだろう。東京都内には大会などに用いるさまざまな施設があるが、平和統一聯合が記念大会の会場として、権威ある憲政会館を選んだのは、大会そのものの意義を高めるうえで極めて適切であったと思う。大会を準備した金源植事務総長と茂木福美次長の卓見をよしとしたい。

 会場の入り口前はなごやかなモードにつつまれていた。私は受付で顔見知りの案内嬢に招待状を提示して舞台に近い招待席に案内された。開始までにまだ時間があったのでロビーに出た。そこで、報道と映像担当者の李鐘仁さんに会ったが、女史は忙しそうだったので話を交わすことはできなかった。私は去る5月25日に兵庫で開催された第46回平和統一セミナーに講師として出演したのだが、その責任者であるFPU兵庫の文聖純女史と再会できたのもうれしかった。また旧知である跆拳道の朴禎賢師範、朴禎祐師範と3年ぶりに会って談笑し、一緒に写真を撮って旧交を温めたのも忘れ難い思い出となるだろう。

 定員500人の席は全国から参集した代表たちで満席になり、活気が充満していた。

オープニングはVTRの上映であった。スクリーンに写し出された平和統一聯合の多岐に渡る活躍には、目を見張るばかりであった。平和と統一をテーマにした各種のセミナーや講演会などをはじめ、研究会、友好団体との親睦会、芸術公演会、祖国訪問、ピースロード、国際ハイウェイ構想等々の映像は平和と統一達成の現実的リアリティをもって、参加者たちに強烈なインパクトを与え、自負心を抱かせたに違いない。

大きな拍手でVTRの上映が終わると、跆拳道の演武が行われた。一般的に大会のアトラクションともいうべき出し物は、メインである祝辞、挨拶、講演などがすべて終わってから演じられるのであるが、それがこの大会では冒頭に組み込まれた。これは会を盛り上げるための主催者側の心憎い企画であると感服した。跆拳道は1500年以前から朝鮮の疆土で伝わる民族の格技で1988年のソウルオリンピックで公開競技に採用されて2000年のシドニーオリンピック大会からは正式競技に認定された。演武は国際師範・国際審判員でもある朴禎賢師範と朴禎祐師範を中心にして披露された。私は跆拳道の演武は初めて見た。その気魄に満ちた敏捷な手なみ、厚手の板を拳の突きと足蹴りで割る武術に圧倒されて、民族の気概と精気を感じた。場内は割れんばかりの拍手が鳴り響いた。

 最初に演壇に立ったのは金榮翯 平和統一聯合中央本部会長であった。会長は15年間の連合の歩みを淡々として語り、今後も共に平和と統一のために努力することを誓い、会員諸氏の健康を願った。

 会長の挨拶が終わると来賓の紹介と祝電が披露された。来賓の柳本卓治参議院議員は7月21日に韓鶴子総裁が主催する韓国大会に参加して感銘したこと、早稲田大学で学んだ頃から原理研究会の活動を共にした文鮮明総裁についての思い出を語った。現職の参議院議員が来賓として挨拶した事実は、平和統一聯合の組織として厚みを示したといえる。

 10年来の知己である梁東準 世界韓人民主会議副議長の祝辞は、自己の体験を中心として語られた。氏は自らが平和統一聯合に招かれて幾度となく講演会やセミナーに講師として出演したことを述べたのち、日本国内にある韓国関連の史跡地を巡って、その文化の素晴らしさに誇りを抱いたことを語った。そして在日は韓国についてあまり勉強しないことを憂慮し、もっと積極的に韓国の歴史、とくに日帝植民地の受難史を深く学ぶ必要性を強調し、そうしてこそ真の韓日親善が達成されると述べ、平和統一聯合がそのために大きな役割を果たしてほしいと結んだ。氏の提言は実践的な課題を示したものとして傾聴に値した。

 韓国外交協会の名誉会長である鄭泰翼氏は、まず南北関係は必ず改善されるべきであることを強く訴え、また、韓日関係も早急に正常化がもたらされるべきであると自説を唱えた。そして金大中大統領在任中に外交官を務めたが、その時に金大中大統領と小渕恵三首相が韓国と日本の未来のための共同宣言が採択された意義について語調を強めた。氏の祝辞は、現今の韓日関係の正常化への期待が込められていた。

 韓国・南北統一運動国民連合を代表して登壇した宋光奭会長は、2013年に文鮮明総裁聖和1周年を契機に、平和と統一実現の御旨を受け継ぎ、北海道稚内から韓国まで自転車で縦走する快挙に深く感動したことを吐露した。そして、韓日のピースロードの快走が臨津江に到達してからすでに7年が過ぎ、2014年には世界14か国が参加した実績を評価した。さらに宋会長は2015年韓鶴子総裁の統一への熱気を全世界に拡散させなければならないと教示されてからは、今や世界120か国がこぞって参加する一大イベントに成長したことを喜び、平和統一聯合が始めたこのピースロードが全世界的な平和運動として注目されていることを誇り、自身が韓国に於けるこの平和縦走の責任者であることの矜持を保って責任を果たすことを誓い、外交統一省委員長と尹相現議員の祝電を代読した。聴衆はピースロードの世界的意義について改めて認識し、賛同の拍手を送った。(因みに鄭泰翼名誉会長と宋光奭会長の祝辞は茂木福美次長の流暢な日本語で同時通訳で伝えられた。)

 UPF-Japanの梶栗正義会長が演壇に立ち激励の辞を述べた。会長は平和統一聯合の活動の路程を要約して成果を称え、平和と統一の大道を進む聯合の前途は洋々たるものであることで、さらに大なる業績を上げるのは必至であるとし、自らも能動的に聯合活動する決心を表白した。

 次に、場内の熱気した緊張をほぐすかのように、金剛山歌劇団の団員による歌が披露された。この歌劇団は、民族の誇りと喜びを舞踊と歌謡と管弦楽をもって形象化する芸術団体で、平和統一聯合との交流にも力を注いでいる。今回記念大会を祝福して舞台に上がったのは、テノールの李康樹さんとソプラノの蔡慶愛さんである。テノールは「白頭山と漢拏山は我が祖国」という歌で三千里錦繍江山の祖国を称え、平和と統一への希求を響かせた。歌詞に染み込んだ民族的願いは胸に迫るものがあった。ソプラノは「ひとつ」という題名で、民族もひとつ、国土もひとつという歌詞に込められた、夢ではない願いに満場は吸い込まれるようであった。ただ、少し残念だったのは、テノールもソプラノも流麗な声量で豊色のある旋律で聴衆を魅了したのは確かであったが、二人の歌手の声量からして、マイクなしで歌われた方がよかったと、私は思った。

 最後にマイクを握ったのは、徳野英治 平和統一聯合中央本部常任顧問である。平和統一聯合が平和と統一の実現をめざし、実践してきた数々の活躍をヴィヴィト(鮮やか)に解説し、連合の存在価値を浮き彫りにした。とくに、国際ハイウェイ構想の目的と重要性について詳細に解説し、これが単なる夢ではなく、文鮮明総裁の壮大なプロジェクトであるが故に、必ず実現すると確信をみなぎらせた。さらに、朝鮮半島に平和と統一が達成された暁には、私が国は世界屈指の平和大国、経済大国になる展望のリアリズムを隈取り、聴衆に自信をもたらし、絶大な拍手を浴びた。

 スケジュールは予定通りに進み、表彰式と平和大使任命式が拍手につつまれて執り行われたが、平和大使にテコンドー師範兄弟がそろって任命されたのが、印象に残った。

 つづいて、参加者全員の名において、大会決議が満場一致で採択された。

 ・共生共栄共義主義による在日同胞共同体を実現
 ・在日同胞希望前進1万人大会を開催
 ・日韓関係改善運動を推進
 ・朝鮮半島の自由往来を実現するため、日韓海底トンネル及びPEACE ROAD理想を実現
 ・2020東京オリンピックの成功と2032ソウル・平壌オリンピック共同開催誘致に貢献
 ・DMZに「平和公園」を実現
 ・東アジア経済共同体を実現
 ・海外同胞と日本民族を連帯し南北統一と世界平和に貢献

 大会のフィナーレは、「統一の歌」の斉唱と金源植事務総長の発声による億萬歳三唱でしめくくられた。大会終了後には、来賓と招待者がなごやかに舞台に上がり、記念写真の撮影があった。

 私は大会の解散時に、長野の平和統一聯合に招待されて3回ほど一緒に講演したことのある、鄭時東顧問と握手して言葉を交わし、次いで具末模初代会長と抱擁で挨拶をした。初代会長は早稲田大学の同窓生であると同時に、私を平和統一聯合に紹介してくれた縁でもある。会長は今体調を崩して車椅子を使っているが、往年の活動家としての厳正な風貌には変わりなかった。近日中にまた会うことを約束して、車椅子を見送った。

 大会に参加して私が実感したのは、平和統一聯合が今後、増々発展して全民族的課題の達成に多大の貢献をなすであろうということであった。

 

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